第72話:世界を救えない勇者
「フルメヴァーラさん、何やってんですか……」
「少年、久しいな。ところで金は持っていないか?」
見た目と言動が一致しないこの残念美人は、とても爽やかな笑顔で右手を差し出していた。
「いい年した大人が、久しぶりの再会で真っ先にそんな事言わないでください。僕も寝起きに叩きだされたので、小銅貨一枚も持ってませんよ」
「なんじゃ、それは難儀よな」
途端に渋い顔になるフルメヴァーラ。
「揃いも揃って金なしが、うちの店に来るんじゃねーよ!」
その後ろで更に渋い顔をしていた店の主らしき男が、もっともな事を言っている。
「ふむ、致し方ないのぅ」
観念したのか、フルメヴァーラは主の方へと振り向くと、徐にネックレスを外して差し出す。
「お、これで払うってのかい?」
いかにも高そうな宝石の付いたネックレスに、手を伸ばす男の口元が思わずにやける。
それもそうだろう、おおよそ酒場で飲み食いした程度の金では買えそうに無い物が転がり込んでくるのだ、これ程割の良い事は無い。
しかし、男が受け取る前にフルメヴァーラは念を押す様に言葉を続ける。
「うむ。これは我が母の形見、エルフに代々伝わる希少な宝石だ。売れば金貨二百枚は下らぬ」
「お、おう」
「故に、差額はきっちり返してもらうぞ」
「馬鹿言うな! そんな金あるかよ!」
当てが外れた男は再び激高し始める。
「私は金を払うと言っているのだ、それが何故、怒られねばならん」
不敵に微笑むフルメヴァーラ。いつの間にか男と立場が逆転していた。
(この人、怖い)
はたで見ていたフェリクスは、食い逃げのプロを見るような目で彼女を見る。
「ぐぬぬ……、もうお代はいいから出て行ってくれ!」
「ふむ、お主がそう言うなら、そうさせてもらおう」
ネックレスを再び首に戻すと、フルメヴァーラは優雅に挨拶をして店を出ていく。
背中の方で「二度とくるんじゃねーぞ!」と言う男の叫びが響いていた。
「……魔王にしてはせこくないですか?」
「ふむ、魔王という名も、お主は覚えておるか」
呆れたような声でフェリクスが話しかけると、フルメヴァーラは神妙な面持ちで答える。
「覚えてって、じゃあフルメヴァーラさんも忘れられてるんですか?」
同じ状況にいる仲間がいる事に、フェリクスは安心と新たな不安がないまぜになった感情が押し寄せてきた。
「どうやら、その様でな。しかし、何故お主は私を覚えておるのじゃろう」
そして彼女は、フェリクスが感じた疑問と同じ事を口にする。覚えている者とそうでない者、その違いは何なのか、だがその問題を考える前に、
「ぐぅ」
フェリクスはお腹が減って死にそうだった。
「何でしょう、あれ」
暗闇の中、カンテラの僅かな光と馬の目を頼りに夜の街道を東へと走るゼウスとワルキューレ。二人の耳に、人々の怒号や悲鳴、それに交じって剣戟や魔物の叫びも聞こえ始めていた。
「町の人が魔物と戦ってるのかな?」
「助けましょう!」
ワルキューレンの言葉に、ゼウスはしばし考える。が、首を静かに振る。
「どうして?」
ここで人間を助けると、
「どちらかと言うと、俺達の今の敵は人間の方なんだ。だから、今は迂闊に魔物を倒して、唯一の味方になってくれるかもしれない奴を刺激する事は出来ない」
「そんな……、ゼウスさん勇者なんですよね?」
魔物と戦っている人間を放っておく事が出来ないワルキューレは、なおもゼウスに問いかける。しかし、ゼウスは興奮する彼女をなだめる様に穏やかな声で問い返してきた。
「ワルキューレちゃん、勇者って何だと思う?」
「それは、悪い魔物を倒して世界を平和にする人だと……」
幼い頃から慣れ親しんできたゲームの世界を思い出しながら、ワルキューレは答える。しかし、答えながら自分で考えた事も無い言葉に、既に自信を失っていた。
「そうだね、それが『悪い』魔物ならね」
「悪い魔物?」
「うん、悪い魔物。逆に人間がすべて『良い人』だと思う?」
「それは……」
言葉に詰まるワルキューレ。
彼女は虐められていた側の人間である。人の醜さ、汚さに、直に触れてきた彼女にとって、世界は圧倒的に『汚い人間』の方が多いのだ。
ゼウスに答える事が出来ないまま、黙って俯いていると、ゼウスは更に言葉を続ける。
「それに、例え良い人と周りから思われてても、君にとっては悪い人もいただろう。立ち位置によって善悪は容易に姿を変える。だから――」
彼女の頭に手を乗せ、言い聞かせる様に呟く。
「だから、勇者は世界を救えない」
少し寂しそうな表情を感じさせながら、ゼウスは頭に乗せた手で、優しくワルキューレを撫でる。それは小さい頃に父にしてもらった仕草を彼女に思い出させていた。
「それで俺は、自分の手の届く範囲の大切な人を守る為に、勇気を振り絞るのが勇者だと思う事にしたんだ。だから、君の事は俺が守る。その為に、今はこの戦いには手を出さない」
「……分かりました。生意気なこと言ってすみませんでした」
ワルキューレが落ち着きを取り戻したのを確認すると、ゼウスは撫でるのを辞める。彼女はもっと撫でて貰いたそうだったが、戦況が変化してきたので、そうもいかない。
静まり返った街道に、風に乗って血の香りが漂う。
布で口元を押さえるワルキューレを横目に、ゼウスは馬車を進めた。
暫くすると、道の周囲に争いの跡が見え始める。そして、その前方にいつもの紳士が立っていた。
「これはこれは、久方ぶりですね。勇者まさる殿」
「あ、いや、もう今はゼウスで通してるんで、そっちでお願いします」
唖然とするワルキューレを置いて、ゼウスは馬車から降りると、優雅に挨拶するカラックの元へと歩き始めた。
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