第56話:不死の魔王

「いやー、早いもんだね」

「本当ですねぇ」


 老夫婦が縁側で交わす会話の様なやりとりをする、ゼウスとステファニー。

 今日は、ラウラがクラレンス魔術学院を卒業する日である。別の言い方をすれば、ラウラのお引越しの前日だ。


「あの子も、もう十七歳か」

「立派になったわよねぇ」


 ステファニーはこの日の為に休暇申請を済ませ、ゼウスも遠方への冒険は自粛していた。卒業祝いをやろうかという話もあったのだが、家族と過ごす最後の日なので、そこは両親へと譲り、引っ越し完了祝いのパーティーをやる事にしている。

 

「私はてっきり、フェリクスとくっつくと思ってたのに」

「まぁ好きの延長線上に愛になる人もいるけど、好きは好きのままで、別に愛する人が出来る事は良く有るからねぇ」

「ゼウスもそうなの?」

「俺はステファニーさん一筋ですよ?」


 背中から抱きついて来るステファニーの手を握ると、ゼウスは顔を振り向き答える。


「それは光栄ですわ」


 振り向いたゼウスのおでこに、コツンと自分のおでこを当てながら、ステファニーは微笑む。

 しかし、その後にふっと真剣な顔に戻ると、耳元で囁いてきた。


「ねえ、ゼウス」

「ん?」

「もし、元の世界に帰る事が出来たら、どうする?」

「なんだい? 突然」


 その表情に僅かな不安の色を感じ取ったゼウスは、気になって尋ねる。

 ステファニーは、コルネリウスが元の世界に帰りたがっている事、その為の研究を進めている事、研究に関して彼女が助言を求められている事を話した。


「なるほど……」


 ゼウスは、ステファニーの不安を取り払うように頭を優しく撫でると、話を始める。


「まず、俺が元の世界に帰る事になったとしても、君を置いては行かない」


 その言葉に、ステファニーは安堵の表情を浮かべ、頬を摺り寄せてきた。


「それに、元の世界では『既に居ない者』のはずの俺は、帰れないと思う」

「どうして?」

「いろいろと世界の辻褄が合わなくなるからね。元の世界では『パラドクス』って言うんだけど、その辻褄が合わない事を修正しようとして世界がおかしくなるんだ」

「じゃあ、もしコルネリウス様が戻ったら?」

「あまり良い事は、起きそうな気がしないなぁ」


 ゼウスが昔読んだ小説の中には、パラドクスによって世界が滅びると書いてある物もあった。所詮フィクションなのだが、この世界に転移している事自体、既にフィクションめいているのだ。何があってもおかしくは無い。


「だったら、私は手伝わない方が良いのかしら」

「そうだねぇ、もし彼が元の世界に帰ったとして、こっちに転移した過去が改変されたら最悪、俺は『いない事』になるかもしれないね」

「それは嫌」


 ステファニーは手放さない様に、ぎゅっとゼウスを抱きしめる。もし、その様な事になるなら、自分はどうすれば良いのか、新たな不安に悩むのだった。




「お邪魔します」

「おお、よく来てくださった」

「ささ、どうぞどうぞ」


 ラウラの両親に案内されて、ゼウスとステファニーは家の隣にある倉庫に入り、そのまま地下室へと続く階段を降りていく。

 途中、地下室らしき空間はあるのだが、そこを通り抜け更に降りていく。

 降りていく。

 尚も降りていく。


「深っ! そして、広っ!」


 都合、五つほどの空間を通り過ぎて降り立った場所は、所々に柱があるものの、先の方まで空間が広がっていた。


「これ、地下室と言うより、迷宮ダンジョンですよね?」

「いやぁ、娘は小さい頃から地下室が好きでねぇ。よく籠ってたんですよ」


 父親が頭をかきながら、照れ臭そうに語り始める。

(いや、好きだからって、勝手に地下室が迷宮にはならんだろ!)

 

「それで、いつの間にかこんなになっちまいましてねぇ。あ、こちらです」


(普通、親なら止めろよ!)

 と思いながら父親の後を付いて行くと、淡い光を発する小部屋に入っていく。


「そこの魔法陣に乗れば、行けますので」


 と、指さす先には、淡い青色に光る魔法陣が床に刻まれていた。


「では、いざ」


 ゼウスが魔法陣の上にひょいと乗ると、瞬間、景色が湾曲し始める。

 そして混ざり合った色が戻り始めると、違う色の壁の前に立っていた。


「うっぷ……」


 三半規管が刺激されたのか、一種の乗り物酔いの様な症状に襲われるゼウス。

 口を押えながら魔法陣から出ると、そこには艶やかな銀色の髪を腰まで伸ばした水色の瞳の少女が立っていた。


「ゼウスさん、ようこそ!」

「おぅ、ラウラちゃん久しぶり」

「あぁ、ゲート酔いしちゃいましたか、最初のうちは結構なるんですよねぇ。慣れたら全然大丈夫なんですけど」


 最初に会った頃に比べ、少し大人っぽくなったラウラが、微笑みながらゼウスを迎える。


「しかし、移動魔法って凄いな。流石、代行者ってところか」

「魔法陣の調整が面倒なんですけどね。一回書けば後は何度も使えるので便利ですよ」


 簡単そうに言うが、世界中に移動魔法を扱える人間がいったい何人いるだろうか。ゼウスは、屈託なく笑う少女の力に改めて感服していた。


「うえぇぇ……」

「ステファニーさんも、いらっしゃい!」


 胸元をさすりながら、背を丸めて魔法陣から出てくるステファニーを迎えに行くラウラ。

 当初はフェリクスの姉として仲良くしていたが、最近では本当の姉妹の様に感じる程、お互い気を許している。ラウラは一人っ子で兄弟愛に飢えていたのだろうし、ステファニーはステファニーで、別れた姉妹の事を思い出しているのかもしれない。

 なんにせよ、二人が仲睦まじく会話しているのを見ていると、ゼウスの心は穏やかな気持ちに包まれていった。


 人手が揃ったところで、引っ越しを開始するのだが、細かいものはラウラが合間を見て一人で運んでいたので、残るは大きめの家具などがメインである。

 ラウラの父親とゼウスで、ベッドや衣装箱などを運び入れると、後は比較的簡単に事は進んだ。

 こうして、ピンクの壁に包まれたファンシーな部屋が地中深くに完成したのである。

 日の光が当たらない事を除けば、一般的な家庭の部屋よりは豪華な仕上がりに、ラウラも満足そうだ。もっとも、ラウラは日の当たらない事「も」お気に入りのポイントの一つだと思っているのだが。


「お陰様で、お引越しが完了しました。有難うございます」


 ペコリと頭を下げるラウラ。と同時に、遠方で何かのうめき声が響いて来る。


「またですよぉ。最近アンデッドが多くて多くて……」


 うんざりした様な表情で呟くと、浄化に向かう準備を始める。ステファニーも手伝う為、杖を取りに戻った。


「まだ探索していない通路があって、そこから来てるみたいなんですけど」


 歩きながらステファニーへ説明するラウラ。その先にアンデッド発生の原因があるとすると、油断は出来ないと二人は気を引き締めて進む。

 明かり代わりのホーリーライトを前方に飛ばし、弱いアンデッドは都度、浄化しながら進んでいると、突然、周囲の壁の色が変わってくる。


「ここから先が、まだ進んでないところです」


 ラウラの言葉に、杖を握る手に力を込めるステファニー。何が出て来ても対応出来る様、プロテクションを二人にかけ、ディバインシールドを前方に展開させた。


「うぼぁ!」

「あがぁ!」

「うごごごぉ!」


 ホーリーライトが光に集まる虫を焼き払うが如く、アンデッドを浄化する中、二人は通路の先に今までとは違う気配を感じる。


「ステファニーさん、あれ……」

「何かとてつもなく嫌な感じね」


 その物体、物体と言って良いものだろうか、輪郭がぼやけているそれは、黒いフード付きのマントを羽織っている事で、辛うじて形として認識できているような代物だった。

 フードの奥から光る二つの青白い光は、魔力障壁の弱い者なら魂を抜かれる程の冷たさを発している。


『ターンアンデッド!』


 ステファニーは、ホーリーライトの数を増やし、威力を増幅したターンアンデッドを黒いフードに向け放つ。


「!」


 瞬間、フードに文様が浮かび上がり、浄化の光が避ける様に流れていった。


「ラウラちゃん、通路を塞いで!」

「は、はいっ!」


 スクエアで天井の岩を落とし、通路を塞ぐと、二人は走って元の道を戻る。


「なんですか、アレ!」

「わかんない、でもカラックより危ない奴かも!」


 過去にカラックと戦った事のあるステファニーは、曲がりなりにも浄化の光を当てる事が出来た。しかし、あの黒いローブ姿の物体は、以前より威力の増したターンアンデッドを凌いだのだ。

 ガロイア神は大地母神である為、その僧侶プリーストの浄化の光は、地の精霊力が強いアンデッドにおいて、他の僧侶のものより効果が強い。それが効かないとなれば、あとは逃げるしか手が無かった。

 元の通路まで戻ってきた二人は、何重にも岩で塞ぐと対アンデッド用の結界を厳重に張っていく。


「はぁ、はぁ……」

「大丈夫ですかねぇ?」


 岩壁に背を預け、肩で息をしながら二人は様子を見る。

 暫くしても気配は感じなかったので、その後は時間をかけ、魔法陣を使ったより強固な結界を張って、その場を後にした。


「遅かったね」


 のほほんと出迎えたゼウスに、ステファニーは駆け寄ってしがみつくと、事の次第を話し始める。


「まぁ代行者の結界だから大丈夫だとは思うけど、何かあったらすぐ逃げてね」

「冥王を名乗るからには、簡単に逃げちゃダメなので……」


 ゼウスの言葉に気丈に答えるラウラ。

 忘れていたが、この子は代行者なのだ。過酷な世界に身を置いている彼女を心配そうに見つめていたステファニーは、そっと彼女を抱きしめる。


「どうしてもダメだったら、遠慮なく言ってね」

「はい、ありがとう、ございます」


 暖かい温もりに包まれたラウラは、零れ落ちそうになる涙をぐっとこらえ、微笑んで見せた。




「ああ、それ、多分アスタフェイですね」

「は?」

「だから、魔王アスタフェイ」


 後日、魔術学院に来ていたゼウスは、クラレンスに先日の事を話したのだが、衝撃の答えが返ってきた。


「教会と魔導院が倒したんじゃなかったの?」

「奥さんのターンアンデッドが効かなかったって事は、教会も倒しきれていなかった可能性が高いですよねぇ」


 確かに、上級僧侶ハイ・プリーストであるステファニーの浄化が効かなかったのだ。コルネリウスでもいない限り、それ以上の浄化は出来ない。そして、魔導院の魔法使い達は、大方、教会に任せてただ金魚の糞の様にぞろぞろと付いて行き、討伐費用だけ請求したのだろう。


「お、おう……」


 教会と魔導院の体たらくが目に浮かんだゼウスは、ため息をつきながらも、クラレンスの言葉に納得する。


「これは、教会と魔導院の失態かもしれないですねぇ」


 と、クラレンスは言うと、楽しそうにティーカップを傾けた。

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