第272話「仮説」

「おーい、おじさーん!」

 社地は弾けるような声で我に返る。大祓詞を忘れるほどに霧へ気を取られていた。しかし茨木の方も何やら身体を強ばらせている様子だった。

「おじさんってばー、聞こえてる?」

「え……ええ、どうなさいましたかマチネ様。ひかり様を追いかけていらっしゃったのでは」

「ハルちんに取られちゃったから戻ってきたの。けいちんと一緒に」

 奎介は小さく頷いた。一度目配せをし合った二人は茨木へと向き直る。夕陽に照らされた鼻筋がくっきりと足元に影を落とした。茨木の真正面に来たマチネと奎介がおもむろに口を開く。

「茨木童子。大江山で渡辺綱と戦っていたところを敵わないと逃げ出し、唯一生き延びたとされる鬼……。でも変だよねー」

「何故、両腕揃っている?」

「伝説上の君は片腕を切り落とされてるはずでしょ。奪い返した後にくっつけたの?」

 地面へ亀裂が走った。こめかみに青く筋が浮かび、茨木は牙を剥き出して語気を荒らげた。

「俺にその屈辱を思い出させるなッ!」

「そういえば、陰陽道の安倍家と手を組んでた時があったらしいじゃん? あの家の誰かなら、君の腕を元通りに出来たのかもねー」

「黙れ女ッ、誰が口を開いていいと言ったんだ!」

 金棒を握る手に力が入った途端、社地の大祓詞の声が大きくなる。動こうに動けない状態で歯ぎしりをする茨木の前でマチネは一回転してみせる。

「腕を治すことを条件に、君は安倍晴明に従ったんじゃない? そして途中からママの天逆海が入ってきて旧都急襲、今に至るっていうのがウチの仮説なんだけどー。……どう?」

「──ああ、その通りだ。初めは手先の鬼を適当に貸してやった。だが勘づかれこの失態だ」

「君、割と天逆海とは意見が分かれてるみたいだね」

 マチネの言葉に茨木は素直に答えた。

「あいつは何か話すごとに意見が変わる。ただ、今は死屍子の力を手に入れたがっているらしいがな」

「君はそれに反対ってことねー」

「あれほどつまらん者にこの絵図を乱されてはたまらん。俺はあくまで陰陽師と天明の麒麟児が描いた構図の先を見に、戦っている」

「それを聞かせてもらおうか」

 二人が少しずつ近づいていく。マチネのつま先に人の亡骸がぐにゃりとぶつかった瞬間、茨木が不気味に表情を歪ませた。

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