第254話「魔女譲り」

「貴方は本当にそれが好きなのねえ」

 まだジャスが子供だった頃、母は熱心に机へ向かう彼を見て朗らかに笑っていた。いくつもの小瓶が棚に並べられ、蒸留器からうっすらと花の香りが漂う。ジャスはアロマの魔法が一番気に入っていた。

「作るのが簡単でかける魔法も幅を広げやすいですし、母上が最初に教えてくれたものですから」

「あら、百合の香り。新作ね?」

「そうです。でもこれはただのアロマですよ」

 冷却部を通り抜けてきたチューブからフローラルウォーターが滴り、エッセンシャルオイルが分離する。これをジッと眺めている時間が至福だった。

「お友達に会いに行く時間でしょう。そろそろやめたら?」

「あと少しで終わるので」

 上澄みのエッセンシャルオイルをスポイトで吸い取り、真新しいハンカチに垂らす。ぐっと百合の香りが強くなった。

「母上。リボンはありますか?」

「包みも箱も用意してあるわ。その子が好みそうなものを選んで」

 何でも母にはお見通しらしい。ラッピングに鮮やかな桃色のリボンをかけて、慌てて家を飛び出した。街まで少し距離がある。さらに足を早めると心臓が痛かった。公園のベンチに腰かけていたリリィはパッと顔を上げる。

「ジャスってば、そんなに急がなくていいのに」

「女性を待たせるのは紳士的じゃないから。

……これを、貴女に」

「何? わあっ、素敵なハンカチ!」

 リリィの笑顔が鮮やかに広がる。白いレースのハンカチはまさに無垢だった。

「いい香りね、アロマかしら」

「抽出方法を母から教わってるんだ。母はそういうのが得意な人だから」

 魔女や淫魔と知られればすぐさま叩き殺される時代で、皆が素性を隠して生きていた。二人は声を潜めて言葉を交わしながら日が暮れるまで遊びに興じ、町外れで別れる。

「おかえりなさい。プレゼントは気に入ってもらえた?」

「はい」

 満足げに表情を綻ばせるジャスの頭を母がゆっくりと撫でる。

「もう少し攻撃的なメイク魔法も覚えなさい。きっと貴方には必要になるわ」

「どうしてです? こんなに平和なのに」

「平和とは現状を見えなくさせる魔法の言葉よ。愛したいなら、護りなさい。そして護るために力をつけるの」

「僕にはまだ、分かりませんが。母上がおっしゃるなら」

 そうして渡されたのがアイライナーやブラシ、リップなどの魔女のメイク道具だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る