第76話:逃亡の果て
「追って来ないな。あの気配であそこまで間抜けだとは思わんが……、不自然に感じる」
二人を先に走らせたフルメヴァーラは、夜目を聞かせて後方を確認するが、穴から人が這いあがってくる気配は無かった。
「先生がわざと逃がしてくれたとか?」
「状況だけで考えると、そう思うのも仕方がない。が、楽観は禁物だ」
「走ったは良いのですが、取り敢えず何処へ逃げましょう……」
思案するのは後回しにして、ラウラの言う通り取り敢えずの逃亡先を決めなくてはならなかった。
「姉さんの実家に行ってみる?」
「ラダールか」
「記憶は無いかもしれませんが、もしかしたらゼウスさんもいるかもしれませんねぇ」
他に行く当てもない三人は取り合えずラダールを目指す事にした。
「クラレンス様、大丈夫ですか?」
暫く星空を見つめていると、ようやく兵士が駆けつけてきた。
「ああ、大丈夫だけど登れなくてね。すまないがロープか何かおろしてもらえると有難い」
「貴様ほどの男が、みすみす取り逃がす様な相手だったのか」
兵士が用意したロープを使って上がると、十人程の兵士に交じってローブ姿の男がクラレンスに声をかけてきた。
「これはこれは『雷帝』殿。出来の悪い教え子の尻ぬぐいに来られましたか」
「ふん、質問には正しい答えを返せと、昔から言っておる」
「そうでしたね。相手は魔王の一人、フルメヴァーラでしたよ。いやいや聞きしに勝る美貌でした」
「この世界に、魔王はおらぬ」
髭を扱きながら答えるクラレンスに、眉一つ動かさず『雷帝』ヴェルナー・ホーグランドは呟く。
「そう言えば、そうでしたね」
今更ながらに思い出したかのようにクラレンスはわざとらしく答える。
「まぁよい。して、そやつはどの方角へ逃げた」
「この穴からは、何処に行ったかは見えませんよ」
「……」
「足音がしたのは南の方角です」
ヴェルナーは兵士に指示を出すと捜索に走らせ、自らは王城に向けて歩き始めた。
クラレンスもその後に着いて行く。
「一緒に帰っても、王への弁明には、わしは付き合わんぞ」
「そこは指導者として、連帯責任と言うものがですな……」
「途中で辞めた者の面倒まで見る気は無い」
「それは困りましたねぇ」
さして困ってはいない表情で、クラレンスは振り返って暗闇の空を見上げる。
「捨て置くのか?」
「そう言う訳にもいかんでしょうな」
ヴェルナーの問いに答えると、右手を掲げ火球を数発空に向かって放つ。
炎は暗闇の空に吸い込まれて行くと、何者かに当たって落ちていった。
「使い魔が落とされた」
その辺で
「捜索は兵士に任せて、奴は戻る様だ。もう一人ローブ姿の男が迎えに来ていた」
「そのローブの人は年寄りだった?」
「顔までは見えなかったな」
「先生の知り合いなら、多分魔導院のヴェルナー先生かな」
フェリクスは魔導院の学院長を思い出す。
魔術学院と魔導院、二つの学院の先生がどちらも敵になったかと思うと、やり辛い事この上ない。出来れば命を懸けて戦う事は避けたかった。
(昨日まで味方だった人物が、今日も味方だという保証は何処にも無いのです)
クラレンスの言葉に、フェリクスは更に最悪の事態を想像する。
(もしかして、兄さんや姉さんまで敵になっている?)
ひとたび想像すると、物事をどんどん悪い方向へ考えてしまい、焦りだけが高まっていく。
「大丈夫ですよ」
そんなフェリクスを見て、ラウラが優しく声をかけてきた。
「クラレンス先生も代行者じゃないのに、記憶が残ってましたから」
「確かに。でも、だとしたら何で?」
「先生は召喚者ですから。その共通点で行けば、ゼウスさんも大丈夫なはずです」
穏やかに微笑む水色の瞳を見ていると、不思議と心が安らぐ。そして、その言葉に先程までの焦りは何処かへ消えていた。
「……有難う」
フェリクスはラウラへ礼を言うと、馬車をラダールへ向け走らせ続けた。
「おえぇぇ」
「かの勇者殿も、海には勝てませぬか」
「いや、だって、この揺れは反則だろ」
虚ろな目で船首に立つ男へ声をかけるゼウス。
「これくらいの嵐でないと敵の目は誤魔化せませんからな!」
赤い目を輝かせながら豪快に笑う男に、ゼウスはため息交じりに言葉を返す。
「ヴァンパイアなら死なないんだろうけど、こっちはいくつ命があっても足りないよ」
言っている傍から転がって来る樽を交わす。
「ヴァンパイアとて、死にもすれば風邪もひきますぞ。あとそんな所に立っていても死にますぞ」
「うそつけ、この前あれだけ斬ったのにピンピンしてるじゃねーか」
「はて、ゼウス殿に斬られたような覚えは無いのですがな」
海から飛び込んできた魚を片手で捕まえると、船倉へ放り込むヴァンパイアの男。
ついこの前、ゼウスが倒したダリウスなのだが、本人にその記憶は無い。しかし、生きていると言う事は、あの時死んでいなかったのだろう。ヴァンパイアの生命力にほとほと呆れるゼウスだった。
嵐で荒れた水面に木の葉の様に翻弄される船体は、なおも軋みを上げて右へ左へと揺れを続けている。その中を船体にしがみつきつつ、船室へと入っていくゼウス。
「ゼウスさん、ハンモックって凄いですね」
傾く船体の中でワルキューレは、ハンモックに揺られ、と言うかハンモック以外が揺れており、一人はしゃいでいた。
「楽しそうで何より。そろそろ森に着きそうだぞ」
ゴブリン達が手際よく帆を仕舞い、オールで漕ぎ始める。
魔物達には当然言葉が通じないので、指示を出しているのはダリウスだ。
いかに指示されているとは言え、閉鎖された船の上で人間を襲わない魔物と言うのは、ゼウスには不思議だった。
逆に言えば、言葉さえ通じれば、魔物と人間は共存して行けるのかも知れない。
そんな未来がこの世界に訪れるかどうかは分からないが、全てが片付いたら考える価値はあるのかもしれないと、ゼウスは思った。
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