第148話「あの日」
「お兄ちゃん、待ってよ!」
「へへ、早くしないと見られなくなっちまうだろ」
学校の帰り道を光明に手を引かれて走っていた。兄は息の切れてきたひかりを励まし、二人分の荷物を持って坂を下る。鳥居をくぐって本殿の戸を薄く開けるあかりが一心不乱に祝詞を唱えていた。
「葦原中国より遥か空高く、高天原を治めおわします我々が主へ申し上げまする。高天原に神留坐す……」
「来るぞ……ほら、おいで」
膝に抱くようにひかりを前にしてくれて、二人でそれを見つめる。次第に本殿の奥が淡い光を帯び、その中からぼうっとしたものが浮き上がってくる。
「聞こしめせと恐み恐みも白す」
明確にあかりの正面へ姿を現した光の輪郭はくすりと笑い、光明とひかりへ手招きをした。
『隠れてないで、もっとこちらへ』
「──あらあら。もう学校から帰ってきていたのね、おかえりなさい」
「あっアマテラス様に近づくなんて、えと、おそれ多いですっ」
光明が頭を下げ、ひかりはその背後へ身を潜める。アマテラス達は顔を見合わせ、柔らかく微笑んだ。あかりが二人の背を押して中に招き入れ、アマテラスの正面に座らせる。二人の頬にそっと温かな手が触れた。
「アマテラスさま、あったかーい」
『光とは常にこの世を照らし、凍えてしまわぬよう包み込むものなのです。その使命は変わることがないのですよ』
「じゃあアマテラスさまはずーっと、わたしたちを見守ってくれるの?」
「ばか、ひかり。アマテラス様には敬語使えよっ」
光明が慌てて肩を叩くが、アマテラスは緩く笑うだけだ。あかりが二人の頭を撫でてそうっと抱き寄せた。
「そうね。見守っているわ、永遠に」
「やさしいんだねー」
光明とひかりの腹が勇ましく鳴いた。赤面する二人の手を引いてあかりが本殿を出ると、アマテラスも姿を消す。
「アマテラスさまが見守っててくれるなら、お母さんもずーっといっしょだよね!」
「……ええ。私はあなた達の母親よ」
どこへ行っても。二人は首を傾げるだけだったが、あかりはすぐに元の調子へ戻った。
「今日のご飯はちらし寿司よ。たくさん食べて大きくなってね。光明の好きな桜でんぶと、ひかりの好きな玉子、いっぱい入れておいたから」
「やったー!」
「桜といえば、もうすぐだよね。絶対に見に行こうよ母さん」
結局、光明のその願いが叶うことはなかった。母が消えたのは次の日の朝、桜が二輪だけ咲いていた日のことだった。光明が何度失せ物探しをしても、親戚一同で儀を執り行っても、あかりはこの世のどこにもいなかった。
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