第99話:因果を断つ

「無事に行けたかな?」

「これ、どうやって成功したか調べるの?」

「前回の歴史改変を参考にすれば、一日経っても変化が無ければ成功ととれるのでは無いでしょうか」

「結構、雑ですよね」


 ワルキューレの転移を見送ったゼウス達は、街の外れの家屋に滞在すると、エルフの森と繋ぐ魔法陣を設置し一夜明けてから帰る事にした。




「んぁ……」


 朦朧とした意識の中、目を開けると半分田んぼに突っ込んでいる自分が見える。

(うまくいった……のかな?)

 セミの鳴き声が耳に刺さりそうな程鳴り響く中、周囲を見渡すと古い農村っぽい家屋が所々に点在しており、いかにも昔の田舎と言う風情を醸し出している。


「そんなとこで何やってんだ?」

「ふぇい?」


 突然声をかけられ、びくっと振り返るワルキューレ。そこには坊主頭の同い年くらいの青年が立っていた。


「あ、ちょっとふらついて、田んぼにはまってしまって……」

「どんくせぇな、ほれ」


 屈託のない爽やかな笑顔で手を差し出してくる青年に、ワルキューレが無意識に手を出すと一気に引き上げられる。


「わわっ!」

「!」


 勢いあまって青年の胸に飛び込んでしまったワルキューレは、急に恥ずかしくなってすぐに飛び退く。


「すまねぇ」


 青年も気まずかったのか、一言謝ると視線を逸らした。


「はいからな服だな。疎開もんか?」

「え、……!」


 視線を外す青年に、何かまずいものでもついているかと思った自分を見回す。

 転移の為装備を外していたワルキューレは、ワンピースが水にぬれて肌に張り付き体のラインがくっきり見ている事に気付いて更に顔を赤くするのだった。


「そのままじゃ泥くせぇから、家で風呂でも入っていけ」

「え、でも……」

「母ちゃんがいるから心配すんな」


 身の危険を感じて警戒していると思ったのだろう、青年はそう言うとワルキューレの手を引いて歩き始める。

(どうしよう……、でもこんな格好じゃ目立つし、泥臭いし、あと、恥ずかしいし……)

 こっちの世界で力が残っているのかまだ試していなかったが、いざとなったら暴れて逃げようと考えながら、ワルキューレは手を引かれるままに着いて行った。


「母ちゃん! 都会もんが田んぼにはまって泥だらけやけん、風呂入れてやって」


 五分もしない内に入った家で、青年は声を張り上げると母親の登場を待つ。


「なんねぇ? まぁまぁどしたん、よう汚れたなぁ」


 どうしてこんな事態になったのか理由も聞かず、青年の母親はワルキューレを風呂に入れ汚れた服を洗濯してくれた上に、乾くまでの服も貸してくれた。昔の田舎ってそんなものなのかと思いつつ、ワルキューレは人の優しさに心が温かくなるのを感じていた。


「別嬪さんになったなぁ。ちょっと早いけど晩御飯用意したんで、食べようや」


 風呂から上がり、母親の物であろうモンペに身を通したワルキューレが、所在なさげにもじもじしていると母親が声をかけてくる。


「そんな、お風呂頂いた上にごはんまで……」

「気にする程のもんじゃねぇから遠慮せんと。こっちには疎開かね?」

「え、ええ。そうです」

「何処の家に? そういや名前は?」

「鈴木 わ……乙女、鈴木 乙女おとめです」


 この時代に戦乙女ワルキューレとか名乗ろうものなら、病院に連れて行かれそうである。咄嗟に誤魔化したのだが、乙女と言う名に自分でも顔が赤くなるのが分かった。


「乙女ちゃん、可愛らしい名前じゃね。鈴木言うたら、あら……」


 母親の顔が少し陰りを帯びると、残念そうな声で話を続ける。


「あそこの梅ばあさん、先月病気で亡くなったんよ。聞いてなかった?」

「え? あぁ、そなんですか?」


 ワルキューレ改め、乙女にそんな知り合いはいないが、都合が良いので話を合わせる事にする。


「他に家族の人は一緒にきてないん?」

「あ、はい……」

「そりゃ大変じゃねぇ。何なら家におってもええんよ」

「そこまでしてもらう訳には」

「かまやせん。うちも父親が船の工場に働きに行って息子と二人暮らしで寂しいし、賑やかになってええわ」


 遠慮する乙女にお構いなしに食事の準備を進める母親。そこに先程の青年が戻ってきた。


「賢治、乙女ちゃん、鈴木の梅ばあさん所の親戚みたいやし、家で預かる事にしたけん、面倒みてあげてや」

「ん? ああ、一人もんか。分かった」


 賢治と呼ばれた青年は、ちゃぶ台に胡坐あぐらをかくと、ご飯をかきこみ始める。

 都会ではとっくの昔に米など貴重品となっていたが、田舎の農家ではまだ普通に食卓に上がっていた頃である。


(けんじ? まさか……)

 乙女は青年の名前を聞いて鼓動が高鳴る。

 恋とか愛とかそう言う類のものではなく、彼の名前がクラレンスから聞いたコルネリウスの転生前の名前だったからだ。


「鈴木 乙女です。お世話になります」

「俺は賢治、田中 賢治。短い間やけど、宜しく」


 お互いまだ名乗ってはいなかったので、乙女が改めて自己紹介すると、賢治は昼間同様屈託のない笑顔で応える。

(そんな……)

 よりによって目の前にいるこの青年がコルネリウスなのだ。偶然にしても出来過ぎだと思える程にピンポイントで転移していた乙女は、更に心拍数が上がるのを感じていた。

(落ち着いて、これはむしろチャンスよ。怪しまれない様に潜り込めたんだし、戦争に行くタイミングも分かって好都合だわ)

 自分を落ち着かせるために、色々と考える乙女。しかし、理由はそれだけでは無かった。




「うーん……」


 それから一週間。畑や田んぼの手伝いをしながら田中家で世話になっている乙女は、今日も唸っている。

(まさか、こんな事になるなんて)

 勢いで転移して来てしまったが、普通に(狂戦士化してなければ)人なんて殺せない乙女は、どうやって賢治を戦争に行かせまいか悩んでいた。


「どうした、乙女」

「ふぁっ?」


 田んぼの淵に座り込んで唸っていた乙女を、不思議に思った賢治が声をかけて来る。

 しかし、いつもの爽やかな笑顔の中に少しだけ陰りを感じた乙女は、逆に聞き返していた。


「賢治こそ、何か悩み事?」

「ん? よぉ分かったの。悩みって訳じゃねぇけど、そろそろここともお別れじゃからな。ちょっとばかし寂しくなってるのかも知れん」

「……戦争、行くの?」

「ああ」


 この時代、健康な男子は例外なく戦争へ駆り出される。

 それは賢治も例外ではなく、このまま彼が戦争へ行けば命を落とす事も既に決まっているのだった。


「行くの、辞めたら?」


 それで辞めてくれたらどれだけ楽だろうと思うと、乙女は自然と口を開く。


「そう言う訳にはいかん。みんなお国の為に戦っとるのに、自分だけ逃げだすとか、かっこわりぃ。それに――」


 賢治は辺りをきょろきょろして人影が無い事を確認すると、乙女の耳元で手を口に当て話し始めた。


「ここだけの話やぞ、誰にも言うな。俺、死んだら別の世界に行ってその世界を平和にするんじゃ。じゃから怖くねぇ」


 やはり、賢治が転生してコルネリウスになるのだ。乙女は決定的な確証を得ると、やりきれなさで胸が締め付けらると共に、賢治との距離の近さに頬を赤く染める。


「あれ、笑わねぇのか?」


 子供の夢物語の様な話をしたのだ。笑われると思っていた賢治は、切ない顔で俯く乙女を不思議そうに覗き込む。


「あんたが怖くなくても、お母さんは悲しむよ」

「それは……仕方ねぇ」


 家族と別れたくないから戦争にはいかない。そんな事を言えば非国民のレッテルを張られ、生きて行く事が出来ない。そんな時代の話だ。

 乙女は説得を諦め、賢治が戦争に行かずに済む方法を再び考え始める。しかしその時、賢治がぽつりと呟いた。


「……乙女は寂しがってくれるか?」

「え?」

「乙女は、俺が戦争で死んだら寂しがってくれるか?」


 いつもは見る事の無い真剣な表情で、賢治は乙女を見ている。

 


「当り前よ」


 転生云々の話を抜きにしても、世話になった人に命を失ってほしくはないし、あの優しい母親が悲しむ姿も見たくはない。乙女は正直な気持ちを込めて答えると、居たたまれなくなり立ち上がって家に向け歩き始めた。


「……そうか」


 賢治は小さく呟くと、遠くなって行く乙女の後ろ姿を見詰め続ける。その瞳は彼の心を映すかのように揺らめいていた。




 賢治が兵士になる為の健康診断を一週間先に控え、乙女はこの期に及んでまだ悩んでいた。


「何してるの?」

「ああ、ちょっと、ね」


 月を見ているのだろうか、縁側に座り夜空を見上げるその姿は、振り返る事無く答える。

 乙女が隣に座り一緒に空を見上げようとすると、何処からともなく唸る様な音が響いてきた。


「なに、この音?」

「空襲だ。二百キロ先に軍港があるけぇな」


 そしてしばらくすると、山の向こうがで明るくなると共に、破裂音が鳴り響いて来る。直接的ではないにしてもあの明かりの下で人が死んでいると思うと、乙女は急に怖くなってきた。


「こんな奇麗な月の下でも爆撃機は飛び、その更に下じゃあ大勢の人が死んでる。それを止める事が出来る力が俺にあったら良かったけど、残念ながらこの世界じゃあ持ってねぇ」


 賢治は、既にこの戦いが負け戦であることを悟っていた。ただ死んだ後、新たな世界で平和な世界を築く事だけを考え、心の平穏を保ってきたのだ。しかし、今はその声にもいつもの様な元気はない。


「例え世界を救う力が無くても、お母さん一人を救う力はあると思う。それを試してからでも良いんじゃない……かな?」

「……」


 乙女の言葉に答える事無く、賢治は空を見上げたままだ。


「……私、あなたが死んだ後に行く世界から来たの」


 同じ様に空を見詰めたまま、乙女は真実を話し始める。視線は移さなかったが、気配で賢治が乙女を見ているのが分かった。

 どうしてそんな事を話し始めたのか、自分でも良く分からなかったが、ひとたび話し始めると心が軽くなった様に感じた乙女は、もはや最後まで行くしかないと覚悟を決める。


「残念だけど、あなたの支配する世界は、皆が望む様な世界ではなかったのよ。だから止めに来た」

「……」


 そしてそんな乙女の話を黙って聞いていた賢治は、少し驚いた顔をしながらも、恐る恐る乙女に話しかける。


「俺、ダメだったのか?」

「うん」

「そんなに?」

「そんなに」

「……」


 失意の底に落ちた様な顔で頭を抱える賢治。絶望の先にあった唯一の希望が否定され、覚悟していた死が急に恐ろしいものになって来る。


「だから賢治、戦争には行かないで」

「……」


 賢治は、乙女の願いに答える事無く黙って立ち上がると、自分の部屋へと帰って行く。

 そして翌日、賢治の姿は家から消えていた。

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