第12話:氷と炎
サンストームから西へ馬車で二日、ドゥルイットの村にステファニーとフェリクスは降り立っていた。
「忘れ物は無いわね」
「多分、大丈夫」
お互い、荷物を確認すると、道行く人に迷いの森の場所を聞く。
「すみません、迷いの森へ行くには、どちらへ向かえば宜しいでしょうか?」
「お嬢ちゃん、若いのに大変だねぇ。でも、父親がいなくても子供は育つから、頑張ってね」
「その年で旦那さんを? 強く生きなさいね」
「坊や、おじさんが新しいお父さんになってやろうか? げへへ」
何か、色々勘違いされている様だった。
(私って、何歳に思われてるんだろ)
手で頬を撫でながら、ステファニーは少し落ち込んでいた。
「そう言えば、先生が迷いの森に行くのは、人生に迷ってる人だって言ってた」
少し憂鬱そうな表情で、何やらぶつぶつ言っているステファニーを、フェリクスが覗き込む。
「フェリクスは人生に迷ったら森じゃなくて、お姉ちゃんに相談するのよ?」
「あ、はい」
意味がよく分からなかったが、フェリクスは取り敢えず返事をしておくと、先程見かけた物をステファニーに教える。
「姉さん、アレ」
「なに?」
フェリクスが指さす先には、一枚の看板が立っていた。
『迷いの森まで二十キロ。 でもチョット待って! あなたの求める光はここにある。ご相談は、最寄りのガロイア神教会まで』
こんなところで、ガロイア神の営業看板を見るとは。
啓示に縋って迷いの森へ入り、何もなければそのまま世を儚む者が多いという事か。
ステファニーは、シスターとしての無力を感じながら、看板が示す方角へ歩き始める。道中無理して森で野営に入るより、安全な道沿いで一晩明かして森に入る事にした。
早朝の森はまだ日の昇りが浅く、差し込む光がまばらなので、辺りはほんのりと薄暗い。
『プロテクション』
ステファニーは、フェリクスと自身に衝撃吸収の魔法をかける。
呪文を省略しているのは、彼女もガロイア神に名を覚えられ、力を授かっているからだ。
ちなみに、手にしている杖もガロイア神からの贈り物である。
聖ガロイア教会での仕事ぶり(と見た目)が評判になり、彼女のお陰で信者が加速度的に増えた時期があり、ガロイア神が直々にステファニーの元に現れ、
「信者を増やしてくれてありがとー! お礼にこれあげるね」
と言って、置いて行った物だ。
杖の主な機能は、効果アップと消費魔力半減である。
効果としては破格のこのマジックアイテムは、当時よく盗まれた。
しかし、翌日には勝手に帰って来ていて、盗んだ犯人のその後を見た者は誰もいないと言う、おまけ話までついて来るのだ。
その為、いつしか付いた名は『天罰の杖』。以来、命を懸けてまで盗む者はいなくなった。
ステファニーが天罰の杖の先に明かりを灯すと、二人は薄暗い森の中に入って行く。
思った以上に魔物の姿は無く、戦闘らしい戦闘もないまま、二人はさくさくと奥地へ進んでいった。
「いないわね、ドラゴン」
「いないね」
もうすぐ森の反対側へ抜けようかと言う所まで来たのに、ドラゴンの姿はまだ一匹も見えない。
「あ、トカゲならいた」
フェリクスが指さす先には、真紅のトカゲがものすごい勢いでこちらに向かって這って来ていた。
「たすけてー!」
しかもそのトカゲは、二人の姿を見つけると、叫びながら助けを求め近寄って来る。
「トカゲって喋るんだ」
「いや、あれはトカゲじゃなくて、サラマンダーね」
「あれが、火の精……で、後ろのでっかいのは?」
フェリクスの言葉に、視線をサラマンダーから後ろに移すと、それはもう大きな大きな白いドラゴンが、木々をなぎ倒しながらサラマンダーを追いかけていた。
「いたわね、ドラゴン。しかもアイス」
求めていたのはフォレストドラゴンで、アイスドラゴンではない。
非常にまずい状況に、ステファニーは急いで対策を考える。
奴は火との相性が壊滅的に悪く、今のフェリクスでは、到底倒せる代物ではなかった。
かといって、自分も効果的な攻撃手段が無い。
五秒で万策尽きた。
「フェリクス、全力でやって!」
もはや出来る事を全力でやるしかないと開き直ったステファニーは、フェリクスに指示を出すとプロテクションを重ね掛けして、ドラゴンの攻撃に備える。
「わかった」
フェリクスは、返事と共に右手を掲げると、ファイアを唱えた。
巨大な炎の塊がドラゴンに向けて飛んで行く。
続けてファイアを唱える。
ドラゴンの足元から炎の柱が巻き上がった。
更にもう一度、ファイアを唱える。
「?」
手応えの無い感触に、フェリクスは首を傾げる。
三つ目のファイアは、ドラゴンの内部で炎を顕現させようとしたのだが、相手の魔力障壁でキャンセルされてしまった様だ。
そして一撃目と二撃目の炎は、ドラゴンの周囲に煌めく氷の様な物と共に霧散していく。
新手に邪魔をされイラついたのか、ドラゴンは二人を確認すると立ち止まり、大きく息を吸い始めた。
「フェリクス、下がって!」
ステファニーはフェリクスを呼ぶと、自身の後ろまで下がらせる。
『シールド!』
そして、透明な障壁を展開すると、前方に向けて斜めに設置した。
「二人の周囲を火柱で囲って!」
「サラマンダーもいるよ?」
いつの間にか、フェリクスの後ろで丸まっているサラマンダーを指さす。
「じゃー三人!」
「わかった」
フェリクスが火柱を出した瞬間、ステファニーが張った障壁が、白く染まり始める。
吹き抜ける轟音と、小枝が折れ飛ぶバキバキと言う音が響き渡る中、ステファニーはじりじりと剥がれてゆく障壁を張り直し続けた。
「火柱は出し続けて!」
叫ぶステファニーの吐く息も、白く染まってゆく。
いつ終わるかも知れぬ吹雪の中、悴む手を震わせながら杖を掲げ、障壁を唱え続けるステファニーの前に、小さな炎が灯った。
「あら、ありがと」
振り向いて、優しく微笑むステファニー。
何としても姉を助けなければと、フェリクスは心の中で誓うと、吹雪の勢いが弱り始めたところを見計らい、炎の柱を解除して走り出した。
「ダメよ!」
後ろでステファニーの声が聞こえるが、止まる事は許されない。
ドラゴンはブレスを吐きながら、既に二人の目前まで迫って来ていたのだ。
ステファニーに向いている意識を逸らす為、フェリクスはドラゴンに向け、ファイアを叩き付けながら疾走を続ける。
魔力障壁に阻まれ蒸発するファイアの煙を、鬱陶しそうに振り払うとドラゴンは苛立ちの咆哮を上げた。
そして、ファイアを投げつけるフェリクスへ標的を変えると、大きく尻尾を振り上げる。
(あぶない!)
ようやく視界が開けた時にステファニーが見た光景は、今まさにフェリクスへドラゴンの尻尾が迫っているところだった。
『シールドっ!』
ステファニーは、咄嗟に魔力をありったけ込めた障壁を、フェリクスの左へ展開させる。
「っ?」
フェリクスが気づいた時には、既に障壁が砕ける音がしていた。
次に、自らの左腕が悲鳴を上げる音が聞こえる。
ズキズキと疼く痛みと共に、フェリクスの視界は、ドラゴンから右へ一瞬にして飛んで行った。
暫くの浮遊感の後、地面に叩き付けられながら、ステファニーの元へと転がって行く。
(姉さん……)
徐々に視界が暗くなっていく中、最後に見えたのは、彼女の泣きそうな顔だった。
(ごめん)
「フェリクス!」
風に吹かれて転がる紙屑の如く、飛んできたフェリクスを見てステファニーは叫び声をあげる。
(早く回復しなきゃ)
しかし、眼前には既に次の打撃を浴びせる為、ドラゴンが尻尾を振り上げていた。
回復は間に合わない、逃げる事も出来ない、あと唯一出来る事と言えば、杖で殴るくらいだろう。
ステファニーは、両手で強く杖を握り締めると、地面を蹴る様にして走り出していた。
「わあああぁぁぁぁぁ!」
叫び声を上げながら杖を振りかぶる。
そして、まだ届かないドラゴンへ狙いを定めると、
力いっぱい、放り投げた。
杖を。
まさか、そんな物が飛んでくるとは思っていなかったドラゴンは、その短い手で思わず杖を受け止める。
次の瞬間、ステファニーは根限りの声でもう一度叫んだ。
「どろぼおおおおおおぉぉぉ!」
「おおおぉぉぉぉ」
「ぉぉぉ……」
森の中に、ステファニーの声が木霊する。
何が起こったのか分からないが、とてつもなく嫌な予感がしたドラゴンは、尻尾を振り下ろすのを躊躇い、辺りを見回した。
『我が愛する信徒に与えし物を奪うは何奴か』
ドラゴンが動きを止め、静寂に包まれた森の中に、透き通った声が響き渡る。
そしてその声は、有無を言わせぬ圧を発して、ドラゴンの動きを封じた。
「ガッ?」
いわれのない罪を擦り付けられ、動きを封じられたドラゴンは、目だけで辺りをきょろきょろする。
そして、周囲の空気を震わせるような咆哮を上げた。
レッサー種と言えど、流石はドラゴン、ひと鳴きで束縛を弾き飛ばすと、再び自由を取り戻す。
しかし時すでに遅く、いつの間にかドラゴンの全身には、無数の蔦が絡みついていた。
力ずくで蔦を引きちぎろうと暴れるがビクともせず、口をも塞がれたドラゴンは、もはや唸る事しかできない。
『卑しき愚か者に天罰を!』
再び声が響き渡ると、周囲の地面が隆起して石の槍へと姿を変える。
そして、一本、二本と伸びていくと、並みの剣や槍では傷一つつかないドラゴンの鱗を砕き、その身を貫いていく。
苦悶の呻きを上げる中、尚も容赦なく突き刺さる槍に、遂にドラゴンは絡みつく蔦を食い破ると、怨嗟の咆哮を轟かせる。
「ガアアアァァァァ!」
しかし、その叫びを最後に、ドラゴンは二度と動く事は無かった。
ステファニーたちを睨みつけた瞳から、徐々に光が失われていく。
完全にドラゴンの活動が停止すると、絡まっていた蔦は地面に吸い込まれ、支えを失った巨体が地面に倒れ臥した。
辺りは、全てが始まる前同様、再び静けさに包まれる。
『ステフ、用心しなきゃダメよ。じゃあねぇ』
そんな中、友達と話す様な緊張感のない声が響き渡ると、森中に漂っていた緊迫した空気がかき消されていく。
そしてステファニーの手には、いつの間にか『天罰の杖』が握られていた。
「ガロイア様、ありがとう」
ステファニーは、もう去ってしまっているであろうガロイア神に礼を言うと、何処へともなく祈りを捧げる。
「いいのよぉ。また信者増やしといてねぇ」
まだいた。
「あ、はい」
再び何処へともなく返事を返すと、ステファニーはフェリクスに駆け寄り、傷の状態を確認する。
一番酷いのは打撃を受けた左腕で、右腕の倍以上腫れていた。他は着地して転げた時にできた擦り傷が主で、致命傷は無い様だった。
プロテクションの重ね掛けと全力のシールドでこの有様なのだから、素で攻撃を受けていたら、ひとたまりもなかっただろう。意識は無いが、浅い呼吸を繰り返しているので、魔法で傷を回復すると、フェリクスの目覚めを待つ。
「あねさん、そいつ大丈夫かい?」
先程のサラマンダーが、ステファニーの膝枕に乗っているフェリクスの顔を覗き込みながら、声をかけて来る。
「まだいたの? またドラゴンが来る前に早く帰りなさい」
偶然その場に居合わせたとはいえ、この火の精霊のお陰で大変な目にあったのだ、ステファニーは知らずの内に恨みがましい声になっていた。
「すまねぇ。でも助けて貰っておいて、そのままって訳にもいかねぇから、出来る事なら何でも言ってくれ」
「何でも良いの?」
サラマンダーをジト目で見つめるステファニー。
「で、出来る事ならな」
「それなら……」
膝の上で眠るフェリクスの髪を撫でながら、ステファニーは言葉を続ける。
「この子の力になってあげて」
「あねさんじゃなくて?」
「ええ。私はこの子を脅威から守る事は出来ても、脅威を排除する事はできない。だからこの子はもっと強くならなくてはダメなの」
それを、フェリクス自身が望んでいるから。
あの『魔王』すら超えると言うのなら、ドラゴン如きで膝をついている場合ではないのだ。
サラマンダーは、もう一度じっくりとフェリクスの顔を見つめる。
そして、ステファニーを見上げると、
「いいよ」
と一言だけ呟いた。
「ありがと」
試しに言ってみるものだ。何故サラマンダーが了承したのかは謎だったが、穏やかな目でステファニーはお礼を言うと、
「けど、あなた熱いから離れてて」
と手を振ってサラマンダーを追い払った。
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