第44話「早々に」
軍と鉢合わせることもなく、どうにか街の見える丘までやってきた。後は下まで一本道だ、周囲には民家も点々と建ち、真上に近くなった太陽が空気を温める。荷物を背負い直したハルは下を見下ろし、表情を歪めた。
「入ってくる奴らを調べてるところがある」
『検問所ですね。ところでわたしには見えませんが』
「妖怪の視力は馬鹿にしちゃいけないよ、アマテラス様。他の妖怪は知らないけど、私の目なら一キロ先の人間の瞬きが見える」
『どんな視界なんでしょう、想像もつきませんね』
ハルはリュックの小ポケットから透明な液体の入った小瓶を取り出した。ラベリングは「変貌」だ。これを一滴ずつ左右の手の甲へ垂らし、塗り込む。そしてリュックをまた背負い、ゆったりと一本道を下る。
「すみません。天明都へ入りたいのですが」
「はいはい、身分証明になるものはあるかね。顔写真付きのものがいい」
「これでいいでしょうか」
ハルが差し出した自動車免許証に刻字されているのは「ジャス=フランネツィカ」だ。ジャスは表向き、リリィの財閥幹部である。あの小瓶は見た目を変える変装のアロマである。両手へ擦り込むだけでいいのだ。
「通ってよし」
「ありがとう」
小ポケットにはこの他にも有用なアロマが詰められている。淫魔と魔女の間に生まれた彼は相当器用なのだとハルは感心した。
「しばらくこの見た目でいた方がいいかな。何かあっても困るし」
『好きになさい』
しかし女性達の目線が嫌になり、すぐ手を洗って効果を解くことになった。街中を眺めて歩き回る。天明都は昔からこの国の中心だ、そのために人が多く交通機関は入り組んでいる。戦闘になれば大混乱は避けられないだろう。
「天明大学は、えーっと……?」
「案内するよォ、ククク」
「出たなシロウサギ、今度こそ叩きのめす」
目も向けず胸ぐらを掴み上げ噛みつく仕草をしてやると、ウサギらしく震え上がるフリが返ってくる。周りの人間が一斉にどよめき、悲鳴まで聞こえてきた。
「妖怪が何故こんなところに!」
「軍を呼んでよ、誰か!」
「あぁもう、喧しいねェ。みんなアリスみたいに落ち着きがあればいいのにさァ」
シロウサギは構う様子もなくハルについてくる。うんざりとしながらハルは天を仰いだ。軍が遠くに見えたのだ、通報されたのだろう。
「アンタのせいで面倒なことになったじゃないか」
「キミの邪魔をするのがボクの仕事だからねェ」
「そこの一人と一匹、止まれ」
立ち止まったハルは荷物を下ろすよう命じられ、大人しく従った。両手を上げて無抵抗の意思を示し、銃口を見つめる。
「じゃボクはここら辺でェ……バイバーイっ」
「片方が逃げたぞ、追え!」
シロウサギは軽やかな身のこなしで人の群れを飛び越え、最後に振り向いてウインクをしてみせた。ハルも逃げると思ったのか、軍が飛びかかってきて取り押さえられる。
「また遊ぼうねェ、ハルー!」
「誰がッ、アンタなんかと……! 待てよシロウサギィ!」
「連れていけ」
『今は大人しく捕まりなさい。人の目があります』
「チィッ……!」
身体の至るところが痛む中、ハルは全身の力を抜いた。
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