第52話:育んでいくもの

「ただいまー」


 いつもなら迎えに出てくれるステファニーが、今日は来ない。

 それどころか、返事もない。

 まだ仕事中かとも思ったが、明かりは点いていたし、扉に鍵もかかってはいなかった。

(これは、おこですね……)

 ゼウスは、ステファニーが放っとかれてご機嫌斜めなのは、既に想定済みであった。

 そこで、対ステファニー用に用意したものを前面に展開して、部屋へと進む。


「ただいまー」


 部屋に入ると、ゼウスはもう一度声をかける。テーブルに肘をつき頬を支えていたステファニーは、無視しようとそっぽを向くが、視界にあるものが入って、ギリギリと音がしそうな勢いで首を戻した。


「あばぁ」

「!」


 その愛らしさに言葉を忘れ立ち上がると、ステファニーはダッシュで駆け寄る。


「なに? この子がアーダの子なの? かわいいいぃぃぃぃぃぃ!」


 ご近所迷惑も考えず、ステファニーは声を大にして叫ぶと、アーダが抱きかかえる赤ん坊を覗き込む。


「約束していたからな。今回は娘を連れてきた」


 腕の中の子をあやしながら答えるアーダの顔は、普段の戦士の凛々しさは無く、一人の母親の顔だった。


「ラムスさんまで、どうしたの?」


 視線は赤ん坊に釘付けのまま、突然の来訪に、ステファニーが二人へ尋ねる。


「森の奪還が一息ついたので、フルメヴァーラ様が休暇を与えてくださったのだ。それで、家に帰るゼウス殿に頼んで、連れて来てもらった」

「ゼウス、偉い!」


 わしゃわしゃとゼウスの頭を撫でまくるステファニー。どうやら許されたようだ。



「へぇ~、剣聖ってサイラスにいたんだ」


 ステファニーが聞いていた話では、剣聖は神出鬼没で、冒険者の間でも所在不明の存在だったらしい。ただ一つ分かっている事は、『強い者の所に現れる』と言う事だった。まったくもってはた迷惑な狂戦士バーサーカーである。


「どう言う訳か、今回は途中で引いてくれてね。いやいや、危なかったよ」

「次からは、一人で行かないでくださいね」


 今も思い出しては嫌そうな顔をしているゼウスを、ステファニーは心配そうな表情で見つめ、そっと手を握る。


「大事な奥さんを、未亡人には出来ないからね」


 握ってきた手を優しく包むと、ゼウスはにこやかに微笑んで見せた。

 

 結局、貴重な勇者と戦士を失ったサイラスは、借金を返すあてが無くなり、国王を始めとする権力者達は乗り込んできた商人達に身ぐるみ剥がされ、奴隷として売られていった。

 そして、一番恨みを買ったレスターは、今回の作戦立案と責任者として、見せしめに広場で焼き殺されていた。

 政治の中枢が崩壊した事によって、暫く混乱の時が流れたが、やがて商人達が結束して評議会制を作り上げ運営を始める。通常であれば、混乱に乗じて他国が攻めてくる事もあるのだが、東方諸国に比べ、好戦的な国が少ない西方では、好んで戦を仕掛ける国は無かった。


「サイラスと言えば、もう聞いた?」


 ステファニーは思い出したかのように、ゼウスに尋ねる。顔がもう言いたくて堪らない感じになっている。

 大方の見当はついていたが、彼女の顔を見たゼウスは、期待通りの答えを返す。


「なになに?」

「フェリクスが、エステルさんにプロポーズしたのよ!」


 パアッと効果音が出そうな程の笑顔を咲かせると、ステファニーは嬉しそうに話し始める。


「とうとう、やったか!」


 フェリクスがエステルの家へ行く前に、ゼウスは相談を受けていた。それは、自分の婚姻に、ゼウスの勇者としての力を借りてもいいか、と言うものだった。

 貴族間で行われる婚姻の主な理由は、血筋に連なる家系の利害関係である。その後ろ盾が無いフェリクスは、自らの価値を示す事しかなかった。しかし、それだけでは厳しい事を知っていた彼は、ゼウスに助けを請うたのだ。

 ゼウスは、その要望に快く応じた。

 ラダールの勇者と言えば、魔王カラックを退けた今一番名の売れている勇者である。しかもその妻は、縁を切っているとは言え、ラダール王国の名門ブルックス家の令嬢なのだ。

 フェリクスがエステルと結婚する事により、この強力な力と家名に、カレンベルク家は繋がる事が出来るのである。それはフェリクスにとって交渉の切り札となるはずであり、事実そうなった。


 我が事の様に話すステファニーを見ていると、ゼウスは自然と笑みがこぼれる。

 彼女と共にフェリクスを一番最初に見たのは、勇者の修行に向かった小さな村だった。

 彼はまだ五歳で、よたよたと走る姿は可愛らしく、汚れを知らぬ純真な眼差しは、心が疲れ果てていたゼウスにとって、癒しであり、救いだった。

 その子が、結婚するというのである。


「ちょっと? 聞いてる?」


 ゼウスが感慨に浸っていると、ステファニーが不満そうに覗き込んでくる。


「ああ、あのフェリクスがねぇって、ちょっと感慨にふけってた」

「そうよねぇ、最初に見たときは、あんなに小さかったのに……」

「お前達を見ていると、まるでフェリクスの父親と母親の様だな」


 しみじみと話す二人を見ていたアーダは、思わず素直な感想を口にしていた。


「こらこら、そこは兄と言ってください」

「そうよ、まだそんな年じゃないわ」


 二人して抗議してくる姿に、アーダも釣られて微笑む。

 話の区切りがついたところでお開きとなり、アーダはラムスと娘のいる寝室へ、ゼウスとステファニーはフェリクスが使っていた部屋へと向かった。


「フェリクス、炎帝になれると思う?」


 ベッドに入り落ち着くと、ステファニーが小声で切り出してくる。

 婚約が決まったとはいえ、三年以内に炎帝になれなければ、破棄されるのだ。

 ステファニーは、少し不安そうな表情になると、ゼウスにそっと頭を預ける。


「大丈夫だよ。俺の自慢の弟だからね」


 ゼウスは左腕でステファニーを包むと、優しく頭を撫でながら囁いた。


「そうね、世界一の勇者の、愛弟子だものね」


 そう呟くと、ステファニーは安堵の表情を浮かべ、そのまま眠りについた。




「お、おはようございます、フェリクスさん」

「あっ! お、おはよう」


 後ろから聞こえてきたエステルの声に、一瞬びくっとしたフェリクスは、振り返り挨拶をするのだが、視線を合わす事が出来ない。そして、それはエステルも同様だった。


「どーしたのよ、付き合い初めの初々しい恋人みたいな雰囲気だして」


 そんな二人を後ろから見ていたアニエスが、茶化すように通り過ぎていく。


「そ、そんな事は無い」

「そ、そんな事はございませんわ」


 お互いそれぞれ通路の端へ飛び退くと、たどたどしく否定するが、アニエスはそんな事お構いなしに、手を振りながら通路の先へと消えていた。


「ふぅー」


 同時に深く息を吐き出すと、二人はどちらからともなく歩き始める。


「取り合えず、これから宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しくお願いいたしますわ」


 並んで歩くフェリクスを見つめながら、頬を染めるエステル。

 今までは、限りある時の中で彼と共に歩むべく、努力を続け生きてきた。

 これからは、まだ大きな壁が残っているとは言え、命が許す限り、共に生きていけるのだ。その思いに心が満たされると、無意識に手を伸ばし、フェリクスの指に絡ませる。

 その感触に、一瞬固まるフェリクス。しかし、その指から伝わるぬくもりを感じると、自らも優しく握り返すのだった。

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