妄想するキーボード(略してモキボ)

 「な、何にも起きないじゃない!」


 残念ながら波はでなかった。カノンが間抜けな格好をして立っているだけだった。


 「あ、あれって、魔法じゃないか」


 「馬鹿ぁ!」


 カノンのローキックが僕の太ももに打ち込まれる。


 「ぐわぁぁ!」


 強烈な一撃だ。堪らず倒れこむ。当面の敵はケロベロスではなく、間違いなくこの暴力女だ。


 だが、思考は冷静に分析する。確かに気合を溜めての波は、魔法ではない。しかし、魔法しか現実化しない、というわけではあるまい。ケロベロスの炎は魔法ではあるまいし、この森が出現したことも魔法によるものではないはずだ。


 僕の妄想が現実化しているという発想は間違っていないはず。だけど、どうしてカノンに限って上手くいかないんだろうか?


 「何が足りないんだ……」


 「それはあなたの力が不十分なんです」


 力が不十分?おいおい不愉快な言い方だな。まるで僕の小説家としての力量が不足しているみたいじゃないか。


 「って、誰?」


 カノン以外の声がしたので、慌てて起き上がる。また僕が考えたキャラが出てしまったかと思ったが、そこにいたのは今まで考えたこともないキャラであった。


 猫耳に大きな眼鏡。そして何故か今時珍しい紺のセーラー服を着ている。声はどう聞いても永遠の十七歳声優。狙ったような設定だ。


 「あ、この格好は趣味ですよぉ。決して怪しい人じゃないですからね」


 怪しい怪しい。充分に怪しい。


 「あ、あんた!さっきの女じゃない。ちょっと嘘つかないでよ。この世界の男が魔法を使えるようにしてくれるって言っていたのに、全然駄目じゃない!」


 カノンがセーラー服に詰め寄る。カノンが会ったという女性は、こいつなのだろう。


 「大丈夫ですよぉ。シュンスケ君は、あなたの世界の創造主なんですから、魔法なんてちょちょいのちょいですよ。まだ力が足りないから、うまくできないだけです」


 「創造主?こいつが……」


 いかにも不愉快と言わんばかりの軽蔑した眼差しを向けるカノン。おいおいちょっとぞっくとするじゃないか。


 「じゃなくて!説明しろ!ここは何処だ?どうなっているんだ?お前は誰だ?」


 「まぁまぁ落ち着いてください」


 「落ち着けるか!いきなりこんなことになって!お前、言動からして色々知っていて状況説明とかしてくれるんだろ?そういう設定のキャラなんだろ?さっさと説明しろ!」


 「う~ん。まぁそんなんですけど、今は百聞は一見にしかずですよ。これを使ってください」


 セーラー服が僕に向けて手をかざした。すると僕の目の前に、光のラインで縁取られたキーボードが出現した。


 「こ、こいつは……」


 「『妄想するキーボード』。略して『モキボ』です。シュンスケ君の妄想のお手伝いをしてくれます」


 妄想のお手伝いだなんて、ちょっといやらしい表現だが、言わんとすることは理解できた。要するに僕の妄想をこのモキボで文章にすればいいんだ。


 「よ、よし!」


 僕はモキボの上に手を置いた。カタカタとキーボードを打つ小気味のいい音がする。すると目の前に僕が打った文字が出現する。モキボと同じように光の線で縁取られているのでちょっと見づらいが、打ち間違いはない。僕は満を持してエンターキーを押した。


 【ケロベロスは消滅する!!】


 炎を吐き散らしていたケロベロスが一瞬にして消え……なかった。相変わらず怒り狂ったように炎を吐き続けている。


 「駄目じゃないか!」


 「駄目なのはシュンスケ君ですよ。いきなり敵を消すなんて反則技です。ちゃんとカノンちゃんが魔法を使って倒すようにしてください。それが物語というものです」


 そうよそうよ、とセーラー服と一緒になって抗議するカノン。何やら理不尽なものを感じつつも、改めてモキボに向かった。


 『さて、どうしたものか……』


 モキボで文章を打てば、そのとおりのことが起きる。最初はそう思っていたが、どうもそんな単純なことではないらしい。セーラー服の言い様では、物語として成立しなければならないようだ。


 となれば、カノンにいきなり最終奥義的な魔法を使わして一瞬でケロベロスを倒すということも反則技なのだろうか。試してみたい気持ちもあったが、また怒られるのも腹が立つので、ひとまず無難にいくことにした。


 いや待て。作中ではカノンが得意とする魔法は炎系だ。同じく炎を使っているケロベロスに通用するのだろうか。RPGなどでも、基本的には炎系の相手に炎は通用しない。寧ろ吸収される懼れさえある。


 「でもなぁ、カノンは泳げないって設定だから、水系は使えないし、風系は他のキャラとかぶるし……」


 「さっさとしなさいよ!この馬鹿将軍!」


 背中に衝撃が!魔法を使えない暴力女が背中を蹴りやがった。


 「さっさと言われてもな!あいつは炎を使っているんだぞ!」


 「だから何よ!」


 「一応、僕の設定ではお前も炎系の魔法を使うことになっている。炎対炎だ。あいつに効かなかったらどうする?」


 「へぇ、私、炎系なんだ」


 カノンは、さも他人事のように言う。ムカッときたが、また暴力的行為に及んできそうなので、ぐっと我慢した。


 「大丈夫よ。あんな奴の炎、私の炎で消し飛ばしてやるわ」


 えらく男前なことを言うカノン。もう僕の考えたカノンの面影など微塵もなかった。


 「ちょっと……。何、泣いているのよ」


 「いいんだ。気にしないでくれ。僕は僕の中で大切な何かを失っただけなんだ」


 僕は涙を拭って再びモキボに触れた。


 【カノンの右手に炎が宿った】


 力なくエンターキーを押す。すると。


 「おっ!おおおお!」


 カノンが興奮の声を上げた。今度はちゃんとキーボードで打ったとおり、カノンの右手に筋状の炎が螺旋を描き始めた。


 「す、凄い!ま、魔法、魔法が使えている!」


 魔法使いのくせに、魔法が使えることに興奮している。


 「ほら、ね?私凄い!凄い私!」


 「危ないな!近づけるな!」


 興奮し、我を忘れているカノンが炎が宿っている右手をこっち向けてくる。顔面が焼けそうなぐらい熱を感じたので、後ずさった。ところでカノンは熱くないのだろうか?まぁ、気にしないでおこう。


 「ちゃんと魔法を使えるようにしてやったんだ。さっさとケロベロスをやっつけろ」


 「ああ、そうね。そこからは私の仕事ね。さぁ、覚悟なさい!!」


 カノンが足を大きく開いて腰をやや沈める。気合を溜めているのか、はぁーと深呼吸をしている。


 魔法を使おうとしているのか、武術を披露しようとしているのか分からない状態だが、カノンの右腕でぐるぐると螺旋を描いている炎は徐々に大きくなっていく。


 「喰らえぇ!!」


 およそ魔法少女に相応しくない掛け声をあげて、カノンがケロベロスに向かって突進する。


 それまで無作為に炎を吐いていたケロベロスが突進するカノンに気付いた。三つの口からカノン目掛けて炎が伸びる。


 「どりゃぁぁっ!」


 その炎に向かってカノンが右拳を突き出した。今度はカノンの炎がケロベロスに向かって伸びる。まさに炎と炎の対決である。


 炎と炎がぶつかる。両者の炎の先端が互いを押し合うようにして反り上がったが、すぐにカノンの方が押し始めた。


 「す、すげぇ……」


 魔法の使い方など、もう完全に僕の想像の域を越えていた。まるで少年誌のバトル漫画の様相を呈してきた。


 「だが、これはこれで悪くないって思っているでしょう?」


 セーラー服が囁いてきた。図星なので反論できなかった。


 「シュンスケ君は浮気性だから、世界が安定しないんですよ」


 「おい、それってどういう意味だ?」


 「ほらほら、もう勝負がつきますよ」


 セーラー服は僕の質問に答えなかった。仕方なくカノンの方を見る。


 カノンの炎がケロベロスの炎を完全に押し返していた。瞬く間にケロベロスがカノンの炎に包まれた。


 きゅうんきゅうん、とらしくない可愛らしい鳴き声をあげるケロベロス。足元が覚束ないのか、巨体がふらふらと揺れている。


 「トドメェ!」


 もう止めを刺す必要など微塵もないように思われたが、ケロベロスの顔面目掛けて跳躍するカノン。炎を纏った右拳をケロベロスの鼻っぱしに叩き込んだ。


 クォォォォン。


 これこそ断末魔の叫びであった。殴られた衝撃で再び横倒しになるケロベロス。そのまま炎と共に光の粒子と化し、天に昇っていく。すると、周囲にあった夥しい樹木達も同じように光の粒子となって消えていった。


 「ケロベロスちゃんを倒したことで世界が是正されたようですね」


 シュンスケ君のいた世界に戻ります、とセーラー服は続けた。その言葉通り、森の中から見慣れた風景に変わっていく。見覚えのあるジャングルジムにブランコ。ここは学校からそれほど離れていない児童公園だ。スーパーに行く途中によく近道として使っていた。


 「魔法が使えるようになった……。私も自分の世界とやらに帰れるんでしょう?」


 感無量と言った表情でセーラー服を見るカノン。セーラー服は、ニコニコと笑っているだけで何も答えなかった。


 カノンも消える。僕も感無量になった。これで僕の想像とはほど遠い、暴力女が目の前から消える。喜びのあまり阿波踊りでもダンシングしたいほどだ。踊ったことないけど。


 しかし、カノンはちっとも光の粒子にならなかった。まだ生々しい肉体を晒している。


 「あ、あれ?」


 流石にカノンも消えないことに疑問を持ったのか、困惑気味にきょろきょろと周囲を伺う。


 「ま、魔法だけでも……」


 そう言って、右拳に力を入れるが、何も起こらず。右腕をぶんぶん振ったり、僕が教えた波のポーズをしてみても、ただ間抜けなだけだった。


 「ちょっと!どういうことなのよ!」


 「う~ん。よっぽどシュンスケ君とカノンちゃんの結びつきが強いみたいですね。戻らなくなっちゃいました」


 てへっ、と舌を出すセーラー服。非常に可愛らしいが、今はただむかつくだけだった。


 「「じょ、冗談じゃない!!」」


 僕とカノンの絶叫が誰もいない児童公園にむなしく響いた。

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