二章
第9話:継ぐ力
「フェリクス! 朝よ、起きなさい!」
「うーん、もうちょっとだけ……」
「勇者はそんなに寝坊助じゃないわよ」
「……はい」
勇者と言われたら起きない訳にはいかない。何せ、勇者はどんな困難にも立ち向かわなければならないのだ。それが例え睡魔でも。
眠い目をこすりながら外の井戸へ向かうと、水をくみ上げ顔を洗う。春目前の三月の水はまだまだ冷たく、フェリクスは身震いしながら顔の水を飛ばした。
「はい、タオル。ご飯できてるわよ」
「有難う、姉さん」
部屋に戻ったフェリクスはタオルを受け取ると、顔を拭きつつ席に着く。
食卓にはパンの他にベーコンと玉ねぎを炒めたもの、湯気が立ち上っているコーンポタージュ、そしてはちみつを入れたレモン水。これは遠い昔、勇者まさるに作ってもらって以来、大好きな飲み物だった。一度沸かしたお湯に入れてから冷ますのがポイントだ。
「いただきます」
食事の前に手を合わせて挨拶をする。これもまさるに教えて貰ったものだ。
「はい、どうぞ」
姉さんと呼ばれた女性が、フェリクスの向かいに座る。
ローズブロンドの髪は今では腰まで伸び、昔同様三つ編みで束ねている。透き通るような淡い水色の瞳と白い肌は昔のままだが、体つきはより女性らしく成熟していた。
「ステファニー姉さんのご飯は、いつも美味しいね」
フェリクスは、毎日同じ言葉を食事時に言う。それは行き場のない自分を引き取ってくれたステファニーへの感謝の気持ちの再確認でもあった。
「あら、そう? ありがと」
ステファニーはフェリクスに微笑むと、自身も食事を始める。
あの日、勇者まさるが魔王カラックに敗れ、ブルックス家に帰ったステファニーを待っていたのは、娘の無事を喜んだ父親ではなく、勇者との間に子を成せなかった娘に対する、失望の視線を向けて来る男だった。
その時ステファニーは、もうここに自分の居場所が無い事を覚り、かつて父親だった男に「自分は勇者と共に死んだ事にして欲しい」と言い残すと、フェリクスの手を取って、屋敷を立ち去ったのだ。
それから二年と九ヶ月、今はサンストームの教会でシスターとして生計を立て、宿舎でフェリクスと共に生活をしている。
当時は、二人とも精神的ダメージが大きく、暫くはまともな生活が出来なかったが、時が経つにつれ、ステファニーは当時よりも世間に慣れ、近所づきあいも出来る様になった。
フェリクスも、普通のコミュニケーションが出来るまでには回復しているが、以前の様な天真爛漫な明るさは、鳴りを潜めてしまっていた。
「明後日から、三日ほど依頼で帰ってこないから、何かあったら隣のシェリーさんに相談するのよ」
「わかった」
教会でのステファニーの仕事は、個人や冒険者ギルドから教会へ来る依頼に応じて赴く『
「それから練習も良いけど、ご近所さんに迷惑かけちゃダメよ」
「う……、わかった」
フェリクスはファイアの魔法が成功して以来、一日たりとも練習をさぼる事が無い。
それは自らの命を賭して守ってくれた、まさるとの大切な約束として、彼の中に根付いている証拠である。その熱心さゆえに、時々ボヤ騒ぎを起こして近所を騒がせる時があるのだが。
「それじゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい」
食事を済ませたステファニーが、仕事に出ていく。
フェリクスは食器を片付けカゴに纏めると、共同の流し場へ持って行った。
この国は、過去に大きな疫病が蔓延した事があり、意外なほどに下水道設備がしっかりしている。
共同の流し場もその一つで、いたる所に張り巡らされた水路に点在していた。
「フェリクスちゃん、おはよう」
「おはようございます、ベティさん」
「おうフェリクス、ステファニーちゃんはもう仕事かい?」
「さっき出ました」
同じく洗い物をしている人々が、フェリクスに声をかけて来る。二年九ヶ月と言う月日は、二人をこの地にすっかり馴染ませていた。
「フェリクス坊よ、後でかまわんから、こいつに火をつけてくれんか」
老人が鉄のカゴを置くと、中には炭が詰まっていた。
「種火を切らしちまってのぅ」
「今でもいいよ」
フェリクスは呪文を唱えると、手のひらに炎の玉を留めてから、ゆっくりとカゴに誘導する。
カゴの中の炭は炎に炙られると、赤々とした光を放ち始めた。
「すんまんのう。今日はパンを焼くから後で来い」
「ありがとう。じーちゃんのパンは美味しいから好きだ」
素直に喜ぶフェリクスを見て目を細めると、老人は鉄のカゴを持って立ち去った。
洗い物を済ませたフェリクスは、一度家に帰り食器を片付けると、再び外に出る。
毎日の特訓の時間だ。
最初の頃は、ある程度の広場が無ければ練習できなかったが、今では僅かな制御も可能になり、宿舎の庭先でも練習できるようになっていた。
『炎の神プロメアの名において、彼の者を焼き払え』
呪文を唱え、手のひらの上に火の玉を出現させると、そこで一度滞空させる。
その後すぐに開いた手を握ると、滞空していた火の玉が霧散した。
これをワンセットとして、一日三百回行う。
練習を始めて、百日過ぎた頃には三百回唱えても倒れることは無くなったのだが、それ以上唱えようとすると時間が足りない(日が暮れる)ので、以降一日三百回を基準にして、練習を続けているのだ。
「小さいのに精が出るのう」
「あれ? じーちゃん、もうパン焼けたの? って誰?」
老人の声がしたので、フェリクスが振り返ると、見た事の無い人物が立っていた。
背丈は、フェリクスより少し高い程度か、見た目の割に背筋は伸びていて、しっかりしている。少し長めの頭髪と顎にふっくらと蓄えられた髭は真っ白で、麻で作られたような白いスモックと相まって、全身真っ白に見える。手に持っている木製の杖は歩く為の補助的な物ではなく、ただ単に手にしているような持ち方だった。
「お前さんが毎日熱心に呼ぶから、気になって見に来たんじゃ」
「毎日呼ぶ……プロメア?」
フェリクスは首をかしげながら、毎日唱えている名前を呟く。
「そうじゃ。お前さんは何という名じゃ?」
「僕はフェリクス」
老人は元気に応えるフェリクスに近づくと、目を細めて頭を撫で始めた。
「フェリクスか、お主の名は覚えた。次からは、ワシの名を呼ばずとも力を貸してやろう」
老人がそう言った途端、フェリクスの頭に言葉が浮かんでくる。
不思議な感覚に戸惑い、老人を見上げるフェリクス。
老人は『試してみろ』と言わんばかりに見つめ返していた。
フェリクスはいつもの様に右手を掲げると、手のひらを上に向け、頭に浮かんでいる言葉を唱える。
『
瞬間、巨大な炎の塊がフェリクスの手の上に現れた。
「あつつっ!」
いつも以上に近い炎に少し慌てつつも、すぐに落ち着きを取り戻し、少し離して滞空させる。
改めてその炎を見て、フェリクスは目を輝かせた。
「プロメアのじーちゃん、凄い!」
振り返ると、老人の姿は既になかった。
その日以降、フェリクスの練習は三百回から千回になった。
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