第66話:炎帝
「兄貴! 大丈夫か!」
聞き覚えのある声に、意識が引き戻されるが、すぐに違和感に気付く。
確か右半身は焼けたはずなのに、何故か痛みは無く、右手の感触もある。むしろ暖かさに包まれるような心地良さに、再び意識が遠のきそうになる。
それでも呼び続ける声に応える為、ぐっとこらえて目を開いた。
「おはよう」
目の前には、優し気な笑みを浮かべるステファニーの顔がある。
「あ……れ? おぶっ!」
「兄貴いぃぃぃ!」
目を開けたフェリクスを見て、まさおが顔面にへばりついて来た。
「ぼうびで……どうして、姉さんが?」
まさおを引き剥がしながら起き上がると、フェリクスは辺りを見回しつつ、ステファニーへ問いかける。
「元から来る予定ではあったんだけど、遅くなってごめんね」
「お、目が覚めたか。いやー、ラウラちゃんの部屋に入るのに、入り口が無くなっててね、苦労したよ」
ゼウスの言葉に、フェリクスはラウラの姿を求めて立ち上ろうとする。
「ごめんなさい」
今にも消え入りそうな声が背後から聞こえるので振り返ると、ラウラが涙を流しながらフェリクスを見つめていた。
「ごめんな……ふぇっ!」
「よかった!」
ラウラに飛びつくとフェリクスは、そのまま抱きしめる。
「え? あの……」
「フェリクス。あなた、そういうところ早く治した方が良いわよ」
「よかった、本当によかった……」
ステファニーの声が耳に入る事も無く、フェリクスは暫くの間、ラウラを抱きしめていた。
「こら、婿入り前の男が、いつまでも他所様の娘さんを抱きしめてるんじゃない」
ゼウスに後頭部を叩かれ我に返ったフェリクスは、やっとラウラを離すと、あらためて安堵の表情を浮かべ見つめる。
「こんな事になるなんて、本当にごめんな――」
「まった、これは僕が勝手に来て、勝手にやった事だ。君が謝る必要はない」
「そうそう。フェリクスが弱かったから、こうなっただけだし、ラウラちゃんが謝る事なんて、これっぽっちもないよ」
「ぐ……」
うしろで気の抜けたような声をかけてくるゼウスに、フェリクスは恨めしそうな顔を向ける。しかし、事実ではあるので、ぐうの音も出なかった。
「そう言えば、僕はアスタフェイを倒せたの?」
意識が残っている時、最後に見たのは、握りしめたアスタフェイの
そこから先の事は記憶にないので、倒したのかが定かではない。
急に不安になったフェリクスは、恐る恐るゼウスに聞くのだった。
「自分の右手を見てごらん?」
先程とは違い、優しい声で答えるゼウス。
その言葉の真意が分からず、言われるままに右手を眼前に上げてみる。
再生したばかりで、まだ少し違和感を感じるが、自分の意思通りに動く腕に安心感を覚えると共に、何やら刻印が浮かんでいる事に気が付いた。
「これは……?」
「ああ、兄貴は選ばれたんだ」
いつの間にか定位置に戻っていたまさおが、背中から語り掛けると、フェリクスは手を開いたり握ったりしてみる。そして魔力を流し込むと蒼い炎が右腕を包んだ。
「熱くない!」
「私は、めっちゃ熱いです……」
近くにいたラウラは、炎から遠ざかると泣きそうな声で囁く。
「ああっ、ごめん!」
慌てて炎を消すと、フェリクスはラウラに平謝りする。
「兄貴は魔王アスタフェイを倒し、プロメア様に認められ、選ばれたんだ」
平謝りしているゼウスの背中で揺れながら、言葉を続けるまさお。
「『炎帝』に」
「炎帝……」
顔を上げたフェリクスは、その言葉を聞くと動きを止めて、噛み締める様に自分でも呟く。
「おめでとう、よくやったな!」
ゼウスにガシガシ頭を撫でられながら祝福されると、フェリクスは誇らしさと気恥ずかしさが混ざった表情を浮かべる。
これで憧れの勇者と肩を並べて戦える程度にはなれたのだろうか、ゼウスの手の温もりを感じながら、まだ実感の湧かない右腕を見つめていた。
「よし、片付けも一通り終わったから帰るよ」
「すみません、片付けまで手伝っていただいて」
「いいのいいの、ラウラちゃんは大事な妹だから」
「この方も、ご家族なのですか?」
ゼウスの言葉に、ワルキューレが問いかける。
「ん? そうだね。ワルキューレちゃんにとってはお姉さんになるのかな?」
「えっ? 私がお姉さんんんっ?」
まさかの妹誕生に、ラウラは目を輝かせてワルキューレを見つめる。
「よ、宜しくお願いします。お、お姉、さん?」
「はわぁ……」
お姉さんと呼ばれ、うっとりとした表情のラウラを前に、どうしたらいいか分からないワルキューレは、助けを求めてステファニーを見る。
「仲良くしてあげてね」
「あ、はい……」
そして、にこやかに答えるステファニーに頷く事しか出来なかった。
「じゃあね、ラウラちゃん。もし、ラダールに来ることがあったら、ブルックス家にいるから、尋ねておいで。あ、あと、悪いけど、この穴治しといてね」
部屋から迷宮に抜けている穴を指さして、ゼウスがラウラにお願いする。入り口が無くなっていたから、ワルキューレの槍で迷宮の壁をぶち抜いて入ってきたのだ。
「はい、分かりました。皆さんお元気で」
手を振るラウラを後にして、一行は迷宮を通って魔導院へと帰って行った。
「じゃあ、俺達は急いで帰らないといけないから、後の報告はフェリクスに任せるぞ」
「うん。兄さん、姉さん有難う。あと、妹? さんも、有難う」
手短に挨拶を済ませると、ゼウス達はラダールへ向けて馬車を走らせる。
見送ったフェリクスは、報告の為、その足で学長のヴェルナーの元へと向かった。
「ご苦労。褒賞は追って用意するので、今日はもう下がってよい」
ヴェルナーは報告を聞くと、表情を変える事なくフェリクスに答える。
「はい、回廊を貸してくださり、有難うございました」
「かまわん。どうせ使っているのはクラレンスだけだ」
「はい、それでは失礼いたします」
フェリクスは一礼すると、学院長室を後にする。
「炎帝……か。お前が欲しかったのは、この結果か」
扉が閉まった後、ヴェルナーは窓を見つめると、誰ともなく呟く。
そしてもう一度、誰も出て来る事のない小部屋の扉を見つめた。
フェリクスは学院長室を出ると、自分の部屋へ戻り、まさおと杖を置く。
「留守番よろしく」
「嬢ちゃんによろしくな」
暗闇にぼんやり光るまさおに手を上げて部屋を出ると、隣の部屋へ行きノックをする。
少し間をおいて扉が開くと、エステル付きの使用人であるセルマが現れた。
「あ、こんばんは。セルマさん」
「お帰りなさいませ、フェリクス様。本日私はもう戻りませんので、ご自由になさってくださいませ」
そう言うと、セルマは廊下を歩いて行く。
フェリクスが扉を閉め振り返ると、瞬間、視界にエステルが飛び込んで来た。
「お帰りなさいませ」
「……ただいま」
懐かしい香りに包まれながら、フェリクスは細い腰を抱きしめる。
最初は少し震えているように感じたが、次第に落ち着いてきたのか、徐々に力が抜けていくのが分かる。
「ご無事で何よりです。今、紅茶を用意いたしますわ」
暫くすると、エステルはクルリと回り、紅茶の準備を始める。
「首尾はいかがでした?」
「この通り」
ティーポットを傾けながら問いかけるエステルに、フェリクスは右腕を掲げ、魔力を込めて見せる。
「まぁ、とうとう炎帝に……おめでとうございます」
にこやかに微笑むと、エステルはカップを持って戻ってくる。
「有難う。これで、君との障害は全て無くなった訳だ」
「今度は、婚約の発表で忙しくなりますわね」
ベッドに腰かけているフェリクスへカップを渡すと、自らも隣へ座る。
「あー、やっぱりそういうのあるんだ」
「当然、カレンベルク家の力を各貴族に示す為、お父様は大々的にされるでしょうね」
「僕は、エステルさえいてくれたら良いんだけどねぇ」
「そこは慣れていただくしかありませんわ」
クスクスと笑いながら、フェリクスの胸へ頭を預けていく。
「もしかして、貴族のしきたりとか覚えないとダメなのかなぁ」
「私が教えて差し上げますわよ」
見上げるエステルの顔は、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「お手柔らかに頼みますよ、お嬢様」
流れる金色の髪を優しく撫でながら、フェリクスはエステルを引き寄せると、その桜色の唇にそっと唇を重ねた。
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