第59話:思惑

 ゼウスは、ワルキューレに弓を手渡すと、基本的な扱い方のレクチャーを始める。

 鏃の部分に若干の嫌悪感は示すが、剣の様な事は無くスムーズに練習は進んで行った。


「やっぱり何やっても覚えるの早いね。もうこれ以上は、フルメヴァーラさんに頼むレベルだよ」

「フルメヴァーラさんって、すごい名前ですね。キラキラネームなんですか?」

「いや、こっちの人だよ。魔王やってるの」

「ま、魔王?」


 ワルキューレの世界では、魔王と言えば悪の権化、人類の敵、世界を滅ぼすもの等々、およそ気軽に「さん」と呼ぶような代物ではない。たまに呼ばれるアニメもあるが。

 しかも、レイナードから、魔王は勇者が倒す敵だと聞かされていたので、増々困惑の表情を浮かべる。


「便宜的に魔王って呼ばれてるけど、悪い人ではない……と思うよ」


 場合によっては、敵対していたかもしれない相手なので、言葉を濁すゼウス。

 その『悪い人』という表現も、立ち位置によっては変わるのだ。所詮、人の善悪など、自分の都合でどうにでもなるのである。

 その先入観から間違った選択をしない様に、自分自身にどう影響するかを考えて行動するよう、ゼウスはワルキューレに、自身のこの世界での経験を踏まえて話をした。




「お久しぶりです、という程でもありませんね」

「やあ、ラウラさん、はるばる遠方よりお呼び立てして、すみませんね」


 クラレンスはゼウスの話を聞いた後、魔導院へ魔王アスタフェイの件を伝えた。

 結果、急遽教会と魔導院に国王を交えた会議が開かれ、再度討伐の話が決まる事になる。

 そして、何故かクラレンスが、その話をラウラに伝える事になったので、両親に伝えて学院まで来てもらっていたのだ。


「嫌ですよ、折角創った迷宮ですし、暴れられて壊されたら困ります。あれから封印を解くような気配も見られませんし、皆さんには放っておいて頂ければ良いって、先生からお伝えください」


 予想通りの返事が返ってきたが、一応、伝令係として真っ当な意見で説得を試みる。


「魔王を打ち損じたっていう、彼らの面子の問題は置いておくとして、国民を守るという大義名分があるからねぇ。討伐した魔王が野放しってのは、国民もいつ攻めてこられるか気が気じゃないと思うよ」

「う……。じゃ、じゃあ、もしアスタフェイが攻めてきたら私が倒します」


 多分、自身が無いのであろう、テーカップで顔を隠すように俯くと、見上げるような視線で呟く。


「困りましたねぇ」


 あまり困っていない様な声で、クラレンスはため息交じりに答えると、腕を組んで考える風を装う。


「も、もし来たら、魔王が暴れる前に私が暴れますよ?」


 形勢不利を感じて、自暴自棄になったラウラが物騒な事を言い始めた。


「それはもっと困りますねぇ。……分かりました、教会と魔導院には私から言っておきましょう。その代わり、アスタフェイが来そうになったら、魔導院でも教会でも私にでも、すぐに教えてくださいね」

「あぇ?……分かりました」


 意外にも自分の主張が通ったので、ラウラは拍子抜けした返事を返すと、これ以上何か言われないうちに、そそくさと自分の迷宮へ帰って行った。


「さて、次は彼ですね」


 来客のいなくなった部屋で誰にともなく呟くと、クラレンスは紅茶の茶葉を仕舞っている倉庫へと歩き始める。

 ただの倉庫にしては厳重な施錠が施された扉の前に立つと、一つずつ錠前を外す。

 次に呪文を唱え扉が赤く光ると、もう一度呪文を唱える。すると、扉の光が青色に変わり、クラレンスは扉を開けて中に入った。

 内側から施錠し、呪文を唱えると、再び扉が赤く光り元に戻る。

 クラレンスは、狭い部屋の中に置かれている戸棚から紅茶の茶葉を補充すると、容器は置いておき、部屋の隅へと進んだ。

 そして、床に書かれている魔法陣へ魔力を注ぎ込むと、その上に飛び乗った。



「なんじゃ、カビ臭いと思ったらお主か」

「ご無沙汰しております、先生。お元気でしたか?」


 光が薄れていく魔法陣が描かれた個室から出てくると、クラレンスは机に肘をついてこちらを見ている老人に話しかける。


「それに、カビ臭いのは掃除をしないからです。弟子にでも頼んで、たまには掃除させた方が良いですよ」

「お主以外に、そこを使う者はおらん。使う者が掃除をしろ」


 読んでいた書物にしおりを挟むと、再び視線をあげる。無造作に伸ばした白髪が肩へ流れると、金色の瞳がクラレンスを捕らえた。


「滅多に使わん『回廊』を使ってまで、わしに何の用じゃ」


 その表情は、とても面倒くさそうである。

 しかし、そんな老人に全く動じないクラレンスは、今回来訪の要件を伝える。


「先日の会議で決まりました魔王の再討伐ですが、『冥王』から迷宮に立ち入る事を拒否されまして、中止の検討を進言に参りました」

「そういう事は教会に言え。わしらは戦うも戦わぬも、どちらでも構わんのじゃから」


 話の内容にさして興味が無かった老人は、再び書物を広げ、続きを読もうとする。

 今回の再討伐は、概ね教会の威信が元である。故に、魔導院側は正直どちらでも良かったのだ。討伐する事により褒賞がでるので、仕方なしに同行するのだが、それさえ無かったら、魔導院側はそもそも行く気も無かっただろう。


「ですから、ものごと筋を通すのが礼儀と先生より学びましたので、魔導院学長のヴェルナー・ホーグランド先生に、こうしてお伝えに来た次第です」


 ヴェルナーは、ページをめくっていた手を止め顔を上げると、ドヤ顔のクラレンスと目が合う。


「学んだところで、実践した試しなど無かろうが。で、冥王は何と言うとるんじゃ」

「魔王が出てきたら、自分で倒す。と」

「ふむ……アレの相性では、倒せんじゃろう」

「多分無理ですね」


 ラウラは、基本的には僧侶に近いので、一般的にはアンデッドに対しては強い。(事実、洞窟にいたドラゴンゾンビも浄化している)

 しかし、ターンアンデッドを代表とする浄化の魔法を対策されると、一気に攻撃手段が少なくなるのだ。

 後は『スクエア』を代表する穴掘り魔法なのだが、生身の物体に使うと見るに堪えない状態にするこの魔法も、幽体であるアスタフェイには効果が期待できなかった。


 当然、その事を分かっていて話を持ってきたクラレンスに対し、ヴェルナーはますます眉間に皺を寄せる。


「ですから、アスタフェイが現れた時は、お宅のフェリクス君にその事をお伝えください」

「それで、どうにかなるのか?」

「なりますね。多分」

「ふん……」


 しばしの間、思案したヴェルナーは、もう一度開いていた本を閉じた。


「何を悪だくみしとるか知らんが、伝えるだけなら、しておいてやろう」

「有難うございます」

「他に話はあるのかか?」

「いえ、以上です。先生の貴重な時間をいただきまして、有難うございました」


 あまり長居会いたくは無いのだろう、クラレンスはヴェルナーに向け、大仰に頭を下げると、そそくさとカビ臭い個室へと戻っていった。


 魔法陣の光が収まるのを待って、読みかけの本を棚へと戻したヴェルナーは、使いの者を呼ぶ。


「お呼びでしょうか、師匠マスター

「教会へ急ぎの使者を立ててくれ」

「かしこまりました」

「それと」


 すぐに戻ろうとした男を呼び止め、


「そこの物置を掃除しておいてくれ」


 と、今しがたクラレンスが消えた個室を指さした。




「ゼウス、どう?」


 気配を探るゼウスに、覗き込むように語り掛けるステファニー。


「んー、かなり遠くて分かり難いけど、動き出したね」

「やっぱり見張られてたんだ」


 二人の練習を見ながら、周囲を警戒していたステファニーが、気のせいかと思う程の違和感を感じて、ゼウスに探ってもらった結果、何者か見張られている事に気付く。


「取り合えず、暗くなる前に屋敷へ戻ろう」


 相手の人数も不明の状態で、背にする壁も無い森では不利と悟ったゼウスは、すぐに撤収を始める。

 そして幸いな事に、三人がブルックス家の屋敷に戻るまで、気配は襲って来る事は無かった。


「さて、問題はこれからだね」


 人々が寝静まった夜更け、ゼウスは屋敷の外で一人敵を待つ。それは感じていた気配が動き始めたからであった。

 微弱ではあるが、複数の気配が屋敷に向かって来ているのを感じる。

(六、七……八か)

 相手の数を把握すると、長剣は動きの邪魔にならぬよう背中へ固定し、愛用の短剣を両手に握る。

 程なくして気配が屋敷の周囲まで来ると、ゼウスは前方の林にファイアを放った。

 まさか、屋敷の周囲に火を放つとは思っていなかったのであろう、突然燃え広がる炎から逃げる様に散らばる気配。そしてそれを追い始めるゼウス。

 さすがに黒装束ではないが、闇に馴染むよう、黒く染められた皮装備に身を包んだ男が、炎に照らされその姿を現す。


「なっ!」


 予想以上の速さで近づいてきたゼウスに、対処する間もなく首筋を短剣で撫でられた男は、飛び移った木の枝に足をかけ損ね、そのまま闇の中へと消えていく。

(ひとつ)

 一人切り伏せたゼウスは、足場の枝を蹴って次の枝に乗ろうとする。

 そこへ、その隙を狙って、左前から投げナイフが音もなく飛んできた。

 ゼウスは苦も無くそのナイフを叩き落とすと、ナイフが飛んできた方へ短剣を投げる。


「がっ!」


 手ごたえを感じると、着地と同時に鋼糸ワイヤーを引き短剣を手に戻す。

(ふたつ)

 ゼウスの相手は荷が重いと判断したのか、目標であるワルキューレを最優先にしたのか、男達はゼウスを避け、屋敷へと潜入しようとする。


「!」


 しかし、どの扉も窓も開ける事はおろか、見えない壁に阻まれ触る事すらできない。それは二階の窓も同じで、男達は完全に足掛かりを失っていた。

 攻めあぐねている男達を始末するべく、ゼウスは向かおうとするが、突如全身が総毛立つと同時に、最速の踏み込みでその場を逃れる。

 咄嗟の事で加減が出来なかったので、勢いよく屋敷の壁に蹴りを入れると、そのままの状態で、相手の追撃を受け止めた。

(早い!)

 背後に燃える炎の所為で顔は良く見えないが、その中で光る殺気に満ちた瞳は、見る者を縛り付けるような鋭さを放っている。

 ゼウスは踏み込みを利用して押し返すと、地上へと着地して体制を立て直す。

 炎とは別の光が頭上から照らされ、対峙する男の二本の剣が光を反射する。

 その時、狂気の瞳を宿した男の顔が、静かに笑うのが見えた。


「おや? この満月の良き日に、かの御仁と出会うとは、どういった星の巡り合わせでございましょう」


 そして、いつの間にか相対する二人の横に、黒で統一された服装に赤のネクタイクラバットを締めた紳士が立っていた。

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