第81話:希望の声

「あばばばば」

「口空けてると、舌噛むよ?」


 小脇に抱えているワルキューレが、あばあば言っているので念のため注意しておく。

 振り返ると、天井まで破壊され白煙を上げる謁見の間が見えるが、追っ手らしきものは見えなかった。


「さて――」


 逃げ出せたのはいいが、何処に逃げるか考えていなかったゼウスは、走りながら取り敢えずの逃亡先を思案する。

(フルメヴァーラさんがいる事は確実だし、探して……?)

 探すまでも無く、ゼウスの後ろに梟がピタリと付いて来ていた。


「――お手数ですが、誘導をお願いします」


 振り向いて話しかけると、梟はゼウスを追い越して先を飛んで行く。

 振り切られないよう、ゼウスがスピードを上げると、下の方からあばあば言う声の間隔が早くなっていた。




「何かあったみたいだね」

「どうしました?」

「ゼウスがワルキューレを抱えて走ってる」

「それは……何かありましたね」


 馬車を走らせ続けていたフェリクスは、後ろから聞こえてくるフルメヴァーラの声に応えると、ゼウスの行き先を尋ねる。


「こちらに来るよう誘導しているから、そのまま走っておくれ」

「あ、了解です。ところで姉さんは……」


 ワルキューレの名は聞いたが、ステファニーの名前が出なかった事に一抹の不安を覚えつつも、フェリクスは聞かずにはいられなかった。


「姿は見えんな」

「そうですか」


 予想通りの答えを聞くと、フェリクスは馬車を引く馬に鞭を入れた。




「……思い出して」

「あなたは、誰ですの?」


 聞こえてくる声に、エステルは問いかける。


「思い出して」


 暗闇の中、声の主を探そうとするが、思う様に体が動かない事に夢だと気づく。

 そうと分かれば、答えてくれない声など放っておいて再び深い眠りにつこうと、意識を深く沈めようとするのだが、声の主はそう簡単に逃してはくれなかった。


「思い出してよぉー」


 今度は音声と共に映像まで出してきた。

(これは?)

 二つの人影が何かを話している。一人は自分で、もう一人は男の子だ。

 学校らしき場所で何か言い争っている光景に、懐かしさを感じる。

 場面が変わり、先程の二人が戦っている風景が映し出されると、その後も次々に映り替わっていった。

 それはエステルには見覚えのない、しかしどれも何故か懐かしさを感じるものばかりだった。


「思い出した?」

「いえ、さっぱりですわ」

「何てこと! 思い出すまで何日でも繰り返すから――」


 姿の見えない声は、なにやら物騒な事を言いだしたが、


「――覚悟してね、お母様」


 最後の言葉で、エステルは心を鷲掴みにされた様な衝撃を受けると、ベッドから飛び起きた。


「はぁはぁ……」


(私がお母様って)

 高鳴る鼓動と共に額に浮いた汗を拭うと、エステルは誰もいない部屋で一人呟く。


「お父様は誰なのよ」




「兄さん、久しぶり」

「おう、弟よ。元気だったか?」


 フェリクス達と合流したゼウスは、ワルキューレを馬車の後ろに乗せ、フェリクスの隣に腰を掛ける。


「姉さんは?」


 ゼウスが座ると早々にフェリクスは問いかける。


「んー、助け出せなかった」


 軽く言っているが、その悔しさは顔を見れば一目瞭然だったので、フェリクスはそれ以上何も言えない。


「取り合えず期限は二ヶ月らしいから、それまでには助けないと」


 頭の中で救出手段を考えていたのだろうか、少ししてゼウスが再び口を開く。


「今すぐ行こうよ」


 戦力が揃った今が攻め時だし、逃げてすぐ攻めて来るとは思っていないだろう。そこを奇襲するのもアリではないかとフェリクスは話を進めた。

 しかし、ゼウスは首を横に振る。


「出来れば、彼女は連れて行きたくない」


 そう言うとゼウスは後ろで膝を抱えているワルキューレに視線を向ける。戦力的に期待できない事と、彼女自身の精神によくない事は、ここ数日を見ていても明らかで、これ以上心に負担をかけられなかった。

 人数が増えたので、彼女と共に残ってもらう人物を選んでから、再度突入する案をゼウスはフェリクスへ語る。

 事情を理解したフェリクスは、フルメヴァーラとラウラに確認すると、一路ラウラの迷宮へ向け馬車の速度を上げるのだった。




「もう、本当に毎日、毎日、なんなんですの?」


 お母様と呼ばれる声に話しかけられて以来、毎日夢の中でうなされているエステルは、げんなりしていた。最初は映像だけだったのに次第に台詞が入り始め、今では謎の声による場面説明まで入り始めている。このままだといずれBGMや字幕まで入りそうだった。


「お母様が思い出さないからよ」

「私が母だとして、父は誰なんですの」

「この人」


 今まさにキスしようとしている自分の映像に恥ずかしくなりながらも、指の隙間から相手を凝視する。映像の相手は一貫してこの男性だ。短めの赤茶けた髪に、青みが強い紺色の瞳。好き嫌いで聞かれると、好みのタイプである。

 しかし、生まれて今まで、この男性に会った記憶が無い。無いのだが、何故か何度も見ていると心が温かくなると共に、映像とは違う場面が脳裏に現れては消えていく。今ではもしかして本当にこの男性と会っていて結婚の約束も交わしているのではないかと思い始めていた。

(あっ)

 生まれて今まで見た事が無いと思っていたが、見ていた。先日、屋敷に忍び込んでいたコソ泥である。しかも自分の事を『婚約者』と呼んでいたのだ。何故、今まで思い出さなかったのか少しイライラしていると、例の声が少し嬉しそうに話しかけてくる。


「思い出した?」

「思い出したと言うか、見覚えはありますわ」

「やった! あと少しね!」


 そう言うと声はまた最初から映像を流し始めた。


「いや、もう今日は勘弁してくださいまし……」


 エステルは疲れ果てた顔で目を開くと、大きなあくびを一つして、ベッドから起き上がった。

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