第39話:穢れ

 エステルは寝返りを打つと、誰かに呼ばれた気がした。


「大丈夫?」


 聞き覚えのある声に、少し重い瞼を開くと、眼前にフェリクスの顔がある。


「ななな、なんですの?」


 突然の事に驚いたエステルは、咄嗟に布団で顔を隠すと、そろそろと目だけを出す。


「良かった、気がついて」


 安心した表情で見つめて来る瞳を正視できずに、エステルは頬を染めると視線を逸らす。

 どうしてこんな状況になっているのか、自分を落ち着かせると、今日の記憶を遡ってみる。

(あ……)

 テストで先生にボコボコにされたところまでは思い出した。

 自分の部屋で寝ているという事は、その後治療を受けて運ばれてきたのだろう。

 服も寝間着に変わっていた。

(寝間着?)

 布団の中を覗き込んで確かに着替えている事を確認すると、次にフェリクスを見る。


「……!」

「え?」

「お嬢様、お召し替えは私が行いました。無論、フェリクス様は御覧になってはおりません」


 顔を真っ赤にしながら無言でフェリクスを睨むエステルに、後ろに控えていたセルマが察して、フォローを入れてくれた。


「そ、そう。なら良いのです」


 再び布団に潜ると、顔だけ出してフェリクスに向ける。


「それで、結果はどうだったのでしょうか?」


 不安げな表情で聞いて来るエステルに、フェリクスは咳ばらいを一つすると、あまり似ていないカルステンの声色で、評価を伝える。


「術中の形状変化を制御できるのは大したものだ。ただ防御の方は、攻めを絡めないとジリ貧になるので、もっと鍛錬が必要だな。あと、戦い方も競技じみているから甘さが生まれる。もっと本気で戦う事だ」

「ふふっ、似ていませんわね。でも、有難うございます」


 寝ていても笑う時は口元を隠す。流石お嬢様だ。


「それで、フェリクスさんはどうでしたの?」


 興味津々で聞いてくるエステルに、フェリクスは何とも歯切れ悪く答える。


「うん、まぁまぁだったよ」

「フェリクス様は、カルステン先生を真っ二つにされました」


 ご丁寧にセルマが補足してくれた。


「真っ二つ?……殺してしまわれたのですか?」


 テスト中に死亡した生徒(もしくは先生)は、蘇生される事をエステルは知っている。しかし、それでも先生を殺してしまったという事実に、ショックを隠し切れなかった。


「冷静でなかったとはいえ、まぁ、そうなるね」


 フェリクスは、居心地悪そうに窓の外を見る。


「そんな……相手は魔物ではないのですよ?」

「エステル、世の中には魔物より汚い人間もいるんだよ」


 少し冷たい言い方で、フェリクスは言い放つ。

 それは咄嗟に出た言い訳だったかも知れないが、フェリクスの中では、両親を殺したアルフレッドやナタリアを思い出しており、魔物以上に憎んでいるのも事実だった。

(現に、人間だからと言って甘く見ているから、今日のエステルの様な事になるんだ)

 そう自分に言い聞かせ、冷静さを保とうとするフェリクス。


「フェリクス……」


 フェリクスの言葉に、身近にいた存在が急に遠くへ行った様に感じて、エステルは寂しげな表情で見つめる。


「僕は人間か魔物かでではなく、敵か味方で区別して戦う」


 それだけを言い残すと、フェリクスは立ち上がり、エステルの視線から逃れる様に部屋を後にした。




「これ海ですか? ラダールより色が青いですね。綺麗……」


 海岸線沿いの街道を走る駅馬車から、外を眺めるステファニーが感嘆の声を漏らす。

 カルベナ近辺の海岸は遠浅な場所が多い。その為、海水の色が他より淡く青いのだ。


「あ! あれ、船ですよね?」


 今度は、水平線に見える物体を指さしてはしゃぐ。

 その姿は、先日の件を無理に忘れようとしている風に、ゼウスには見えた。


「すごいね! この世界にも船ってあるんだ! ってか、魚獲ってるから、あるのは当たり前か!」


 だから、ゼウスは一緒にはしゃいで見せた。七割は本当にはしゃいでいるのだが。


 三日間、駅馬車に揺られカルベナに到着した二人は、宿を求めて街を進む。


「駅の人に教えて貰った宿って、こっちでしたよね?」

「確か、そうだったと思う」


 ステファニーの問いかけに答えるゼウスだったが、意識は斜め前を歩いているフード姿に向いていた。

 全身を隠す様にフードを纏った姿が三つ。只ならぬ雰囲気を漂わせつつ、先を歩いて行く。


「あら? ゼウス、そっちは方向が」

「ステファニー、そのまま観光客っぽくしてて」


 ゼウスは小声でステファニーへ囁くと、通りに並ぶ店の商品を物色しつつ、三人の行方を追う。

 ステファニーはゼウスの声に只ならぬものを感じ、一緒に商品の物色を始めた。

 やがて、三人は大通りを北上すると、大きな建物の中に入って行く。


「ここは……?」


 ゼウスが見上げると、そこは共和国の政治を司る者が集まる議事堂ともいうべき場所だった。


「排他的なエルフが、人間のまつりごとに興味があるとはねぇ」

「え、さっきの人たちエルフなの?」

「おそらくね。さ、お腹空いたから宿屋にいこっか!」


 ゼウスはステファニーの背中を押すと、宿屋へ向けて歩き出した。




「これは、これは、ユハ殿。わざわざお越しいただきまして、感謝の念に堪えませんぞ」

「世辞は良い。用件だけ伝えに来た」


 白髪をサイドに僅かに残して禿げ上がった年輩の男が、三人を両手を広げながら招き入れると、男達はフードを脱ぎ始める。

 いずれもエルフで、多少の違いはあるが細身の身体に金髪、緑の瞳を称えている。


「おやおや、気のお早い事で。」


 三人が席に付いた事を確認すると、白髪の男は護衛の二人を残して案内の兵士を退出させ、自らも席に付いた。


「早速だが、今回の要件は『忌み子』についてだ」

「忌み子……ああ、ダークエルフの事でしょうか」

「アレは、エルフではない!」


 ユハはイラつく様にテーブルを叩くと、訂正する。


「おやおや、失礼いたしました。その忌み子がどうされたのですか?」

「最近発生が増え始めてな、貴様等に渡すので好きにするが良い」

「それは大変ですな。我々としても、ユハ殿には出来る限りのご協力をさせていただきましょう」


(純潔かなんか知らんが、同族を売るとは度し難い奴らよ)

 白髪の男は、大げさに手を広げると、いやらしい笑みを浮かべる。

 ダークエルフとは言え、エルフはエルフだ。高い身体能力と魔法適性、その美貌は、貴族達が喉から手が出る程で、その価値は計り知れない。故に、賊は危険を冒してでもエルフの森に入り、忌み子として捨てられたエルフを奪おうとするのだ。


「代わりと言っては何だが、貴様らには少々手伝って貰いたい事がある」

「ほう、どの様な事でしょう」


(金を要求して、まだ、たかるか)

 顔はニコニコと笑っているが、心の中では唾棄すべき輩として男は嫌悪していた。しかし、相手はエルフ、怒らせると面倒な相手だ。男はカルベナの元首としてこの国を守る為、あくまでも下手に出ていた。




「ユハ殿!」


 エルフの里に帰って来た三人へ、一人の男が駆け寄ってくる。


「ラムスか、騒々しい。何事だ」

「ユハ殿、忌み子達を町へ売り払ったのは本当ですか!」

「そうだ。お前等が殺すには忍びないと言うから、生きる可能性を与えてやったのだ。それに森へ捨て置くと賊が来て荒らすからな。先日も護衛のドラゴンが殺されておった」


 フードを使用人に預けると、ユハは自室へ向け歩きながら答える。


「僕らが望むのは共存です。それでは何も変わらない!」


 ラムスも、後に続きながら言葉を続ける。


「変わらない。そう、我々は変わらず純潔でなければならんのだ」

「それじゃあ、我が種族は滅んでしまいます!」


 聞く耳を持たないユハに、ラムスは声を荒げて訴える。


「純潔を失うという事は、滅ぶと言う事と同義なのだ。みすみすそれを受け入れる事などできようか」


 ユハは立ち止まると、振り返ってラムスに答える。それは取り付く島もないものだった。


「それより、五日後に穢れを掃討する。用意をしておけよ」


 それだけを言い残すと、ユハは自室へと入って行く。

(穢れを掃討? ……アーダに知らせないと!)

 ラムスは、急ぎ足でその場を去った。

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