第63話:焦燥
「じゃあ、行ってきます」
「ご武運を」
軽く口付けを交わすと、エステルはフェリクスを見送る。
ラウラの迷宮に来るという魔王アスタフェイを打つ為とはいえ、エステルの心の中には、もやもやとしたものがいまだ燻っていた。
別の女性に会いに行くという俗な事で心乱す程、やわな心はしていないが、『自分が役に立てない事』に関しては、常に全力で事を成してきた彼女にとっては、無力感に苛まれると共に、今までの努力を否定されている様で、どうにも居たたまれなかった。
ただ、無理を言ってついて行ったとしても、足手まといになる事は自分でも理解しているので、ここはぐっと我慢をして無事を祈るのみだった。
魔導院が用意してくれた馬車に乗って、フェリクスは北にあるラウラの迷宮へと向かう。
何故、魔導院が馬車を用意してくれたかと言えば『魔導院が魔王アスタフェイを倒した』という事実を作る為である。後から討伐費用をがっぽり請求する気満々なのだ。
フェリクスとしても、自分で馬に乗ったり馬車を操る必要が無いので、楽に移動できる事は有難かったし、魔王討伐の褒賞もいくらかは出るという話なので、特に気にはしていない。
そもそも今回の討伐の一番理由は、魔王を倒して『炎帝』になる事である。そうすれば、晴れてエステルと結婚できるのだから、気合も入ると言うものだ。
三日間かけて入り口まで到着すると、フェリクスは早速迷宮へと降りていく。
(前と全然違うな)
そこは、岩肌が露出した天然の洞窟だった面影は一切なく、つるつるした壁で出来た四角い通路が縦横無尽に並ぶ迷宮と化していた。
「ラウラさ―ん!」
迷宮の主なので、人が入れば感知するだろうと思っていたのだが、何の反応も無いので、フェリクスは何度か呼んでみる。
しかし、その声にも返事がないので徐々に焦りが募り始めると、自然と足早に進み始めた。
「ラウラさーん! フェリクスですよー!」
最下層と思しき場所まで来たのだが、一向にラウラの部屋へ繋がる道が見つからないので、叫びながら辺りをうろつく。壁に仕掛けが無いか触りながら歩き回ったりもしたが、それらしき物も無かった。
(もしかして……)
魔王打倒だの、炎帝になるだの、勇んで入ったものの、気がつけばいつの間にか頭の中はラウラの心配でいっぱいになっていた。
(ダメだ、このままじゃ何も考えられない)
焦りが募る中、両頬を叩き落ち着こうと努力するフェリクス。
(どうすればいい、どうすればいい……)
「ああぁぁぁ!」
考えれば考える程に焦るフェリクスは、叫び声を上げると、とうとう考える事を辞め走り出していた。
出口へ向け一心に走ると、馬車に飛び乗って御者へ叫ぶ。
「すぐに魔導院へ戻ってください! 急いで!」
夏休みに入った魔術学院で、書類整理をしていたクラレンスは、束の間の休息に紅茶を楽しんでいた。
そこに、茶葉を保管している倉庫から、物音と人の声が聞こえて来たので、何事かと席を立つ。
「先生! 開けてください!」
「おやおや、どちら様かと思えば」
厳重な施錠を外し、呪文を唱え扉を開けた瞬間、中からフェリクスが飛び出してきた。
「何をそんなに慌てて――」
「有難うございました!」
「――いるのですか」
クラレンスが言い終わる前に、フェリクスはその場からダッシュで消えていく。
「紅茶ぐらい飲んで行けばいいのに」
走り去った扉を眺めながら、クラレンスは紅茶のカップを取り上げ、一口啜った。
ゼウス達が引っ越しの時に使ったという魔法陣を目指して、フェリクスはラウラの実家を目指す。ぜぇぜぇと荒い息を繰り返しながらも、足は休むことなく走り続け、やがてラウラの実家が見えると、そのまま倉庫へと向かった。
「おや、フェリクスちゃんじゃない、どうし――」
「おばさん、こんにちは! 倉庫の魔法陣借ります!」
「あらあら、場所分かるのかしら」
倉庫に向かって駆けて行くフェリクスを見送りながら、ラウラの母親は呟くと、念のため父親を呼びに行った。
「おーい! フェリクス君、こっちじゃ、こっち!」
案の定、迷っていたフェリクスは、ラウラの父親に呼ばれ、戻ってくる。
そして、床の魔法陣に魔力を流し込むが、何故か光るどころか、一切の反応を見せなかった。
「どうして」
何度も魔法陣の上に乗ったり下りたりしながら、呟くフェリクス。
「なんで動かないんですか!」
「そう言われても、わし等は魔法に疎いから何とも言えんのう」
焦るあまり、両親にきつく当たってしまった事に罪悪感を感じながらも、抑えられない自分に苛立ちを覚えると共に、もはや取るべき手段を思いつかないフェリクスは、絶望に押しつぶされるように、両ひざから崩れ落ちた。
「それは、向こう側の魔法陣を封鎖してるからですね」
「先生?」
聞き覚えのある声にフェリクスが振り返ると、そこには先程まで学院長室で紅茶を飲んでいたクラレンスが立っていた。
「それは、どういう事ですか」
「彼女は今回の件で、誰も関わらせたくない。と言う事です」
「何故そんな事を?」
フェリクスは、ラウラが何故そんな事をする必要があるのか、意味が分からなかった。
「表向きに言えば、冥王の矜持を守る為。でしょうね」
冥王を名乗って早々に、代行者でもないフェリクスに助けて貰ったとあっては、面目は丸潰れである。そうなれば『自分でも冥王を倒せるのではないか』と勘違いした輩が多数押し寄せて来る事になるだろう。そういった手合いを防ぐ意味でも洞窟を迷宮に変えていたのだ。
「じゃあ、裏向きは?」
「君に迷惑をかけたく無かったからでしょうね」
「は?」
フェリクスは、頭を殴られたような衝撃を受けていた。
(迷惑ってなんだ……)
初めて会ってから今まで、助けたり助けられたり、彼女との仲はそれが当たり前だと思っていたのだ。それを今更迷惑かけたくないとか言われると、ふつふつと苛立ちが込み上げてくるのを感じる。
「先生、この魔法陣治せませんか?」
こうなったら、いくらラウラが断ろうと、意地でも行く事に決めたフェリクスは、クラレンスに魔法陣の修復を依頼した。
「残念ながら、向こう側を封じている限り、通行は出来ませんね」
「そんな!」
「しかし、私としてもフェリクス君に頑張ってもらわないと困るので、一つだけある方法をお話しします。少々危険ですが、それでも――」
「行きます!」
説明を聞く時間も惜しいとばかりに、フェリクスは即答していた。
「――良いでしょう。方法は、この魔法陣を使って君を飛ばします。ただ、ある程度の座標は指定できますが、行き先に魔法陣が無いので、正直、何処に出るか分かりません。そこは覚悟しといてください」
そう、念を押すと、クラレンスは魔法陣を書き換え始める。
知識のないフェリクスが見ても、高度な事をしているのが分かる程に、クラレンスの手際は凄まじく正確で速かった。
物の数分で書き換えると、魔力を送り込む。
「さぁ道は出来ました。いま彼女を救う事が出来るのは君だけです」
淡く光った魔法陣から下がると、クラレンスはフェリクスへその道を譲る。
「有難うございます先生。行ってきます!」
お礼も早々にフェリクスは輝く魔法陣に飛び乗ると、正確な行先も分からない場所へと飛んで行った。
空間が捻じ曲がると共に、目の前の視界が混ざり合い溶け合っていく。魔導院からクラレンスの学院長室まで飛んだ時よりも歪みが激しく、フェリクスは強烈な吐き気に襲われた。
(うっぷ)
必死に吐き出すのを我慢しながら浮遊感に包まれていると、不意に視界が戻り始める。
やがて渦が逆回転に戻っていくと、映像が鮮明になった。
開けた視界は青と白。浮遊感はそのままだったが、すぐにある方向へと引っ張られ始める。
そしてその方向へ顔を向けると、遥か下に島がある事に気付いた。
「おわああぁぁぁぁ!」
空から落下を始めている事に気付いたフェリクスは、風圧で開いた口のまま叫びをあげると、背中からまさおを引っぺがし、顔の前に突き出した。
「あぶぁああぁぁにきいぶいぃぃ!」
同じく風圧で口をぶるぶる震えさせながらも、巨大化して羽を広げるまさお。
しかし、その羽もお飾り程度の大きさなので、滑空というよりは自然落下と言う感じなのは否めない。
「えりこ、頼む!」
まさおの背に乗ったフェリクスは、杖を手にえりこを呼び出す。
「空も飛べないなんて、人間もドラゴンも不便な種族よね」
地上に激突する寸前でえりこが突風を巻き起こし、減速させる。後はまさおが魔力障壁でガードしながら周囲の木々をなぎ倒してなんとか無事に着地した。
「ここは……」
フェリクスは周囲の鬱蒼と生い茂った木々を見回すと、本当にここで場所は合っているのかと不安になる。
「兄貴、ここで合ってるっぽいぜ」
元の大きさに戻って背中に張り付いたまさおは、前方から現れた影を見て、フェリクスに話しかける。
そこには、大陸でよく見かけるゴブリンやオークが群れを成していた。
そしてその全てが、何処かしら腐れ落ちており、腐臭を放っているのであった。
「ああ。さっさと片付けて、ラウラを助けに行く」
フェリクスは杖を腰に戻すと、両手を広げ、十二の球体を顕現させた。
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