第269話「隠」

「遼はまだ世の摂理を知らぬ童じゃ。彼が此度の命運を背負うには些か体躯が幼過ぎる」

「そやね」

 いつになく険しい表情を浮かべた千愛に真正面から向き合い、あられは柔らかな毛並みをそよがせる。塵芥の舞う風が二匹の間を激しく吹き抜けた。

「あやつの不穏な動き、あれは何じゃ」

「分からへん。あん人はいつも一家を盛り立てることばっか考えとるんよ」

「そのために周りが見えなくなってはおらぬか。そして、お前さんはそれを止める役目であろ」

 遼がまだ言葉も知らなかった頃からあられは彼に仕えてきた。あらゆる邪悪から遠ざけ慈しみ、庇護し続けた。そうしているうちにいつの間にか、彼は夢見がちな青年になってしまったのだ。

「この不信の世、特に妖怪を嫌う現在の風潮の中で式神を駆使する安倍家は排斥の的……。夢物語なんは遼はんも知っとるはずや」

「全く話が分かりマセン。そのリョウというヒトがどうしたんデスか?」

 リリィが首を傾げながら、膝に頭を乗せた弟のくせっ毛を弄ぶ。玉菜前が睨み合う二匹の代わりに口を開いた。

「安倍晴明の息子に遼という人間がいるのだけど、彼が少し視野搾取気味なのよ。前から危険かもしれないと千愛様はおっしゃっていたわ」

「ふーん、それであの狸が来たのか。あいつどっかで見たことある気がするんだけど……」

「社地はんとこやで」

 ポッと人間の姿になったあられが再び千愛に向き直り、話を続ける。

「遼はんは特異点の情報を求めとる。そこをまるっと安倍家で買い取って、何やら事業を興す気らしいわ」

「ふむ。しかし話が読めぬな、その目論見が何故茨木に繋がってゆく?」

「茨木童子っちゅうか、天明の子御一行んとこの娘はんにご用事なんよ。熱と冷気を操る方の」

「マチネのことじゃん。マジで意味分かんないんだけど」

 ますます眉をひそめる翠とリリィに対し、狐狸の二匹は顔色を変えた。ふっくらとした七尾がいきり立ち、千愛がパシンと扇子を閉じる。

「その娘を神隠ししてしまおうとな?」

「……せやね。やっぱお母はんらは頭ええな、一生敵わんわ」

「やめさせなさい! それは禁じ手とされているのよ。人外は人間の部類でしょう、人と妖は分かれて暮らさなくてはならないわ」

「ククク……それは出来ない相談だねェ」

 不意に飛んできた金の細い鎖があっという間に千愛を絡め取る。抜け出すのが一歩遅れて、彼女は小さく呻いた。血相を変えた玉菜前が手を結ぼうとする。

「おっとォ、動かれちゃ困るなァ。焦ったらボク、こいつ殺しちゃうよォ」

 瓦礫の山の上、シロウサギが笑っていた。

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