第92話:守るもの、守るべきもの。

「生、生まっれっ!」

「どどどどどっどどどどうするんだ! これ?」

「五月蠅いから、お主はあっちでお湯でも沸かしていろ」


 ベッドで呻き声を上げるステファニーの周りで、ただおろおろと歩き回るゼウスを部屋から追い出すと、フルメヴァーラはアーダを呼んで出産の準備を始める。


「だだだ、大丈夫なんです?」

「これまで私が何人取り上げて来たと思っている? さっさと湯を沸かさんか!」


 扉の隙間から顔を出して問いかけてくるゼウスに答えると、追い払って扉を閉める。

 ダークエルフ達の拠り所として皆から慕われていたフルメヴァーラは、森に捨てられた子を育てると同時に、ダークエルフとの間に出来た子供の所為で森を追い出された者の面倒まで見ており、その出産にも数えきれないほど立ち会っていたのだ。


「あー! こんな時フェリクスがいたらすぐにお湯を沸かせるのに! って、俺もファイア使えたわ!」


 台所で一人叫びながらお湯を沸かすゼウスが気になって、ラムスが近づいて来る。


「こんな時、男に出来るのは無事に生まれて来るように祈るくらいですよ」

「え? お湯は沸かさなくて良いの?」

「いや、お湯は沸かしてください。出来るだけ沢山」

「あ、はい。……ラムスさんは、アーダさんの出産には立ち会ったんですか?」


 外しかけた鍋を元に戻しつつ、ゼウスはラムスに話しかける。


「ええ。私もその時はあなたの様におろおろするしか出来ませんでしたけどね」


 頭をかきながら苦笑交じりに答えるラムスを見ていると、ゼウスも若干心が落ち着いて来るのを感じていた。

 たちまち必要なお湯を渡した後、いつでも次を出せる様に予備のお湯を用意しながら座って炎を見つめるゼウス。時折上がるステファニーの声に思わず立ち上がるが、暫くうろうろして何もできない事を悟ると、また腰を掛け炎を見つめる。

 その様なやり取りを幾度か繰り返し、気がつけば次の朝を迎えようと言うところに、今までとは違う声が聞こえてきた。


「!」


 急いで立ち上がり、駆け付けようとしたのだが、長時間座っていたので足が痺れており転げるゼウス。そのまま這いながら部屋へたどり着きドアを開けると、そこにはステファニーの横に寝かされた新たな命が元気な産声を上げていた。


「おお……」


 這いながら近づき、ベッドの側まで来ると膝立ちで赤ちゃんの顔を覗き込む。


「汚い手で触るんじゃないよ」


 手を伸ばしかけたところでフルメヴァーラに止められると、今しがた地面を這ってきた手を見つめ、服でごしごし擦る。


「手を洗ってこんか! と言うか、産湯が足りないから新しいお湯を持って来るんだよ!」


 部屋を追い出されたゼウスは、ようやく痺れが治まったので立ち上がりお湯を取りに戻る。

 手を洗い、お湯を入れた桶と調節用に水を入れた桶の二つを持って戻って来ると、改めて赤ちゃんと対面する。


「女の子だって」


 穏やかに微笑むステファニーがゼウスに話しかけてくる。


「女の子……ようこそ、アテナ」

「違う名前で呼ばないでくださいっ、覚えてしまったらどうするんですか」


 感極まって気分が動転しているゼウスは、自分の親だったら付けるだろう名前を思わず口走っていた。心なしか赤ちゃんの泣き声が嫌そうなものに変わっている。


「あぁ、ごめんなさい。……よく生まれて来てくれたね、ハルカ」


 機嫌が直ったのか、元の泣き声に戻った赤ちゃんの手をつつくと、今度は横で寝ているステファニーの頭を優しく撫でる。


「そして、有難うステファニー」


 感謝の気持ちを伝えると、出産の疲労と気持ちが落ち着いたからなのか、ステファニーはそのまま眠りについてしまう。

 容態の急変に備えフルメヴァーラが隣で仮眠を取っている中、静かに眠っている二人の顔を見てゼウスは何とも言えない幸福感に包まれていた


「ハルカとはお前の世界の名か? こちらでは聞かぬ名だが」


 暫くして仮眠から目を覚ましたのか、起き上がったフルメヴァーラがゼウスに問いかけてくる。


「そうです。ステファニーが名前を考えるときに、俺の世界の名前を聞かせて欲しいって言われたので、色々話した結果、決まりました」


 ゼウスは聞かれた時、四月生まれと言う事で春が付く名前や桜の付く名前などを話して聞かせた。その中でハルカと言う響きが、ステファニーのお気に入りとなって決まったのだ。

 彼女の中では『遥か彼方の異世界から来た人との子供』と言う意味らしいが、それはゼウスにも話してはいない。


「勇者の子がどう育つか、楽しみではあるな」

「俺が死んだ後も、宜しくお願いしますね」

「あぁ、この子の死まで看取ってやるさ」


 エルフは長命であるが故の言葉だったのだが、ゼウスの言葉には少し違うものが混じっている様にフルメヴァーラは思えた。


「……何時行くんだ?」

「明日の朝には」

「急だな」

「もうそんなに時間も残されていない様な気がするので」

「そうか」

「二人を宜しくお願いしますね」

「それは任せるが良い」


 そう言うとフルメヴァーラは再び目を閉じる。


「必ず帰って来いよ。この二人の為に」


 最後に一言言うと、そのまま眠りについた。




「おめでとー! ステフ」

「ガロイア様?」


 聞き覚えのある声に、ステファニーは意識を声の方に向ける。

 夢の中ではあるが、ガロイア神がいる事は感覚で分かった。


「ハルカちゃんは祝福はしといたから、あとは代行者の任命ね」

「あ、そう言えば」


 以前、サンストームに囚われていた時に言っていた事を思い出す。


「妊娠中だと魂が二つ重なっていて、任命しづらいのよね。だから生まれるまで待ってもらったんだけど」


 と言うと、ガロイアはステファニーを温かい光で包み込む。


「はい、終わり。じゃあ頑張ってね」

「あ、はい。信者獲得頑張ります」


 世界が変わってガロイア神の教会も信者も圧倒的に減った状態で、ほぼ一から広めないといけない状況に、ステファニーは気が遠くなりつつも気合を入れる。


「あ、そうじゃなくって、この世界の崩壊を頑張って止めてねって事で」

「あれ、やっぱり世界崩壊しそうなんですか?」

「その可能性があるかも程度だけどね」

「神様に止めていただく訳にはいきませんかね?」

「うーん、残念ながら……ね」


 一瞬、考えている様な素振りを見せるが、ガロイアはステファニーの提案を拒否する。


「もう、この世界の主人公はあなた達なの。私達は裏方。力は貸すけど、あなた達の力で守って欲しい」

「……分かりました」


 と言いつつも、次元通路を開く力を与えたり、人の死を無かった事にする力を与えたり、裏方どころの干渉ではない気もするが、取り敢えずステファニーは頷いておいた。


「疲れてるところごめんねぇ、後はゆっくり寝てて頂戴」


 そう言うと、心地良い暖かさを残してガロイアの気配は消えた。この温もりが先程まで感じていた産後の疲労を跡形もなく消してくれたのだが、同時に再び深い眠りの中へと誘うので、ステファニーは抵抗できず意識は深い闇の中へと戻っていった。




「もう行くんですか?」

「ああ」


 一人森の外れに立つゼウスの背中に、ワルキューレは声をかける。その手には愛槍ロンが握られ背中には遠征でもするのか、荷物が詰まったバッグを背負っていた。


「君は戦えないだろう。足手まといだ」


 ワルキューレの行動が分かっていたのか、ゼウスは振り返る事無く答える。敢えてきつい言い方をするのも彼女に来させない為の気遣いだった。


「そうなるかも知れません。でも、自分の事を丸々人に任せるのは違うと思うから」


 その言葉には微塵も戸惑いは無く、引き返す素振りを見せる事も無い。


「だから私は行きます」


 ただ付いて行くのではなく、自らが進んで行くことを決意して彼女はそう答えた。


「そうか」


 短く答えると、ゼウスは最後の旅へ向け一歩踏み出した。

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