第65話:喪失

「お世話になりました」

「どのような状況になっても、お前はお前が思うように自らの力を振るうと良い」

「……はい。有難うございました」


 ワルキューレは、フルメヴァーラに深々と頭を下げると、ゼウス達の元へと走って行く。


「もういいの?」

「はい、おかげさまで今回の特訓は自分を見つめなおす良い機会になりました。血はまだ駄目ですけど」


 幾分すっきりした顔のワルキューレを見て、ステファニーはほっとした表情で馬車へ迎え入れる。


「私、帰れるものなら、いつかは元の世界へ帰り、やり直したいと思います。ですから、それまでは宜しくお願いしますね」

「お? 随分、前向きになったね。無事送り返すまで、しっかり面倒は見るよ」


 朗らかに話すワルキューレに、ゼウスは親指を立てて応える。

 馬車が走り出し、一行が窓から手を振ると、フルメヴァーラ達も手を振って

ゼウス達を見送った。




「兄貴、障壁全開にしとかないと、いつ魂持っていかれるか分からないんで、他のカバーできそうにないぜ」


 背中から呻く様な声で、まさおが話しかけてくる。


「それだけでも助かる」


 フェリクスは杖を握りしめると、アスタフェイに向け蒼炎の一撃を撃ち込む。

 しかし、黒い塊は小さく霧散すると、炎を素通りさせていった。


「チッ!」


 引き続き打ち込む魔法を悉く通り抜けるアスタフェイに、手応えを感じないフェリクスは、自身の眼前に人工精霊を配置すると、魔力を解放させ威力を増幅させた一撃を放った。


「これでどうだ!」


 視界一杯に広がる蒼い炎が、アスタフェイ目掛け轟音と共に突き進む。

 洞窟の通路一杯に広がった炎が岩肌をなめる様に這うと、後には赤熱した岩肌が煙を立ち昇らせる他は何もない空間が広がっていた。

 しかし、何もない空間を睨み続けるフェリクスは、緊張をの糸を張り巡らしたまま、何かを待ち続ける。


「そこそこはやるようだが」


 静寂の中に野太い声が響き渡ると、フェリクスは振り返る。


「我には効かぬ」


 そこには、黒い霧が天井から染み出して、再び黒い影を形成し始めていた。


「いや、効いてるだろ、それ!」


 明らかに先程りより一回り小さくなったアスタフェイに向け、指さしながら叫ぶフェリクス。


「これしきの事、些事である」


 動揺する事無く答えると、地から魔力を補充したのか、アスタフェイは元の大きさに戻る。


「汚ねぇ!」


 フェリクスは叫びながらも、僅かな光明を見出していた。

 倒す事は出来なくとも、事は出来る様だ。ならば、逃げる隙を与えない状態で燃やせば、消滅させる事も可能のはず。

 幸いアスタフェイは、舐めているのか、攻撃手段が少ないのか、先程から吸魂ソウルスチールを常に発動している程度だ。フェリクスは再び人工精霊を六体顕現させると、作戦を実行する隙を伺っていた。




「あれ、何処かで戦いが始まってます?」


 ふいに聞こえる地響きに、ラウラが不思議そうに呟く。

 今更迷宮の魔物を退治しに来るような人物もいないだろうし、何しろ音が聞こえてくるのは、封印している先の方なのだ。


「まさか……でも、どうして?」


 ラウラは、一人の少年の顔を思い浮かべていた。

 私が困っている時に、いつも助けてくれた人。

 私の初めての友達になってくれた人。

 そして、私が初めて好きになった人。

 彼ならば、いくら拒んでも助けに来てくれるだろう。でも、何故反対側に? しかも戦っているのは多分アスタフェイだ。

 それならば、今こうして封印が解けかけているのはどういう事なのか?

 今一度、ラウラが封印を見詰めた瞬間、魔法陣を刻んだ壁面は音を立てて崩れ始める。


「なっ?」


 飛び退いたラウラへ、壁に空いた穴から野太い声が響いて来る。


「我が居城を返していただこう」


 暗闇から現れたのはだった。

 それは、ローブを纏っている事により、辛うじて人型を成している、ラウラとステファニーが数か月前に見た姿だった。


「何故……」

「何故も何もない、持ち主が返せと言っておるのだ。シアリスの代行者よ」


 ラウラが呟いたのは、そういう事ではなく、何故ここにアスタフェイがいるのかだった。

 今、向こうでフェリクスが戦っているのは誰だというのだ。

 誰にも迷惑かけない様に進めていたはずが、結局迷惑をかけてしまっている。

 やるせない気持ちになりながらも、ラウラは一刻も早くアスタフェイを倒し、フェリクスの手助けに行こうと、当初の計画を始めるのだった。




「くっ!」


 飛んでくる氷の槍を球体に迎撃させると、立ち位置を考えながら攻撃を繰り出す。

 そして目的の場所へ誘い込むと、人工精霊をアスタフェイの四方と上下に展開させた。

(いまだ!)


「ぬっ?」


 六つの球体はアスタフェイを囲むと、その黒い塊を閉じ込める。


「これで終わりだ!」


 フェリクスは叫ぶと、杖を突き付け蒼い炎で人工精霊もろともアスタフェイを焼き払う。


「ぐおああぁぁ!」

「かはっ!」


 断末魔の叫びが上がる中、フェリクスは崩れ落ちる様に膝をつくと、大きく肩で息をする。

 常に魔力障壁を展開しながら、人工精霊を何度も顕現させていたのだ、無尽蔵と言われる魔力も流石に底を尽きかけていた。


「やっと終わっ……?」


 ほっとして呟こうとしたその時、フェリクスは奥から聞こえる轟音に気付いた。


「何……」


 音がする方から漂う気配に、嫌な予感が込み上げてくる。


「何が、いる」


 考えたくない光景が、頭にチラつく。


「誰が、戦っている」


 悲鳴を上げている体に鞭打ち、再び立ち上がると、フェリクスは奥へ目掛けて走り始めた。




「しかし、これは……どういう有様だ」


 一面ピンク色になっている壁を見て、黒い影が呆れたような声を上げる。


「可愛い……ですよね?」

「たわけ!」


 覗き込むように答えるラウラを一喝すると、アスタフェイは双眸を赤く輝かせる。

 強烈な威圧感と共に襲い掛かる波動は、波の魔力障壁では防ぐ事も出来ず、魂を抜き取られてしまうだろう。

 ラウラは自らのローブを手繰り寄せると、障壁を展開して吸魂ソウルスチールに耐える。

 そして誘うように後退すると、小さな部屋へと入っていく。

 誘い込まれていると分かっても、そんな事はお構いなしとばかりにアスタフェイが付いて行くと、部屋へ入った瞬間、頭上から何かが降ってきた。


「ぬっ?」


 それは纏っていたローブにかかると、染み込んでいき光沢を放ち始める。

 それを確認したラウラは、壁にかけていた松明を投げつけ、部屋を飛び出した。


「……」


 炎に包まれた部屋の中で、無言で漂うアスタフェイ。

 ダメージは無い様だが、纏っていたローブは灰になって零れ落ちていく。


「消えて!」


 ローブを失ったアスタフェイに、ラウラは渾身のターンアンデッドを撃ち込む。


「むごおぉぉ!」


 初めてダメージを感じたアスタフェイは呻き声を上げながらも、ラウラへと近づいていく。


「消えてよ!」


 叫びながらも浄化を続けるが、アスタフェイは消える気配もなく尚も進んできていた。


「所詮僧侶とは言え、シアリス神の代行者。その属性は限りなく闇、我々に近い。故にその浄化の魔法も、我が再生速度には及ばぬのだ」


 確かにラウラのターンアンデッドは、アスタフェイを浄化していた。しかし、その速度を上回る速度で、アスタフェイは自身を再生していたのだ。


「消えろおおぉぉぉ!」

「!」


 残る全ての魔力をかけて浄化を続けるラウラ。その力は僅かずつだが、アスタフェイの再生速度を上回り始める。


「なかなかどうして、やりよる。しかし――」


 徐々に薄くなり、中心に四角いコアが露出し始めたアスタフェイは、ラウラの眼前まで来ると、その頬に手を添える。


「きえ……」


 涙を浮かべていたラウラの目から光が消えると、その体は糸が切れた様に崩れ落ちていく。


「ラ……あああぁぁぁぁぁぁ!」


 その瞬間を見ていたフェリクスは、衝動に任せて走り出していた。


「兄貴、あれはさっきのよりまずいぜ!」


 まさおの制止も聞かず走り続けるフェリクスに、アスタフェイは吸魂ソウルスチールの光を放つ。


「まったくよぉ!」


 今のフェリクスにあの光を防ぐ障壁は張れない。それが分かっていたまさおはフェリクスの背中から飛び出すと、視線の先に飛び障壁を展開する。


「今のうちに下がれ!」


 まさおが叫ぶが、その忠告も聞かずフェリクスは走り込むと、再生して隠れ始めていたアスタフェイのコアに向けて右手を突き出した。


「なに? 我が影を倒してきたか」


 一瞬でも良い、最低限吸魂を防げる障壁を張ると、フェリクスは核を握りしめ、再び叫びながら残る魔力を絞り出す。


「ああああぁぁぁ!」


 そして、少しでも気を許せば魂を持っていかれそうな中、右手に残る魔力を込めると、核を蒼炎で焼き始めた。


「ぬおっ! 貴様!」


 想定外の事態に動揺の声を上げると、魂を刈り取る為にフェリクスへと手を伸ばすアスタフェイ。しかし、フェリクスは自らの右腕が燃え尽きるのも構わず焼き続ける。


「ぬおおああぁぁがあぁぁ!」


 存在の危機に恐怖を感じたアスタフェイが吠える中、フェリクスの瞳から光が消え始める。

魂を抜き取られる感覚に全身が震える中、右手だけが熱を持ち続けていた。このまま死ぬのだろうが、彼女の最後の顔を見た瞬間、どうしてもこの魔王だけは殺したかった。

 だから、この核が燃え尽きるまで、死んでも炎は消さない。

 そう念じながら、フェリクスは瞳から光を失っていく。

 そして、アスタフェイの核が燃え尽きた後、その体は炎と共に崩れ落ちていった。

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