妄想しろ!生き延びたければ

 始業式は、新学年の一日目ということもあって、非常に早く終わった。


 全校集会と称して、体育館でお坊さんの声明の方が幾千倍ましと思える校長先生のくだらない話を聞き、その後、各クラスに戻って担任によるホームルーム。それで終了である。


 特に二年A組の担任になった名和年恵先生は、非常にホームルームが短いことに定評があった。教室に入り自己紹介もせず、要件だけをやたら早口で伝え、さっさと出て行った。この間わずか五分。去り際に『今日は新作ゲームが五本も出るんだ。仕事なんかやってられるか……』とかなんとか言った気もするが、気にしないでおく。とにかく二年A組は、全校で最も早く解放されたのは間違いなかった。


 他のクラスメイト達が思い思いに雑談に興じたり、のんびりと帰り支度を始める中、僕は年恵先生並の速さで教室を出た。新作ゲームが……ではなく、ぼさっとしていれば悪魔の襲来があるのでその前に撤収する必要があった。


 廊下を歩きながら中庭をはさんで反対側にあるF組の様子を伺うとまだホームルーム中。思惑どおりである。ほっと一安心していると、正面玄関のところで『もうすぐ密林様からゲームが届く……』と肩を怒らせて歩く年恵先生と遭遇したが、まぁ気にしないでおく。


 靴を履き替え校舎を出ると、流石に帰宅しようとしている生徒は皆無であった。このまま家に帰っても良かったのだが、折角早く終わったのだから買い物でもして帰ろうと思い、家とは反対側の方向に足を向けた。


 やはり清清しい朝だ。ああ、まだ朝と言ってもおかしくない時間帯なのだ。学校がある日に、午前中に帰宅できるとは、なんて素晴しいことなのだろう。午後からは『魔法少女マジカルカノン』の続きをラストまで一気に書き上げるか、それとも『メイドと執事のあれやこれ』の続きを見るか……。


 今日という一日は、まだ無限大にある。午後の予定をあれこれ考えていると、はたと思考が停止した。


 『魔法少女マジカルカノン』のことを考えると、どうしても昨晩のリアルすぎる夢のことを思い出してしまう。


 あれが夢なのは間違いない。いや現実だ直視しろ、と熱血元テニスプレイヤーに力説されても、絶対に信じないだろう。だけど、どうしてこうも心に引っかかるのだろうか?


 「痛かったもんな。あいつに殴られたところ……」


 寝返り打ってぶつけただけだ。そう信じ込んで頬に触れてみた。やはり痛い。


 「僕のカノンは、非力なんだ。あんな馬鹿力はない」


 確かあれは中盤辺りだったか。呪術で心を失ったワルシャーク枢機卿を助けるべく、カノンが古の宝珠『深く眠る精霊の鏡』が眠る『真実と嘆きの森』を探索している件だったと思う。そこでカノンは、宝珠の番犬であるケロベロスと対決することになる。しかし真実と嘆きの森は、魔法が使えない特殊な結界が張り巡らされていて、ナイフすら満足に使えないカノンは大苦戦をする。そこでカノンを助けるのが神聖龍騎士団の連中なのだ。


 「そうだよ。カノンは、銅の剣を持ち上げられなくて、神聖龍騎士団の連中に笑われるんだ。それでいて、獰猛なケロベロスの前では何も出来ず、ただ逃げ惑うだけなんだ」


 紺色の毛並みを持つケロベロス。狼の面を三つ持つ獰猛な魔獣だ。


 「グルルルルルゥゥ」


 そうそう。こういう大地を震わすような低い唸り声をあげるのだ。


 二トントラックほどの大きさがあるケロベロスは、鬱蒼と茂った木々をなぎ倒し、カノンに迫るのだ。


 バキバキバキ。


 そうそう。こんな感じ。最初はゆっくりと、恐怖を駆り立てるようにひとつひとつ木をなぎ倒すのだ……。


 「……!!」


 僕は目を見張った。スーパーへ行くために、学校近くの住宅地を歩いていたはずなのに、風景が一変していた。


 「も、森?」


 端的な言葉で片付けるとすれば、それしかなかった。背の高い樹木が周りを囲み、枝と葉が天を覆い、太陽の光を遮っていた。住宅はおろか、人工の建築物すら存在していなかった。


 この近所に森林公園でもあっただろうか?いや、そんなものはない。学校周辺は、市内を見渡せる小高い山の上にあるのだが、宅地開発が進んでいるのでこんな大規模な森林地帯があるはずがなかった。


 「まさか、ここって……」


 僕が考えていた真実と嘆きの森のイメージに近い。


 「僕の妄想が現実化している……」


 昨晩のことが現実だとすれば、辻褄が合う。だが、あまりにも非現実的な考えだ。


 「いやいやいや……。これも夢なんだ」


 今朝、悪魔に襲われたせいで、悪夢に魘されているだけだ。きっと本当の僕は、教室で居眠りしているに違いない。


 悪夢から覚めようと首をブンブンと振る。後をちょっとだけ振り向いた時に、目が合ってしまった。


 獰猛な六つの獣の目が、僕を見下ろしていた。


 紺色の毛並み。二トン車ぐらいの大きさ。三つ首の狼。


 「ケ、ケロベロス!!」


 叫ぶと同時に僕は逃げ出していた。


 こう見えても運動神経には自信がある。周囲からは『オタクにあるまじき運動神経』と言われるほどで、陸上部である美緒から度々しつこく勧誘を受けるほどだ。あっと言う間に、ケロベロスとの距離が開いた。


 だが、ケロベロスの野郎は余裕があるのか、ゆったりとした足取りで追いかけてくる。畜生!なんて悪夢だ。覚めるなら、早く覚めてくれ。


 何もかもカノンモドキが悪い。僕は、疾走しながらカノンモドキを呪った。そもそもあいつせいで、不愉快な夢を見たのが悪いのだ。


 「くそっ!!責任取れよ!カノン!」


 とにかく助けろ。そう強く念じた瞬間だった。僕とケロベロスのちょうど中間あたりに、昨晩カノンモドキを生み出したあの光の球体が出現した。球体はすぐさま消え、あのぺったんカノンモドキが姿を現した。


 「何よここ?げっ!ケロベロス!?」


 カノンモドキは、ケロベロスを一目するなり驚きの声を上げた。


 「よりにもよって『げっ!』って何だよ!そこは『きゃっ』と言って尻餅をつくんだよ!」


 場違いかと思ったが、指摘せざるを得なかった。身の危険よりも、これ以上カノンを汚される方が我慢できなかった。


 「あんたは昨日のスケベ将軍!」


 スケベ将軍?どうしてそんな不名誉な名前をつけられたんだ。


 「まさか、あんたが……?」


 驚愕と戸惑いの表情がカノンモドキの顔に浮ぶ。しかし、その背後で三つの口を大きく広げたケロベロスがけたたましく咆哮した。


 「に、逃げろぉぉ!!」


 もはやカノンモドキに構っていられなかった。文字通り脱兎のごとく逃げ出した。


 「ちょっと!待ちなさいよ!」


 振り向くとカノンモドキが追いかけてきた。さらにそれを追うようにして、ケロベロスが飢えた狼のように駆けてくる。


 「ついて来るな!ぺったん!」


 「ぺったん?何よそれ?それよりも、あんたに聞きたいことがあるのよ」


 カノンモドキは、息を切らすことについてきた。なんて体力のある奴なんだ。


 「あんたが、魔法を使えるようにしてくれるの?」


 「はっ?」


 「魔法よ、マ・ホ・ウ。あの女が言っていたのよ」


 「What?」


 「この世界に私を呼んだ人間が、魔法を使えるようにしてくれるって言っていたのよ。あの女が!」


 グオォォォッ!


 ケロベロスの咆哮がかなり近くで聞こえた。いくら足に自信があっても、体長が遥かに大きいケロベロスを引き離すことは不可能であった。目と鼻の先、とまではいかないが、ケロベロスの三つの顔がかなり近くまで接近していた。


 グオォォォッ!


 「うるさい犬ね!」


 僕と併走していたカノンモドキがくるっと華麗に体を回転させた。すっと九十度に伸ばした足が。突っ込んでくるケロベロスの顔面を捉えた。


 「回し蹴りだと!」


 僕が顎が落ちんばかりに驚愕していると、ケロベロスが横滑りするように吹っ飛んだ。強烈な回し蹴りだ。


 もはやこやつはカノンどころか、魔法少女ですらなかった。俺よりも強い奴を捜し求める格闘家だ。


 「ふぅ、すっとした。これでゆっくり話ができるわ。で?あんたが魔法を使えるようにしてくれるんでしょう?」


 カノンモドキは、さも当然であるかのように落ち着いていた。


 「今更ながらひとつ分かったことがあった……。お前は、カノンでなければ魔法少女でもない。単なる格闘家だ」


 「はぁ?何を言っているの?私はカノンよ。カノン・プリミティブ・ファウ。聖ホロメティア王国の魔法使いよ」


 くそっ。フルネームも設定も『魔法少女マジカルカノン』と同じだ。だが、認めんぞ。


 「最近何かの魔法のせいで、よく変な世界に飛ばされるのよね。で、飛ばされている最中に出会った女が、この世界の男性から魔法を使えるようにしてもらえるって言っていたんだけど、それってあんたのこと?」


 「いろんなところに突っ込まないといけなんだけど、ひとつ言わせろ。お前、魔法使えないのか?」


 カノンモドキ―いや、もう仕方がないからカノンと呼ぼう。カノンは、さっきまでの強気な表情を潜ませ、目が泳いでいた。


 「使えないわよ……」


 「え?」


 「つ、使えないわよ!悪かったわね!」


 怒りと羞恥心がこみ上げてきたのだろう。カノンの顔は真っ赤だった。


 「そうかそうか。じゃあ、お前は僕のカノンじゃないな。さっさと自分の世界に帰れ!」


 「いやよ!本当にあんたが魔法を使えるようにしてくれるのなら、梃子でも動くもんですか!チョークスルーパーをしても使えるようにしてもらうんだから!」


 カノンがレスリングの選手のように身構えてきた。やばい。この世ならざる化け物の次は、凶悪な格闘家を相手しなければならないのか。


 「知ってる?首を絞められると、だんだん気持ちよくなっていくのよ。だから、早い段階でタップしてね。じゃないと、魔法を使えるようにしてもらえないから」


 「待て待て!魔法を使えなくても、格闘家として身を立てていけるだろ?ケロベロスを一撃で倒したんだから」


 「駄目よ!魔法使いじゃないと!お父さんやお母さんみたいな大魔法使いになるんだから……」


 大魔法使いである両親に強い憧れを持っている。これも僕が考えた設定と同じだ。認めたくないが、こいつは僕が考えたカノンらしい。


 だとすれば、二つの疑問がある。


 一つは、僕の考えた小説のキャラや設定が顕在化しているということ。仮にこれが夢の世界だとしたら、どうしてこんな夢を見るのだろうか。


 もう一つは、キャラの設定が微妙に違っていることだ。顔立ちや名前、両親に憧れているなど共通している部分もあれば、魔法が使えなかったり、胸が貧相であったりと異なる部分もある。要するに中途半端なのだ。


 「なんだよ。まるで僕に小説家としての技量がないみたいじゃないか」


 僕の落胆をよそに、カノンが捲くし立てる。


 「それに魔法デスターク・エビルフェイズを倒すには『白き魔法の杖』が必要で、それを得るには大賢者達の試練を受けないといけないのよ」


 「あー知ってる知ってる。試練の間では肉体的な攻撃が一切通じないからな。総合格闘家のお前では無理だ」


 「どうして知っているのよ……」


 原作者だからな、と言うとして口をつぐんだ。


 「私の名前も知っていたし、大賢者達の試練についても詳しいのなら、魔法を使えるようにできるでしょう!なんとかしてよ!」


 感情が高ぶってきたのか、やや半べそで懇願するこのカノンは、ちょっと可愛かった。こういう件を入れてみるのも悪くない。


 「気持ちは分からんでもない。ぺったんこと魔法が使えないというのはセットらしいからな。だが、どうやって魔法を使えるようにするのか皆目分からんのだ」


 「ぺったんこって何よ?……あっ!!」


 カノンが僕の視線の先に気付いたらしく、右腕で胸を隠しながら、左手で強烈なびんたを放ってきた。強烈なびんただ。脳震盪を起こしそうだ。


 「やっぱりスケベ将軍ね。もういい!」


 ぷいっと背を向けるカノン。


 「おい待てよ!状況を説明しろよ。お前が僕のカノンだとすると、ここはどこなんだ!」


 「僕のカノン?いつから私はスケベ将軍のものになったわけ!?」


 指をぼきぼき鳴らしながら振り向くカノン。待て待て。これ以上肉体言語にものをいわされたら、脳震盪どころではすまない。


 グルルルルゥ……。


 ケロベロスが苦しげに呻き声をあげながら、よろよろと立ち上がった。これはラッキーだ。


 「ほ、ほら。ケロベロスが立ち上がったぞ。関節技でも右ストレートでもいいから、あいつ倒せよ」


 面倒くさそうにケロベロスにメンチをきるカノン。こいつ、とことん僕の考えたカノンとは違う行動をとりやがる。こういう場合、僕の考えたカノンなら『ここは私が引き受けるから』と健気なことを言うのだ。


 口から炎を吐くケロベロス。その炎がカノンを掠める。服の所々が燃えてなくなり、あられもない姿になっていく……。いいな、この件。ケロベロス戦の中に挟んでいくか。


 などと思っていると、僕の目の前にいるケロベロスも、口の中に炎をため吐き出してきた。


 「うわぁぁぁっ!」


 ケロベロスの吐き出した炎の玉が地面にぶつかり、土が弾け飛ぶ。地面にできた大きな窪みが、威力の大きさを物語っていた。


 「ほ、炎を吐いたぞ!」


 「見れば分かるわよ!でも、私の知っているケロベロスは、炎なんて吐かないのに」


 ケロベロスが三つの口から手当たり次第に炎を吐き出す。一瞬にして周囲が火の海になった。


 「に、逃げろぉぉぉ!」


 火の手に囲まれる前に逃げるしかない。さっきの全力疾走とカノンの一撃で随分と体力を奪われていたが、不思議と体が動いた。これこそまさに火事場の糞力なのだろう。


 併走して逃げるカノン。ピンチなのに動揺の色もなく、平然としている。


 「おい!さっきの回し蹴りみたいな技で倒してこいよ!」


 「無理よ!あれだけ炎を吐かれたら、近づけないわよ」


 ケロベロスは、立ち止まったまま延々と炎を周囲にぶちまけている。確かにあれでは近づけまい。


 「魔法でも使えたら……」


 悔しそうに言うカノン。ああこういう表情も悪くないと思ってしまったが、今はそれどころではない。このピンチを脱するには、逃げ切るか、ケロベロスを倒してしまわなければならない。


 「魔法か……」


 ふとその言葉で思いついたことがあった。カノンの口ぶりでは、本来のケロベロスは炎を吐かない。僕が執筆した『魔法少女マジカルカノン』の中でもケロベロスが炎を吐くことはない。でも、僕がケロベロスが炎を吐くシーンを想像したら、奴は炎を吐いてきたのだ。


 やはり、僕が想像するとそのとおりのことが起きているのだ。


 「よ、よし。カノン。僕が魔法を使えるようにしてやろう」


 「えっ!本当?」


 ぱっと顔が明るくなるカノン。


 「構えるんだ、カノン。掌と掌の付け根を合わせて、左のわき腹に持ってくるんだ」


 「こ、こう」


 カノンが言われたとおりの動作をする。その間も僕は想像、いや妄想する。カノンがなんとか波を出す姿を。


 なんとか波を出すカノン。一直線に伸びる波は、ケロベロスを貫き、一撃で倒す。完璧だ。


 「そのまま両手を突き出せ!波って言うんだ!」


 「波っ!」


 カノンの手に集まっていた光が筋となり、まっしぐらにケロベロスへ……。

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