第36話「あたたかな冷徹さ」

 隙間風のようなノイズが部屋の中で反響している。それに加えて浅い呼吸とたまに血の溢れる音もあった。バクが青ざめた様子でハルを睨みつける。

「どう、して……この姿はお前、に……大切な人じゃ」

「そりゃ傷つけたくない人だけどさ、さっきも首を撥ねたし今さらって感じだろう。胸が痛くて仕方ないよ」

 ハルは落ち着いていた。一度目のあの姿が頭をよぎったが、一瞬で別の感情にかき消されてしまう。低く唸るように笑ったハルは指を突き刺したまま、いやに優しく声をかけた。

「精神世界っていうのはいいもんだなぁ。変幻自在なおかげで、強く念じればそれができるんだから」

「無意識の……領域で、それをするのは、普通……でき、ない……っ」

「でもやれたからいいだろ?」

 バクはまたクククと笑った。

「冷徹なんだ、ねェ……お前……」

「そうかな。私は結構、妖怪にしては温厚だと思うんだけど」

「ぜェ……ッ」

 震える手が持ち上がり、ハルの目の高さで止まった。もうバクは気管を潰され声も出ない様子だったが、声だけが再び天井から降り注ぐ。

『あたしは夢に住みつくバクなのよ、ここの全てはあたしが掌握してるあたしの城だよ!』

「チィッ!」

 ハルがその首をねじ切るよりやや早く、指がパチンと微かな音を立てた。それを合図にいくつもの手が現れてハルを掴み、どこかへ引きずっていく。城から追い出されるのだと悟った瞬間、ハルの赤眼はひかりの姿を捜していた。

「ひかり」

「は……ハル、これは一体……。きゃあっ!?」

「案内役が外まで連れていってくれるらしい、帰り道がなくて困ってたんだ」

 どうにかひかりを拾い上げて、二人は上へ向かっていく。次第に外の音や色彩が分かるようになり、五感が帰ってきたのだと感じ取れた。

「あの声の主をどうしたのですか」

「息が苦しそうだったから、楽にしておいたよ。迎えが遅くなってごめん」

「いえ……」

 目を伏せたひかりを覗き込んで、また怯えているとようやく理解した。しかしおそるおそるではあったが顔を上げ、ハルを見つめる。

「妖怪は嫌いですが、あなたは少し違う気がします。冷徹なのにどこか温かみがあるような……不思議な感覚です」

「……まあ皿洗いのできる人喰い妖怪は、滅多にいないだろうな」

「皿?」

「独り言だよ。さ、アンタとはここで一度お別れだ、今日は疲れただろうからぐっすり眠るといい。話したいことは色々あるが、のんびり待ってるよ」

 するりとハルの手を抜けてひかりが取り残される。瞬く間に点となったひかりをいつまでも見下ろして、ハルはほんのりと口角を上げた。

「私は違う、か。妖怪としては半端だけど、それもありなのかな」

 意識が羽毛のような心地よさに溶けていった。

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