第270話「頭の中身」

「千愛様になんて無礼な……!」

「そう怒らずとも良い」

 半狂乱の玉菜前を宥めるように、彼女は穏やかだった。途端にシロウサギの表情が変わる。

「冷静になられちゃうとつまんないよォ。腕の一本くらい折っちゃおうかなァ?」

「やめてッ」

「ククク、おもしろーい」

「あまりわれの妻を弄ぶようならば、お前さんがこの鎖で絞め殺すより先にわれがその命断ち切ってやろうぞ」

 千愛の剣幕にシロウサギはさらに大きな笑い声をあげる。心底楽しげな顔はふとジャスの方へ向けられた。眠りについている彼の鼻筋を見つめる。

「帽子屋に似てる顔だなァ」

「ジャスは渡さないカラ」

「恐いねェ。ボク、気持ちよくなってきちゃったよォ」

 静かに、しかし確実にリリィの周囲を重たい感情が這った。その気配に気づいたのか、シロウサギは身体をくねらせる。

「コレ、コレだよォ。童話には有り得ないこの感じがたまらないなああァ!」

「一匹で快楽に浸らず、説明したらどうなんじゃ」

「あァ、それもそうかァ。じゃあそれは任せちゃおうかなァ。ボクはもっとこの街の殺意を浴びてたァい……!」

 途端に粘土をこねたようにシロウサギの姿が歪み、アリスが姿を現す。困惑した様子の彼女は手にしたままの懐中時計を見、その先に囚われた千愛に気づいた。

「ごめんなさいっ、これ彼じゃなきゃ解けないの! えっと……わたしは何を話すんだっけ?」

「安倍遼についてよ、早くしなさい」

「そうだった。これからその男の人がカンダガミネマチネ? を神隠しするの。その場所にいると皆が邪魔しちゃうから、ここで待っててほしいんだって」

「なんでそうするの?」

 アリスは記憶を辿るように金髪を撫でつける。少しして勢いよく顔を上げた。

「わたしはよく分からないんだけどね、何か頭に大切なものが埋まってるって言ってた」

「頭に……?」

「そう。センセーっていう人がね、最高傑作をあげたんだよって」

「つまりそいつは頭の中身が欲しいってことか。その考え方、ちょっと危ない気がするけど」

 翠が顔を曇らせる。リリィも眉をひそめ、全体の空気が沈んだ。千愛は絡みついた鎖を指先でなぞる。

「もはや命運は彼女自身の手の中、かのう」

「皆、顔が恐いわ」

 アリスも何かを察したように周りの顔を見て泣きそうな顔をしていた。

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