第70話:逃亡

 今までの話を聞いて、歴史の改変を想像したゼウスは、次にその原因を考える。

 といっても、昨日ステファニーが手伝いに行った召喚ぐらいしか心当たりがない。

 それによって過去の歴史が変わったのであれば、何故自分はいまだこの世界にいて、追われているのか。その謎も解明していかなければ、命がいくつあっても足りない様な気がしていた。


「サンストームって、今はどのくらい国を治めてるんだい?」


 まずは世界の状況を知る為、ゼウスは店の男に問いかける。


「お前さん、そんな事も知らねぇのか」

「なにせ、田舎の山奥にいるからね。世事には疎いんだ」

「そうか……、この世界は五年前に全部サンストームのコルネリウスの物になっちまったよ」

「コルネリウス? 教会の人間が?」

「教会? 何言ってんだ、コルネリウスはサンストームの王だぞ」

「じゃあ、聖ガロイア教会はどうなったんだ?」

「ガロイア教? あんな田舎教会、あっという間にケリュアス教団に滅ぼされたよ」


 コルネリウスは聖王ではなく国王で、ガロイア教会は既にない。代わりにケリュアス教という集団が幅を利かせている、と。ゼウスは今までの歴史との食い違いを確認しつつ、現状を把握していく。


「勇者なんて、いないのかねぇ」

「そんなもんいたら、こんな世界になってないよ」

「確かに」


 空腹と僅かな情報の穴を埋めたゼウスは駅馬車のターミナルを出ると、引き続きラダールだった場所へ向かう。ステファニーの実家であるブルックス家の現状と、戦乙女ワルキューレの安否の確認の為だった。




「何なんだ、これは」


 最愛の人に反逆者呼ばわりされるのはおろか、自分の存在さえ覚えられていない事態に、フェリクスは困惑する。

(学院長なら何か知ってるかも)

 その時、苦悩するフェリクスの脳裏に、クラレンスの顔が浮かんだ。

 いつもクラレンスの情報量に驚かされていたフェリクスは、彼ならばこのふざけた事態を説明してくれるのではないかと、僅かながら期待した。


「さあ、早く投降なさい」


 杖を構えたエステルが、フェリクスに詰め寄ってくる。

(まずは、この状況を何とかしないと) 

 フェリクスは、エステルに怪我させる事無く逃げる手段を考える。なまじ強いので、中途半端な牽制では足止めにもならないだろう。しかも、その後ろにはカレンベルク家の護衛とサンストームの兵士が廊下を埋め尽くしているのだ。

(エステルならちゃんと消火してくれるだろう)


「なっ? 待ちなさい!」


 フェリクスは意を決すると、エステルとの間に火柱を上げ、窓に向かって走り始める。


「まさお!」


 エステルの制止と、なだれ込む兵士たちの怒号を背に、フェリクスは窓に向かって飛び込むと、まさおを背中から剥いで足元に回す。


「ほいっと」


 まさおは元の大きさに戻ると、フェリクスを乗せて二階の高さから滑空、というより着地する。


「そのまま、真っ直ぐ走って!」


 地面を削りながら降り立つまさおの上で、フェリクスは揺られながら指示を出す。


「あいよぅ」


 後方から飛んでくる魔法や弓を障壁で跳ね返しながら、まさおは気の抜けるような声で応えると、正面の門を目掛け走り始めた。


「はやっ!」


 そのサイズからは想像もできない程のスピードで走り始めるまさお。


「飛べない分、速さは任せてくれ」

「お、おう」


 がたがたと揺れるまさおの上で、フェリクスは振り落とされないよう、必死にしがみついて答える。

 やがてカレンベルク家の屋敷が見えなくなる距離まで来ると、まさおを元の姿に戻して歩き始めるフェリクス。しかし、人目を避けて逃げたので、クラレンスがいる魔術学院の方角とは反対に来てしまっていた。


「参ったな、余計に歩く事になってしまった」

「と言うか兄貴、まだ落ち着くには早そうだぜ」


 まさおが背中から言うと、振り返ったフェリクスの目には馬に乗ってこちらに駆けて来る複数の兵士が見える。


「もう、何だよこれ!」


 うんざりするような叫びをあげると、フェリクスは再びまさおを元に戻して走り始めた。




「うぅ……、何でこんな事に」


 その頃、ブルックス家では、戦乙女ワルキューレが屋敷の護衛に連れられ、地下の部屋に監禁されていた。

(いきなり皆、私の事知らないって、どういう事なんだろう。ゼウスさん達がいないから、使えない私はいらないって事なのかなぁ)

 部屋の隅で膝を抱えて涙ぐむワルキューレ。

(でも、ゼウスさん達の名前を出しても知らないって言ってたし、おかしいな)

 アリシアにステファニーの事を聞いても知らないという事態に、ワルキューレは違和感を感じていた。

(何とかして皆に会いたいけど、人を傷つけるのは嫌だなぁ) 


「おい、女」


 悶々と悩んでいるところに、外の見張り役の男が扉を開けて声をかけてきた。


「は、はい」

「レイナード様のお越しだ。暴れるなよ」


 男はそう言うと、レイナードを通して、自らも横に控える。


「二、三質問をする。正直に答えよ」


 座り込んでいるワルキューレを見下ろしながら、レイナードが話しかけてきた。


「何故、我が屋敷にいた?」

「勇者召喚で連れてこられました」

「勇者とはなんだ?」

「魔王を倒す存在と、あなたから聞きました」

「私が? 面白い事を言う」

「本当なんです!」


 まったく面白くなさそうな顔で答えるレイナードに、ワルキューレは立ち上がって答えようとするが、隣の男に槍で制される。


「勇者や魔王などという輩は、この世界には存在せん。どういう目的で我が屋敷に忍び込んだのかは知らんが、不法な侵入に違いないので、お前は相応の手続きで罰されるであろう」


 物盗りに入って見つかったので、口から出まかせを言って逃れようとしていると判断したレイナードは、もはや関心が無くなったのか、話を切り上げて外へ出ていった。


「私……、どうなるんでしょう?」

「そこまでは知らん。引き渡しは三日後の予定だ。それまで暴れるなよ」


 それだけ言うと、男は扉を閉める。再び暗闇に包まれた空間で、ワルキューレは膝を抱えたまま逃げ出す算段を考え始めていた。

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