第55話:指輪
「では、早速行ってまいります」
ジルの依頼と言うのは、ドワーフ達が住んでいる山を襲ってくる、氷の精霊の退治だった。
氷の精霊は、一つだけ雪が積もらない山が気に入らないのか、時々やって来ては山を凍らせていくのである。
その度にドワーフ達は、総出で暖房設備の修復に走り回らされていたのだ。
一度、氷の精霊を自分たちで退治しようとしたのだが、彼らの火力では氷を解かす事も出来ず、手の施しようが無かったので、今回のフェリクスへの依頼となった。
要するにフェリクスは、婚約指輪だ何だとクラレンスに乗せられて、まんまと氷の精霊退治に駆り出されたたのである。
本人としては、婚約指輪と言う習慣を知る事が出来たし、実際、エステルに渡してあげたい気持ちもあったので、特に怒りなどは無かったし、むしろ二人で旅行出来る嬉しさの方が勝っていた。なので、結果的にはウイン・ウインである。
夜も更けた山頂で、フェリクスは一人氷の精霊を待つ。
ドワーフの暖房で山には雪が積もっていない事と、いつも通り背中のヒーターが効いているので、寒い事は無かった。
「氷の精霊倒したくらいじゃ、炎帝にはなれないよねぇ」
「まぁ無理だな。古代種でも倒すか?」
「まさお以外にも、この世界に来てる奴いるの?」
「探せば何処かにいると思うぜ? 俺っちみたいに、この世界の事を勉強しに来てる奴が」
「そうかー」
「でも、倒しちまったら、その古代種を創った神様に追いかけまわされるけどな」
まさおは人事の様に言うと、いつものドヤ顔で舌をチロチロと出していた。
「ダメじゃないか……、しかし、精霊来ないなぁ」
「炎で挑発すれば良いんじゃねぇか? 雪が積もってなくて怒って来てるわけだし」
そうと断定された訳ではないのだが、その可能性を考えると、やる価値はあると思えたフェリクスは、早速特大の炎を上空に顕現させる。
「こらああぁぁぁぁぁぁ!
ものの数分も立たないうちに、辺りが吹雪に包まれると、何処からともなく声が聞こえてきた。
「そんなもん出すんじゃないわよ! 雪が消えるでしょ!」
吹雪はフェリクスの炎を消し去ると、更に勢いを増し、ドワーフ達の山をも白く染めようと吹き荒れる。
しかし、いくら経っても山に雪が積もる気配は無い。
「何なのよ! 大自然の掟も守れない愚かな下等生物の分際で!」
姿は見えないが、聞こえてくる声の主は、えらくご立腹の様だった。
「何処かで聞いた事ある様な精霊だな」
「そうだな」
フェリクスとまさおは、フェリクスが手にしている杖をじっと見る。
「なによ! 私はあんなに下品に叫ばないわよ! 大体、大自然の掟とか、考え方が古いのよ。私なんか――」
「いや、いいから」
延々と話し続けそうな勢いのえりこを黙らせると、フェリクスは吹雪の先に現れた白い精霊に向け、立ち上がる。
「人間風情がこの自然の理を管理する精霊に盾突くとは笑わせるわね。ってあちちち! 何すんのよ!」
過去の同じやり取りを思い出していたフェリクスは、問答無用で氷の精霊を炙った。
「折角人間にも分かる様に話してやってるのに、この野蛮な種族が! もう容赦しないわよ、永久氷壁の中で死に絶えるが良いわ!」
「と言う訳で、氷の精霊、エステル使う?」
「突然、何ですの?」
翌朝、フェリクスに呼ばれたエステルは目の前の白い精霊を見て呆気にとられていた。
「昨日悪さをしてたところを、たまたま捕まえてね」
「ぐぬぬ……」
とても悔しそうな目で、フェリクスを見る氷の精霊。
「でもこの方が、『はい分かりました』と素直に力を貸してくれそうには見えないのですが」
「当り前よ! なんで私より弱いあんた達に力を貸さないといけないのよ!」
「弱い?」
その言葉を聞いたエステルの眉間が、一瞬ピクリと動く。
「そうよ! 私が油断しなかったら、こんなちんちくりんに負けやしないわよ!」
「ちんちく……、分かりました」
何か思うところがあったのか、エステルは腰に手を当て仁王立ちになると、氷の精霊へ指をさして声高に宣言を始めた。
「では、私と勝負して貴方が勝ったら開放、私が勝てばこの杖に入っていただきます」
「え? あ、い、いいわよ。貴方なんかケチョンケチョンにしてやるわ!」
「ごめんなさい、二度と偉そうな事は言いません」
「他に言う事があるでしょう?」
「そこのちんちくりんにも大口叩きま……あいたっ! そこのカッコいい人にも大口叩きません」
半泣きになりながら答えている氷の精霊を見ながら、フェリクスはエステルの成長に改めて感心していた。
(同系統の精霊を相手に、手玉に取るとはなぁ)
「まだあるでしょ!」
「ひぃっ!」
そして、無用な勝負はもうしない様にと、心に誓うのだった。
その日のうちにザックスを出た一行は、バルドーに戻ると、グスタに別れを告げ魔導院へと帰りを急ぐ。行きでバルドーまで十日かかっていたので、帰りも同じと考えると、日程的にギリギリだったのだ。
旅の疲れが出たのだろう、馬車の中で眠りにつくエステルを、フェリクスは横から眺める。いつも気丈に振舞っている顔は、穏やかな寝息を立てており、流れる金色の髪と合わせて、とても可愛らしい。
思わずその髪を触ろうとしたら、向かいの席から痛い視線を感じたので、そっと手を戻し、フェリクスは瞳を閉じた。
道中の休憩もそこそこに、馬車に揺られ続けた結果、帰りは七日間の日程で魔導院に帰り着いた。
まだ休みの途中と言う事で、生徒は勿論、教師の大半もまだ帰って来てはおらず、魔導院は静まりかえっていた。
「あれ、セルマさんは?」
「予定より早く帰って来られましたので、まだ実家に帰ったままの様ですわ」
寮に帰った二人は、静寂に包まれた廊下を歩き、それぞれの部屋へと入る。
フェリクスは、マントを脱ぎ荷物を片付けると、小さな木箱を手にエステルの部屋へと向かった。
「ちょっといいかな?」
「っ! 少しお待ちくださいませ!」
慌てた様な声が中から聞こえてくると、バタバタと物音が響き渡り、やがて返事と共に扉が開かれる。
「お待たせしました」
既に着替えを済ませたのか、淡いピンクのワンピースの上に、カーデガンを羽織ったエステルが出迎えてくれた。
「今回は旅行に付き合ってくれて、有難う」
「こちらこそ、お誘いいただいて嬉しかったですわ」
暖炉の火に照らされ、穏やかに微笑むエステルに、フェリクスは用意していたものを取り出す。
「実は、まだ君に言ってない事があったんだ」
「なんでしょう?」
「君の家に行ったとき、お父さんに向かって言った記憶はあるんだけど、面と向かって君に行った覚えがなくってね、改めて言うよ」
エステルの前に立つと、フェリクスは深呼吸をひとつして、彼女の瞳を見つめる。
「エステル、僕と結婚してくれ」
「……ぁ」
確かに言われた事が無かったのを思い出すと同時に、その言葉にエステルは頬を染め、はにかむ様にフェリクスを見上げる。
「確かに言われてませんでしたわね」
そしてにこやかに微笑むと、
「勿論、お受けいたしますわ」
と言って、そっと身を寄せてきた。
「それで、これなんだけど」
フェリクスは小箱を開けると、中から指輪を取り出し、そっとエステルの指にはめる。
「これは……?」
「婚約指輪ってしきたりを聞いて、ドワーフの王様に創ってもらったんだ」
「本当に……、夢心地とは、こう言う事を言うのでしょうね」
指輪のはまった手をうっとりと眺めるエステルの瞳から、涙が流れ落ちる。
その姿に愛おしさが込み上げたフェリクスは、涙をそっと拭うと、エステルの顎を上に向かせた。
深い緑の瞳が涙に揺れながらもフェリクスを見つめる。
そしてそっと目を閉じたエステルに、フェリクスは吸い込まれるように顔を近づけると、そっと唇を重ねた。
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