第67話:宴

「来賓の名簿は何処だ!」

「酒の数が足りんぞ!」

「ここのテーブル何処に持って行った!」


 あちこちで怒号が鳴り響く中、所在なさげなフェリクスが右へ左へと、うろうろしている。


「あの、何か手伝いましょうか?」

「フェリクス様は控室でお待ちくださいませ」

「あ、はい」


 カレンベルク家での婚約披露パーティーにおいて、主役であるフェリクスなのだが、こういう場には慣れておらず、終始落ち着きがない状態だった。


「今からその様では、本番は気疲れで倒れてしまいますわよ」


 淡い桜色のドレスに身を包んだエステルが、廊下の先から現れると、右往左往しているフェリクスを見て微笑む。


「エステル、そうは言っても、当事者なんだから何かしないといけないと思うじゃないか」

「当事者だから、何もせずどっしりと構える事も必要ですのよ」


 エステルに促され、控室へ戻るフェリクス。その顔はいまだ落ち着かない表情を浮かべたままだった。




 その頃、ブルックス家の家紋が入った馬車が一台、カレンベルク家に向け走っていた。


「いやぁー、何とか間に合いそうだね。一時はどうなる事かと」

「エレンディアの脅威は去っているとは言え、よく二人とも許可が出たものです」

「まぁ君の親父さんからすれば、カレンベルク家との繋がりが出来るんだから、許可も出すだろうよ」


 馬車に揺れながら、ゼウスがステファニーへ答えると、彼女は頬を膨らませて反論する。


「あの人は、もう父ではありませんっ!」

「そろそろ、許してあげても良いんじゃないかな?」

「嫌です」


 頑なに拒絶するステファニーに、ゼウスもついつい渋い顔になってしまう。

 原因の一端は自分にもあるので、きつくは言えないのだが、この世界の貴族と言うものを見ていると、想像以上に色々なものと戦っている事に気付く。そして、ステファニーの父もブルックス家を守る為、仕方なく冷酷に徹している様に感じるのだ。

 だから、すぐにとは言わないが、少しずつでも理解して行ってくれると、お互いにとって幸せな道が開けるのではなかろうかとゼウスは思うのだった。


「少し待っていてください」


 ステファニーは寮に着くと、汗を流して着替える為に、ゼウスと共に部屋へ入る。

 ラダールから何日もドレスと言う訳にもいかず、かといって、カレンベルク家で着替えるのもいかがなものかと思い、一旦寮に寄って着替えてから行く事にしたのだ。


「ステファニーは、上級僧侶ハイ・プリーストの法衣で行く方が威厳があるんじゃない?」


 ゼウスは、ドレスに着替えているステファニーを見て、何となく呟く。

 ガロイア神を奉る総本山であるサンストームでも、二十人といない貴重な職であるが故に、上級僧侶のステータスは下手な貴族より高い。

 ドレスの中に一人だけ魔法で淡く輝くローブを纏っていれば、一際目立つだろう。


「嫌よ、仕事してる気分になってしまうもの」

「確かに……」


 あっさり却下されたのだが、むしろゼウスはいつもと違うステファニーのドレス姿に満更でもなかった。


「うん、綺麗だ」


 その姿に見惚れると、思わず呟く。

 着替えが終わったステファニーは、ゼウスの言葉に頬を赤らめながらも、くるっと回って見せる。


「流石、今回の主役だな」

「主役ではないけれど、お褒めにあずかり光栄ですわ」


 そして、ドレスの裾を摘まんで優雅に挨拶をして見せた。

 二人は、着替えを済ませると馬車へ戻り、一路カレンベルク家を目指す。




「落ち着かない……」

「ふふっ、そんなに緊張するフェリクスさんを見るのは新鮮ですわ」


 控室に来て既に紅茶を三杯飲みほしたフェリクスは、四杯目を使用人に注いで貰っていた。


「一刻も早く終わって欲しいよ」

「ひとたび始まれば、すぐに終わります。それまで辛抱なさいませ。あら?」


 屋敷の人間の動きが慌ただしくなったのを感じたエステルは、立ち上がると窓の外を眺める。


「お兄様達がお着きのようですわ」

「兄さん来たの?」


 ようやく気軽に話せる相手が現れたと聞いて、フェリクスは控室を飛び出して行く。

 しかし、馬車が着くと同時に、使用人が十人ほど列をなして待ち受けるのを見ると、迎える機会を逸してしまった。

 馬車から降りた二人は、そのまま使用人に導かれて館へと入っていく。


「ああ……」


 その様子を遠巻きに見るしか出来なかったフェリクスは、またしばらくの間、暇を持て余すのだった。

 そして日が傾き、夕暮れ時になってようやく、フェリクスとエステルの婚約披露パーティーは開始された。

 二人が特に発表するとかは無く、司会の案内にそって挨拶する程度で、後はお決まりの貴族同士の社交場と化すパターンである。


「兄さん、姉さん、僕から離れないでくださいよ」


 見ず知らずの貴族が近寄って来ると、警戒心も露に二人の影に隠れようとするフェリクス。

 しかし、大体はエステルへの挨拶なので、その度にほっと胸を撫で下ろすのだった。

 そして、話の内容は『二人の子供』の事ばかりである。炎帝とカレンベルク家の子供というステータスを求めて、各貴族は今から奪い合いを始めているのだ。


「やっぱり、何度見ても好きになれないわ」


 その光景を見て、げんなりするステファニー。

 自身も権力の道具として使われた事を思い出しているのだろう。次々と入れ替わる貴族へにこやかに挨拶しているエステルを見ると、同情を禁じえなかった。


「でも、赤ちゃんかぁ……」


 ふと呟くと、お腹を撫でる。


「え、なに? もしかして?」


 ステファニーの意味深な呟きに、ゼウスが顔を覗き込む。


「えへへ……まだはっきりとは分からないけどね」

「お、おおおぉぉぉ!」


 はにかむ様に微笑むステファニーに感無量となったゼウスは、思わず彼女を抱きしめた。


「ちょ、ちょっと、こんなところで」

「ありがとー! ありがとー!」


 放っておけば抱きあげてくるくると回り始めそうなゼウスを押さえると、ステファニーは恥ずかしがりながらも穏やかな笑みを浮かべる。


「名前はお父さんが考えてね」

「う、キラキラネームだけはやめておこう。あ、でもこっちの世界だと問題ないか……」

「キラキラネーム?」


 ぶつぶつと言い始めたゼウスを不思議そうに覗き込むステファニー。そしてその様子を眺めていたフェリクスの横を使用人が通り過ぎていくと、何やらメモの様な物を彼女へ渡して去って行く。

 メモを広げたステファニーは、一瞬驚く様な表情に変わるとメモをそっと仕舞い、何やらゼウスと相談を始めていた。


「姉さん、どうしたの?」


 気になったフェリクスは、二人の元に近づいて尋ねる。


「明日、急な召喚が入ったの、だから今日は長居できそうにないわ。ごめんね」

「気にしなくていいよ、むしろ僕も今すぐどこかに行きたいくらいだ」


 申し訳なさそうに言うステファニーに、フェリクスは笑って答えた。


 ゼウスとステファニーが先に帰り、やがて貴族達も帰ると、屋敷では使用人達が片付けをする音だけが響き渡る。


「やっと終わった……」

「お疲れさまでした」


 がっくりと項垂れるフェリクスに、労いの言葉をかけるエステル。


「でも、披露宴になると、もっと忙しいと思いますわよ」

「勘弁してよ」


 エステルの追い打ちに、フェリクスは両手を上げて降参すると、上着を脱ぎ、ネクタイを緩め椅子に座り込む。


「更には、夫婦ともなれば、領地を預かって盛り上げていく事になりますから、もっともっと忙しくなりますわよ」

「そういうのは全部君に任せるよ。僕は戦うのが専門だ」


 弱っていくのが面白いのか、彼女は増々フェリクスを追い込むが、ふいに真顔に戻ると、今度は静かに語り掛けてくる。


「でも、もうこれ以上何と戦うのでしょうか?」

「何と? うーん……貴族?」


 神妙な面持ちで答えるフェリクスに、エステルは思わず笑みをこぼす。


「では、私を悪の貴族から守ってくださいな」


 椅子に座っているフェリクスへ向けて、手を差し出すエステル。


「そうだね、それくらいなら僕でもできそうだ」


 椅子から立ち上がり、差し出された手を取ると、フェリクスはエステルを連れ、会場を後にした。

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