第58話「一週間」

「もう一週間か」

 天明都に行くまでに二日、研究科でテストを受けるのに四日と使い、夜が明ければ七日目になる。資料などが詰め込まれた袋を担いで走りながら、深夜の街並みを眺めた。ひかりと対面したあの街は人が賑わう繁華街だった。今は何をしてるだろう、アマテラスに憑依されていない間は人間らしく生活できているのか。あの家の電話番号は教えられたので、ホテルに帰ったらかけてみようかと思いつく。

「アマテラス様。……もういないか」

 やはり深夜には出てこないらしい。つい気が抜けて独り言が漏れた。

「会いたいなぁ」

 数時間かけて来た道のりも、全力で駆け抜ける帰りは一瞬だ。どうせ大学の騒動で静かに街は抜けられないだろうから、ひかりのところへは思いっきり走って帰ろうと思った。その前に一度、声が聴きたい。ホテルの陰で「変貌」のアロマを両手に垂らし、明かりの落ちた近くのショーウィンドウで確認した。

「……おかしいな」

 小瓶のラベルは確かに「変貌」とある。しかしそこに映っているのはいつもと変わりない妖怪だ。ジャスの説明を思い出してみるが、なんと言っていたか。一旦アロマを拭い取り、ポケットから別の小瓶を取り出して眺める。

「んーと……これなら、うん、いいかもな」

 それは緑の液体が入っている。一滴ずつ垂らして擦り込むと、心が落ち着くような穏やかな香りだった。よし、と意気込んでひと気のないロビーへ入る。深くフードを被ったまま受付に行き、やや警戒した様子のフロントクラークへ一言告げた。

「よく聞いてくれ。『私は妖怪ではない』」

「はい」

 パッとフードを外し、素顔を晒す。そのクラークはどこかぼんやりした目でハルを見ていた。普通この態度ではクレームがいきそうなものだが、ハルとしては好都合だ。

『ジャス=フランネツィカの部屋の番号を教えろ』

「はい。3018でございます」

『私の姿はアンタの記憶には残らない』

「はい」

 ベルボーイの立つエレベーターは避けて階段を駆け上がる。部屋番号からして最上階だ。ハルは小瓶のラベルを指で撫でた。

「変なもの作るなぁ、ジャスって。こんな「同意」の匂いなんて、もし悪用したら何でもできるんじゃないか?」

 この匂いを嗅いだ相手には自分の告げたことに必ず同意させ、さらに自分の言ったことも実際にそうなるアロマが「同意」だ。ハルは首をすくめて、3018の扉をノックした。

「ハルだ」

「あ、おかえりー。こんな深夜に帰ってきたのー?」

 寝ているかもと思ったが、扉はすんなりと開いて中に入れた。時計が指すのは午前三時、奥を覗くと乱れたベッドとテレビの微かな笑い声がした。

「アンタはなんで起きてるんだ」

「ちょっと眠れなくてー。てかここ最高、追加料金払わなくても映画が見放題なんだけどー! しかも眺めすっごいし、君ってすごいんだねー」

「私じゃなくて、私の仲間がね。何か変わったことはなかったか」

「ご飯が死ぬほど美味しかった」

「あ、あぁ……よかったな」

 そうじゃないんだけど、と頭をかくハルを尻目に、マチネはまた映画鑑賞へ戻っていった。

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