第36話:旅立ち

「先生、お世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ我が学院に来ていただいて感謝しておりますよ、フェリクス・エリオット君」


 卒業式が恙無く終わり、貴族との会合も済んだクラレンスは、学院長室でフェリクスと対面していた。


「君のおかげで、我が学院の経営は軌道に乗りました。」

「僕は何もしてませんよ」

「そんな事は有りません。君の魔法は周囲に大きな影響を与えてくれました」


 クラレンスは紅茶を一口飲むと、ほっと息をつき、窓の外を眺める。

 卒業生と在校生のやり取りだろうか、花束を渡している生徒が見えた。


「僕には、先生が大きな影響になりました」

「それは、教師冥利に尽きますね」


 窓から視線を戻すと、フェリクスに向けて微笑むクラレンス。


「魔導院では何を勉強するつもりですか?」

「具体的にはまだ、自分が炎以外に何を出来るか分かりませんので、色々試してみたいです」

「なるほど、何をするにも『君らしさ』は無くさないようにしてくださいね」

「僕らしさ……ですか?」

「ええ、魔導院と言う所は、一から十まで、魔術の法則に則って研究を進める機関ですから、君は君らしく型にはまらずに、伸び伸びとやってください。というか、魔導院に風穴を開ける勢いで暴れてください」

「暴れて良いんですか?」

「その方が面白そうじゃないですか」


 何か悪だくみしてそうな顔で、クラレンスは紅茶のおかわりを注ぐ。


「問題起こしたら、折角推薦してくれた先生に迷惑がかかりそうなんですけど」

「いいんですよ、それくらい。先方も私の推薦という事で覚悟はしているでしょう」


 紅茶の香りを楽しみつつ、ちょび髭を撫でるその顔は、やはり楽しそうだった。むしろ、フェリクスを刺客として魔導院に送り込もうとしているのかも知れない。


「何にせよ、行くからにはしっかり楽しんでください」

「はい。先生、今まで有難うございました」


 フェリクスはその場で立ち上がると、クラレンスに向け深々と頭を下げる。


「はい、卒業おめでとうございます。困ったことがあれば、いつでもいらしてください。ここは貴方の母校なのですから」


 ティーカップを掲げ、クラレンスはフェリクスの卒業を祝福した。




「別に魔導院まで一緒に来なくていいよ

「そうか? じゃあここでいいか」


 人々が行き交うサンストームの駅馬車ステーションで、フェリクスとゼウス、ステファニーが立ち話をしている。どうやらフェリクスの魔導院への出発と、ゼウス達の新婚旅行の出発日を同じにした様だった。


「うん。兄さん達も、旅行楽しんで来て」

「おう、お土産期待しとけよ」

「何でもいいよ。じゃあ、行ってきます!」

「いってらっしゃい、頑張ってね」


 ゼウスとステファニーに見送られながら、フェリクスは手を振って魔導院行の乗り場へと向かう。

 期待と少しの不安に心を弾ませながら歩いていると、自然と歩調が速くなる。

 支払いを済ませ、半日馬車に揺られて魔導院のある町、シアードに着く頃には既に日は沈み始めていた。

 フェリクスは一人暮らしに憧れて、引っ越し先を探していたのだが、魔導院の生徒は基本寮暮らしなので、町にアパートなどが無かった。だから、手荷物一つ背負って馬車を降りると、そのまま魔導院の建物へと向かう。


「あら、お久しぶりですわね」


 フェリクスが声のする方に顔を向けると、入り口に豪華な意匠の施された馬車が止まっているのが見る。そして少しすると、中から金髪を夕日に輝かせながら少女が降りて来た。


「エステル!」


 駆け寄るとエステルの手を取り、ぶんぶんと振る。


「君も魔導院に入ってたのか!」

「え、ええ」

「教えてくれたらよかったのに」

「きゅ、急に決まりましたの」


 嬉しそうに見つめて来るフェリクスに耐え切れず、視線を逸らすエステルの頬はほんのりと赤くなっていたが、それは夕日の所為ではないだろう。


「お嬢様に馴れ馴れしく触らないでください!」


 入学手続きをしていたのか、建物から出て来たメイドの恰好をした中年女性が、フェリクスを見ると飛んで来た。


「セルマ、この方はご学友です。失礼のないように」

「エステル様? 畏まりました。ご学友とは知らず失礼いたしました」


 セルマと呼ばれたメイドは、フェリクスを一瞥すると、軽く頭を下げる。


「お嬢様、手続きが済みましたので、お部屋へ参ります」


 セルマは手荷物を馬車から降ろすと両手に抱え、エステルを案内して建物へと入って行った。


「フェリクスさん」


 エステルが途中で振り返ると、フェリクスへ呼びかける。


「?」

「これからも宜しくお願いいたしますわ」


 クラレンス魔術学院の初日に見せた顔と違い、穏やかな表情で優雅に一礼すると、再び歩き始める。

 その腰には、かつてフェリクスが贈った杖が揺れていた。




「エルフを見てみたい」

「え?」


 サンストームから西の町、ドゥルイットに向かう駅馬車の中で、ゼウスが突然話を始める。


「エルフを見たいから、ユティラの町から歩いて行こう」

「それって既に旅行と言うより、冒険な気がするんですが……」

「ダメかな?」


 少年のように目を輝かせて『エルフを見たい』と言っているゼウスの前に、ステファニーは拒否する言葉が思い浮かばなかった。


「いいですけど、エルフは排他的な種族ですから、あまり深入りはしない方が良いですよ。あと、襲って来ても絶対反撃はしない事です。下手すると種族総出でやって来ますので」


 さらっと怖い事を言うが、今のゼウスは、あのとんがり耳を見てみたい一心で、ステファニーの忠告がさっぱり頭に入っていなかった。

  ドゥルイットで一泊して更に半日馬車に揺られ、ユティラの町に入ると二人はすぐに宿屋を探して旅の疲れを癒す。


「昨夜はお楽しみでしたね」


 宿屋の親父の下卑た視線に、二人はそれぞれ顔を逸らすと、そそくさと宿を後にする。

 朝から街を回って一週間分の旅の準備を済ませると、エルフの森がある南へ向け出発した。


「でっかい山だね」


 山頂が雲に隠れて見えない山を、ゼウスが指さす。


「あれはケシオ山と言って『天に繋がる山』って言われてます。あれを迂回して進めばエルフの森の入り口があるはずですよ」

「了解!」


 ステファニーの説明にゼウスは頷くと、勢いよく歩き始める。

 四月に入り、気候も穏やかになった山裾には様々な花が咲き乱れ、鳥たちの囀りが響き渡り、雪解け水の流れる小川のほとりにはドラゴンが蹲っており、目を瞑って静かな呼吸を繰り返していた。


「ドラゴン?」

「ドラゴンですね。しかもまたアイス」

「また?」

「いや、それはこちらの話です」


 ゼウスとステファニーのやり取りが聞こえたのか、アイスドラゴンは瞳を開くと、ゼウスの方へ首を巡らせる。


「逃げられそうにないねぇ」


 ゼウスは仕方なさそうに言うと、腰の剣を抜き距離を詰める。

 ステファニーは天罰の杖・改を手に取ると、ゼウスへプロテクションを重ね掛けした。

 明らかな敵意を感じとったドラゴンは、立ち上がると魔力障壁を展開し、周囲にキラキラと氷の粒子を煌めかせると共に、氷の槍を周囲に顕現させ、ゼウスへ向けて撃ち出してきた。

 しかし、発射されたと同時に氷の槍は見えない壁に当たって、次々に砕け散って行った。


「さんきゅー!」


 ゼウスはステファニーへ声をかけると、剣を下段に構えドラゴンへと突き進みながら叫ぶ。


「ケラノス、力を貸せ!」


 手にしていた剣が蒼白く輝……かない。


「ああああああ! ケラノス返したの忘れてた!」


 ラダールの国宝であるケラノスの剣は、国を出る時に返却していたのだ。今更引き返せないので、ゼウスはそのままドラゴンへと切りかかる。

 下段からドラゴンの足めがけ力いっぱい切り上げると、鋼鉄をも凌ぐ鱗を一刀両断……する事もなく、刃が粉々に砕け散った。


「ですよねー はぶっ!」


 ドラゴンの尻尾に弾き飛ばされたゼウスは、宙に舞うとブレスを浴び、地面に落ちる頃には氷の矢の集中砲火を浴びていた。


「あああ! なんて事するのよ!」


 ぼろ雑巾のようになったゼウスに駆け寄ると、ステファニーはブチ切れた表情でドラゴンを睨む。


「ガ……」


 

ゼウスが目を開くと、眼前にステファニーの心配そうな顔が見える。


「あれ? ドラゴンは?」

「愛する旦那様に仇なす者は、天罰に処されました」


 ロザリオを手に、祈るように答えるステファニーの背後には、全身穴だらけになったアイスドラゴンが横たわっていた。

 ゼウスは状況がよく飲み込めなかったが、取り敢えずステファニーとは、夫婦喧嘩は絶対しないよう心に誓った。

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