第28話:善と悪

 ベルトルトとゴットロープ、二人の刺客を倒してからひと月。

 サンストーム帝国の逆鱗に触れ、魔王アスタフェイが居城もろとも滅ぼされたと言う噂が学院にも流れ始める頃には、フェリクスも新たな力に慣れて来ていた。

 ラウラが新たな刺客を警戒し、最近まで授業が終われば直帰していたので、フェリクスはその間、学院の練習場で特訓をしていたのだ。


「じゃあ、えりこ、今日も宜しく」

 

 フェリクスはシャツの裾を捲ると、杖の中にいるえりこに声をかける。


「優しくしてね」

「……気持ち悪いからやめろ」

「気持ち悪い言うなあぁぁ! 大体こんな美女捕まえてなにが『気持ち悪い』よ! あんた見る目が無いんじゃない? もっと審美眼を磨く事ね!」

「さて、始めよう」

「人の話を聞けええぇぇ!」


 いつもの様に、一言いうと十くらい帰って来るえりこをスルーして、フェリクスは練習を始める。

 まず、手を胸元から前に翳すと、炎の玉を顕現させる。

 次に翳した手のひらを、クンッと上に向けると、地面から炎の柱が立ち上がった。

 続けてパンチを繰り出す様に右手を押し出すと共に手を開くと、エステルとの勝負で放った炎の龍が顕現する。


「よし、ウォーミングアップおしまい」


 一旦炎を消すと、左手に持っていた杖を右手に持ち直し、先程と同じ動作を繰り返す。

 同じように炎が現れるが、その色は橙から薄い黄色に変わっていた。


「よし、次。えりこ、空気を目いっぱい圧縮して」


 フェリクスはえりこに指示を出すと、前方に炎の玉を顕現させる。

(まずは二十発分)

 フェリクスはいつも使っている十発分から倍の魔力を込めてファイアと唱える。

 ごうっ! と言う音と共に黄色い炎が現れた。

(まだまだ、次は五十発)

 続けて通常の五倍の魔力を込める。

 フェリクスの前には、白く輝く炎が現れていた。

(よし、百発分……)

 パリパリと音を立てながら蒼白い炎が出現するが、何処か安定感がなく、ゆらゆら揺れている。


「お、いけるじゃねぇか兄貴」


 まさおが背後から顔を出すと、フェリクスに語り掛けてきた。


「まだ安定させられないけどね」


 フェリクスは額に汗をにじませながら、炎を維持しようと神経を集中させる。

 しかし、十秒程したところで、炎は霧散してしまった。


「ふーっ」


 大きく息を吐くと、体中汗びっしょりになったフェリクスは、その場にへたり込む。


「ほほう、『蒼炎そうえん』をものにしているとは、流石ですね、フェリクス君」

「蒼炎?」

「ええ。文字通り蒼い炎ですね。現在、人間が使い得る最も高温の炎です」


 クラレンスはそう言うと、右手を胸の高さまで上げ、何の前触れも無く手のひらに蒼い炎を出す。

 その炎は小さいながらも、手のひらの上で非常に安定していた。


「おお、先生凄い」

「一応、学院長ですから。これくらい小さい方が、安定させる練習になりますよ。これが出来る様になれば――」


 手のひらの炎を消すと、クラレンスは空へ右手をかざす。


「現在、人間が使い得る最強の火炎系魔法を撃てます」


 続けて左手で右手首を掴むと、意識を集中し始める。クラレンスが周りの空気をマナごと手のひらに集めているのを見て、フェリクスは先日のまさおを思い出す。

 そして、魔力が最高潮まで高まった瞬間、蒼白い光の筋が空へ向けて放たれた。


「!」


 発射の余波で周囲に土煙が上がる中、フェリクスは右手で埃を遮りながらも、指の間から伸び行く光の筋を追いかける。そしてしばらくの間、目を見開いたまま、瞬きを完全に忘れてしまっていた。

 パリパリと周囲に放電していたプラズマが収まると、クラレンスは腕を下ろし、フェリクスへ顔を向ける。


「これでも、本気になった古代種の龍にはかないませんけどね」


 と言って、意味深な視線をまさおに向けるが、当のまさおはフェリクスの陰に顔を隠して出てこない。


「あれが、最強……」


 フェリクスはまだ少し呆けた様な顔で、クラレンスの背中を見つめていたかと思うと、自らの頬を叩き興奮を冷ます。


「まぁ、フェリクス君もあと一歩なので、頑張ってくださいね」


 クラレンスはそう言うと、フェリクスの元に歩いて来る。


「ところで君は、魔王アスタフェイが討伐されたのをご存知ですか?」

「一応、噂には。戦争になったんですか?」


 以前、クラレンスと話していた事を思い出す。


「アスタフェイにサンストームを攻める意思は無かった様で、こちら側の一方的な討伐になった様ですね」

「それでも、抵抗はしたんですよね?」

「そうですね。とは言え、教会と魔導院の有志が相手では、例え魔王と言えど厳しいものがあるでしょう」


 チョビ髭を撫でながら、クラレンスが答えると、フェリクスは不思議そうな顔で質問を投げかける。


「思ったんですが、それなら勇者召喚じゃなくて、教会と魔導院の人を派遣して魔王退治すれば良いんじゃないですか?」

「お、フェリクス君、核心を突きますねぇ。良いですよ」


 フェリクスの問いに、クラレンスは興味を示して来た。


「では、質問です。教会と魔導院が魔王を倒し続けるとどうなるでしょう?」

「魔王がいなくなる」

「魔王がいなくなるとどうなるでしょう?」

「平和になる」

「平和になると誰が困るでしょう?」

「誰って、みんな幸せじゃないですか?」

「そうでもないんですよねぇ」

「じゃあ、誰が困るんですか?」

「それはこれから先、君自身が君自身の目で見て、耳で聴いてください。そして、人間がどれだけ汚いかを肌で感じてください。それこそ魔王よりも、ね」


 じっと見つめて来るクラレンスに、フェリクスは、自分にも『人間の汚い部分』がある様に思われて、心が落ち着かなかった。


「これは、私がフェリクス君に出す、人生の課題としましょう」


 右手の人差し指を立てながら言うと、クラレンスは学院長室へ帰って行った。


「まったく、何もんだよ、あのおっさん」


 再びフェリクスの背中からのたのたと現れると、まさおはチロチロ舌を出しながら呟く。

(魔王よりも、汚い?)

 フェリクスの頭の中では、クラレンスの言葉がいつまでも繰り返されていた。




「上級になって早々、大変かとは思いますが、宜しくお願いしますね」

「はい、宜しくお願いします。シスター・テレジア」


 ステファニーは、聖ガロイア教会の召喚の間に立って、先輩上級僧侶ハイ・プリーストのテレジアから説明を受けていた。

 

「まぁ、今回は召喚の流れを確認していただくだけなので、気軽にしていてください」


「とはいえ、次回からは私もやるんですよね……」

「そうなりますね」


 にこにこと他人事の様に答えるテレジア。くすんだ銀髪に灰色の目で小首をかしげて微笑む姿は、背の低さも合わせて子供っぽく見えるが、年齢は既に四十を過ぎている。

 ちなみに、ぱっと見で年齢を当てた者は未だいない。


「ここの召喚陣から、内側には入らない様にしてね」


 テレジアがステファニーへ説明している間に、他の上級僧侶達が召喚の間に現れ始める。

 三十年も続いてきた儀式は洗練され、もはや事前に準備する事など殆どなく、人さえいれば、すぐにでも始められる様になっていた。失敗はするけど。

 上級僧侶達が定位置に着くと、雑用をしていた中級以下の僧侶達が部屋から出て行き、辺りは静寂に包まれる。

 程無くして奥の扉が開き、コルネリウスが現れると、すぐに召喚の儀式が始まった。

 召喚陣の外円に沿って等間隔に配置された上級僧侶達が両手を天に翳し、魔力を円の中心に集めると、召喚陣から光が溢れ始める。

 召喚陣の輝きが最高潮に達すると、コルネリウスが何かを詠唱し始めるのだが、周囲の者には聞き取れないレベルだった。これは、他の国に召喚の技を盗まれない為の策でもあるのだが、なんと、ステファニーは真後ろでその呪文を聞いていた。

 周囲の上級僧侶達が気まずそうな視線でステファニーを見つつ、召喚を続行するのだが、当のステファニーは全く気にしていない。

 確かに、テレジアに言われたのは『召喚陣から内側に入らないで』だから何も間違ってはいないのだが、周囲で見ている彼らは気が気ではなかった。

 唯一、後ろの見えないコルネリウスは小声のまま、朗々と呪文を唱え続けている。

 誰一人、ステファニーに突っ込むことが出来ず、皆がそわそわする中、呪文の詠唱は進み、いよいよ勇者を召喚しようとしたその時、


「魔力が足らぬ。誰か意識を乱しておらぬか」


 コルネリウスが詠唱を辞め、辺りを見回すが、全員首をぶんぶんと振って否定する。

 実際は、全員が意識を乱しまくっていたのだが。しかも、ステファニーは既に後ろに下がっているので、誰も指摘できない。


「少し休憩を入れて再会です」


 調子の悪い者がいれば、その場でステファニーと入れ替えようと思っていたコルネリウスだが、誰も申告しないので、時間をおいて再度召喚する事にし、自室に戻って行った。


「シスター・ステファニーいいぃぃぃぃ!」


 コルネリウスが消えた瞬間、テレジアがすっ飛んで来る。


「あなた、なんてことを!」

「え、私何かやりました?」


 テレジアは背が低いので、ぴょんぴょん飛び跳ねながらステファニーを叱りつけるのだが、はたから見ると微笑ましい光景にしか見えない。


「召喚の呪文は秘中の秘とされているので、あの様な場所で聞いてはなりません!」

「あ、そうだったんですか、気づかずにすみませんでした。でもあの位置でも何言ってるか分かりませんでしたけどね、あはは」


 周りに聞こえる様に言うと、テレジアに頭を下げた。周りもその言葉に安堵の吐息を漏らしているのが聞こえてくる。

 その後、小一時間程して儀式が再開されると、ステファニーは「あなたはここから動いては成りません!」と、テレジアにきつく言われたので大人しく正座して見学していた。

 再び魔力が集まり召喚陣が輝くと、コルネリウスが詠唱を始める。

 ステファニーが違和感を感じ召喚陣の上を見上げると、空間に揺らぎが生じていた。

(すごい……)

 やがて、その揺らぎは、ある映像へと変わっていく。

 暗い道らしき場所に見慣れない服装の人間が歩いている。そこへ、四角い大きな塊が突進してきて人間を跳ね飛ばした。

(!)

 ステファニーは一瞬腰を浮かすが、召喚中なのを思い出して座り直す。微細な魔力の乱れを気にしながら。

 そして跳ね飛ばされ、血だらけになった人間の像がブレ始めたところで映像が止まると、いきなり消え去り、後は張り詰めていた糸が切れる様に、空気が弛緩する。

 コルネリウスが何も言わず去り、辺りがざわめき始めると、召喚が失敗に終わったのだとステファニーは理解した。


「どうでしたか? シスター・ステファニー」


 テレジアが、童顔をニコニコさせながら近づいて来る。


「流れは解りましたが、何と言いますか、依頼国の方には残念でしたね」

「まぁそこは運がからみますからねぇ。では、次回からは宜しくお願いしますよ」


 そう言うと、テレジアは出口へ去って行く。

(果たして、本当に運の問題だったのだろうか)

 ステファニーは、あの時感じた魔力の乱れが気になりつつ、召喚の間を後にした。

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