第94話:本当の恐怖
「これはどういう事なんでしょう、フルメヴァーラさん?」
「ん? ああ、そうだな。どうしたんだろうな」
「……」
ハルカが生まれて二日ほど、安静にしておく為ゼウスは来ていないと話していたが、そんな嘘はあっさりとバレ、ステファニーに問い詰められたフルメヴァーラは非難の視線を浴びていた。
「……すまん」
「もう……私の回復を待てない程、残された時間が無いのかしら」
呆れた表情でため息をつくステファニーであったが、遅かれ早かれそうなる事は分かっていたのであろう、それ以上フルメヴァーラを責める事はせず、これから先の事を考え始めていた。
「今どの辺りにいるのかしら」
「そろそろカラックの島に着く頃だな」
使い魔の視界と同期したフルメヴァーラは、海を東に向けて進む船を見つけて答える。
「う、もう追いつけそうにない距離ね……」
陸路ならまだしも、海上ではどうしようもないと諦めかけたステファニーの前にラウラが現れた。
「あ、ラウラちゃん、転移魔法陣でエレンディアまで飛ばせないかしら?」
「出来ない事は無いですけど、ステファニーさん今そんな体じゃないでしょう」
「でも……」
「ゼウスさん達もまだ到着には時間がかかりそうですし、ぎりぎりまで静養しといた方が良いと思いますよ?」
「そうだな。ゼウス達が着くには、あとひと月はかかるだろう。それまでは大人しくしておくが良い」
「……分かったわ」
心配そうに答えるラウラに、フルメヴァーラも同意すると、ステファニーは納得したのか、再びベッドに横になる。
「でも、何でゼウスさん転移で行かなかったのかな?」
「忘れてたんじゃない?」
「あの人ならありそうですね」
不意に疑問に思ったラウラにステファニーは横になったまま答えると、ハルカの横顔を眺める。
「私が行っている間、この子をお願いしますね」
「……」
「……」
フルメヴァーラとラウラは、しばしの間、無言で顔を見合わせる。
「あれ? フルメヴァーラさんが見るんじゃないんですか?」
「いや、ラウラが見るのだろう?」
二人ともステファニーについて行く気満々だったようだ。
結局、話し合いの結果、育児経験のあるフルメヴァーラが残る事になり、ラウラが同行する事になったのだが、またもや留守番のフルメヴァーラは少々不満顔のようである。
それから一月後の出発まで、
「ハルカは、エレンボス神の代行者に育てよう」
と、事ある毎に口にしていたのだが、それを聞いていたラウラは、
(シアリス神の代行者もワンチャンありですね)
と密かに企んでいるのだった。
カルベナの評議会近くに居を構えて生活しているフェリクス夫妻は、エステルの出産間近と言う事で、休暇を貰って静かに過ごしていたのだが、今日は朝からフェリクスが落ち着きなく部屋の中でうろうろしていた。
「気になるのでしたら、行かれては良いではありませんか」
「でも、君の出産も近いし」
ゼウスが旅に出たとの報を受け、ベッドで横になっているエステルの周りを無言でうろうろするフェリクスに、呆れたエステルは今日三度目の声をかける。
「気が散るから、さっさと行って片付けて帰って来てください!」
「え? あ、はい!」
その後もまくしたてる様に部屋から追い出されたフェリクスは、廊下でくすくすと笑っているエルフの女性と目が合う。
「あ、アーダさん。何時も有難うございます」
「不在の間もしっかり面倒見ますので、安心して行ってきてください」
エルフ側の議員として、ラムスとアーダは評議会で働いているのだが、エステルの産休に合わせて、身の回りの世話をしてくれていた。
「何から何まで、有難うございます」
再び深々と頭を下げるフェリクスに向かって、アーダは、
「リミットは二ヶ月ですから、遅れない様にしてくださいね」
と、付け加えるとエステルの部屋へと入っていく。
(行くと決まったら、ゆっくりはしていられないな)
心を決めたフェリクスは、早速手持ちの装備を確認すると、ラウラに転移で送ってもらうべくエルフの森へと出発した。
「ゼウス殿、着きましたよ」
「ここは何処です?」
夜の闇に紛れて接岸した場所は、民家の明かりも無く波音だけが響いていた。
「カーリアとサネルマの間ですね。どちらにも見つかると面倒なのでここで上陸をお願いします」
「協力感謝します」
「ご無事で」
手短に挨拶を済ませると、ゼウスは用意して貰った馬と共に船を降りる。
続けて馬の扱いに慣れていないワルキューレは、引きずられながら船を降りるとダリウスに向けて手を振っていた。
船を降りた二人は馬で北上を始め、翌日にはカーリアの手前の町まで到着し、必要な物資を補給すると泊まる事無く北上を続ける。
山間を走っている途中、魔物の一群に出会った二人は、迂回が難しいと判断すると馬を止め武器を構えた。
「私に任せてください」
ゼウスが提案するより早くワルキューレが言うと、前に進み出る。
ゼウスも練習の為ワルキューレに戦わせようと思っていたので、何も言う事無く成り行きを見守った。
ゴブリンやオーク、オーガ等ざっと数えて十数匹はいるであろう群れに対してワルキューレは一つ深呼吸をすると、右足を蹴り出す。
先制を取られた魔物達は連携を考える事も無く、各々手にした武器を掲げて襲い掛かる。
しかし、その武器は振り下ろされる事無く気付いた時には掴んでいた手と共に宙に舞っていた。
ワルキューレの槍さばきは、確実に魔物達の手を捕らえ薙ぎ払って行く。
そして宙に舞った腕と共に迸る血の雨に当たらないよう、素早いステップで次の得物に襲い掛かり、僅か数瞬後にはすべての魔物が血だまりに倒れ伏していた
(早い、でも……)
ゼウスも感嘆の槍さばきであったが、彼女はどの魔物にも致命傷は与えておらず、血だまりを振り返る事も無かった。
「それでは君が殺されるよ」
呻く魔物達の止めを刺しながら進んでくるゼウス。言われている事は重々承知しているのだが、命を奪う事に未だ躊躇いがあるし、血を見ると膝が震え胃が締め付けられるのだ。
だがいつもと違い、その恐怖を超えた本当の恐怖に直面しているワルキューレは、湧きあがる衝動と必死に戦っていた。
「……わい」
「?」
ワルキューレの槍を握る手が小刻みに震えている。ゼウスは彼女の変化に気付いて慎重に近づいて行った。
「怖いんです」
何かを押さえる様に蹲るが、今まで抑えられていた衝動と共に、彼女はその思いを吐き出し始める。
「命を奪う事が怖いと言いつつ、自分の中のもう一人が『もっと戦いたい』って言ってるのが本当は怖いんです」
吐き気を我慢するように口元を手で押さえながら、なおも言葉を続ける。
「同級生を傷つけた時、血にまみれながら、どうしようもなく楽しかった自分がいるんです。だから、また血を見るともうひとりの自分が抑えられなくなりそうで……今も『出せ、出せ』って頭の中で……」
(あー、この子もバーサーカーだったか)
虐められた鬱憤を晴らした時の爽快感が忘れられないのだろう、血をきっかけに脳がその時の快感を求めているのだ。
ゼウスはワルキューレの頭を撫でながら、気持ちを落ち着かせるような言葉を考える。
「大丈夫、エレンディアに行けば強い奴がいるから、存分に戦えるよ」
「本……当ですか?」
狂気に染まる手前の瞳がゼウスを見上げると、荒い呼吸が徐々に収まり始める。
「そりゃもう、君にぴったりのヤバいのが待ってるから」
苦悩する少女を落ち着かせるための言葉としては酷いものだが、ヤバい奴を落ち着かせるには効果覿面だった。
「もう大丈夫?」
「……はい、お騒がせしました」
ワルキューレの発作(?)が収まったのを確認すると、二人は再び馬に乗り北を目指す。
「ヤバい奴って思いましたよね?」
「んー? 全然?」
と言いつつ、今まで以上に距離を取って馬を走らせるゼウス。
エレンディアまで、あと十五日の道のりだった。
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