第7話:予兆

 今日は朝から山で特訓なのに、アルフレッドの姿が無い。まさるがナタリアに聞くと、ラダール本国に用事があって、暫く不在にするとの事だった。

(おっさん、働けよ)

 と思いつつ、まさるは現れる魔物を片っ端から斬り捨てて行く。

 実際のところ、この山に出現する魔物で、まさるが手こずる事はもう無かった。

 しかし、イレギュラーと言うモノはどんな時にも起こるもので、今まさにこの場でも起こり始めていた。


「ステファニー、こっちへ!」


 二匹のオークを倒しに前へ出過ぎた所為か、後方の守りが薄くなったところをオーガに突かれ、二人は騒然となった。

 何故二人かと言うと、通常ならナタリアが魔法で処理するのだが、その肝心のナタリアが見当たらなかったのだ。

(くそっ! おばさんも働けよ)

 おばさんと言う程の歳ではないが、所詮人の女。興味の薄れた対象の扱いなど、そんなものである。

 ステファニーに攻撃手段は無いので、出来る事は逃げるしかない。まさるは彼女へこちらに来るよう叫ぶと、自らも向かって行った。

 図体が大きい割に足の速いオーガは、みるみるステファニーに追いつくと、彼女の背丈ほどもあるこん棒を振りかぶる。

 援護が間に合わないと察したまさるは、腰からナイフを一本抜くと、小さく振りかぶりながら叫んだ。


「しゃがんで!」


 正面で構えるまさるの声を聴いたステファニーは、頭を押さえて斜めに飛んだ。

 軌道が開いた瞬間、まさるはオーガに向けてナイフを投げると、剣を構えて詠唱を始める。

『炎の神』 

 投げたナイフはオーガには刺さらなかったが、こん棒を振り下ろすのを一瞬でも躊躇させるには十分だった。

『プロメアの名において』

 まさるはオーガとの間合いまで一気に踏み込むと、下から上に向け剣を一閃させる。

『彼の者を』

 続け様に上から下に向けもう一閃させると、

『焼き払え!』

 オーガの腹を蹴り飛ばした。

 

「ガアッ!」

 まさるは、両腕を失って吹き飛ぶオーガに右手をかざし、ファイアの魔法を叩き込む。

 斬られた両腕が舞い落ちる先で、オーガの身体は炎に包まれ、断末魔の叫びをあげた。

 まさるは、冷静になる為に呼吸を整えると、周囲の気配を探る。

 辺りに魔物がいない事を確認すると、ステファニーのところへ走って行った。


「大丈夫?」


 倒れているステファニーを抱き起すと、傷を確認する。


「ごめ、なさい、びっくり、腰が」


 まさるを安心させようとしているのか、ぎこちない微笑みを浮かべながら話しているが、彼女の身体が震えているのが、まさるの手には伝わっていた。


「良かった」


 まさるは安心すると、ステファニーを抱きしめていた。

 

「ちょ、ちょっと勇者様?」


 突然の事に動揺するステファニーだったが、体の震えが収まって行くのを感じると、もう少しこのままでいたいと思った。

 腰が抜けて立てなかったのもあるが。

 空いていた手を、そっとまさるの背中に回す。手のひらに感じるぬくもりに、ステファニーの鼓動は一段と高くなった。


「有難うございます。様」


 それは、無意識のうちに彼女の口からこぼれた。

 まさるはその言葉を耳元で聞くと、抱きしめる力を一層強くする。

(とうとう名前で呼んでくれた! これはもしかして、あの有名な吊り橋効果という奴なのか。有難う吊り橋) 

 まさるは何処にもない吊り橋に感謝すると、もう暫くこの温もりを味わおうと思った。


「あらあら、ごめんなさいね。道に迷っちゃって」


 何処からともなく、ナタリアの声が聞こえる。

(チッ)

 まさるは心の中で舌打ちをすると、名残惜しそうにステファニーを開放する。

(セバスチャンに言って、今日の二人の給料は無しにしてもらおう)

 まさるは、割とマジでアルフレッドとナタリアに切れていた。


 村に帰ると、フェリクスが魔法の練習をしている。今日は村長が見ている様だ。


「あ、まさる! おかえりー」


 まさるを見つけると、トコトコと走ってくる。


「フェリクス、ちゃんと毎日練習して偉いな!」


 まさるは、いつもの様にしゃがんでフェリクスを迎えると、頭をわしゃわしゃ撫でまわした。


「四発撃てるようになった!」

「お、やるなぁ。でも勇者の最強魔法だからな、真の力はそんなもんじゃないぞ」

「ずっと頑張るもん」

「偉いな、勇者との約束だ」

「うん、約束!」


 二人は勇者の約束を交わすと、手を繋いで村長の家に入って行く。

 一方その頃、ナタリアが部屋に戻ると、アルフレッドが既に帰って来ていた。


「なんだい、帰ってたのかい」


 いつもと感じの違うナタリアの声に、酒を飲んでいたアルフレッドが振り返る。


「やっと都合がついた。決行は今夜だ」


 アルフレッドの言葉に、ナタリアの瞳が妖しく光る。


「わかったわ。ブルックスの娘はどうする?」

「生かしとけば身代金ぐらいは出すんじゃねぇか? それか、勇者の種でも仕込んで送り返せば喜んで金を出すかもな」


 下卑た笑い声を上げると、アルフレッドは残りの酒を一気に呷った。



「もう、お眠りになりましたか?」

「まだ起きてますよ」


 軽くウトウトし始めていたのだが、ステファニーの声でまさるは目を開く。



「この一週間、どうすれば良いのかを、ずっと考えておりました」


 いつもより声を近くに感じる。ベッドの傍まで来ているのだろう。


「正直、まだどうしたいのか分かりません。でも……」


 いつもの様な感情の乗っていない声ではなく、とても穏やかで優しい声だった。

 それだけで、まさるの中のステファニーは可愛さを増してくる。


「日々まさる様を見ているうちに、心が穏やかになる自分に気が付いたのです。」

「っ!」


(まずい! 名前で呼ばれる度にドキドキする)

 元々、まさるはステファニーに一目ぼれであった。ただひたすらに我慢していたのは『勇者』としてではなく、『まさる』と言う一個人に対して接してほしかったからだ。

 それが今日、やっと名前で呼ばれたのだ。今振り返れば、まさるは間違いなくステファニーを押し倒してしまう自信があった。


「これが好意と言うなら、私はまさる様の事を……」


 我慢の限界に達したさまるは、ベッドから起き上がると、振り返り、ステファニーの肩を抱き寄せた。

 月明かりを反射して潤むステファニーの瞳に、まさるは息をのむ。

 そして、窓の外に月明かり以外の灯りが揺らめいているのを見逃さなかった。


「あれは……」


 赤と橙色が揺らめいている。酷く嫌な予感がしたまさるは、ステファニーに装備を着るよう命じると、自らも装備を着て剣を手にした。

 外に出た時には、既に周りの家は全て炎に包まれていた。しかも、剣戟の音まで聞こえる。

 まさるは、音の聞こえる方へ走って行った。


「何やってんだよ!」


 息も切らさんばかりに走り込むと、今まさに村長を切り倒した影に向かって、まさるは叫んだ。


「何って、人殺しだよ」


 鎧をまとった表面積の広い体が振り返る。

 巻き上げる炎が照らしだした顔は、異世界に来て以降、よく見る暑苦しい顔だった。

 しかし、その目にはいつもの様子はなく、禍々しい光を宿している。


「アルフレッド……なんで?」

「カーリアにお前を持って行くと、金になるんでな」


 カーリアとはラダールの東に位置している、アルウッドの村の国境の先にある国の事だ。


「国お抱えの騎士と言っても、給料は安いからな。そこに都合よく勇者のお目付け役の仕事が来て、カーリアから勇者を連れてくれば大金出すって言われりゃあ、ホイホイ乗るってもんよ」


 要するに、勇者誘拐の危険は、まだ続いていた訳である。

 アルフレッドは、倒した村長の横を通り過ぎると、傍にあった黒い塊を蹴り上げた。


「まだ生きてるか」


 黒い塊に守られる様に包まれていた、小さな塊が転がり出て来る。


「フェリクス!」


 まさるは、その小さな塊を認識すると、叫んでいた。そして、フェリクスを守っていた黒い塊が何か分かると、まさるの目から涙があふれ出ていた。


「貴っ様ああぁぁぁぁ!」


 それは、フェリクスの母親だったのだ。

 転がり出て来たフェリクスに、剣を突き立てようとしていたアルフレッドへまさるが斬りかかる。

 しかし、二合も切り結ばぬうちに剣は弾かれ、まさるは蹴り飛ばされた。


「やめろ!」

「ああ? 小僧とは言え、報告に走られたら面倒だからな」


 まさるの制止を気にする事無く、アルフレッドは剣を振り上げる。

 まさるは瞬時に考えた。

(アルフレッドと戦っても勝ち目はない。そして奴が必要なのは僕を生かしてカーリアに渡す事だ。なら僕にできる事はこれしかない)

 まさるは剣を自らの首に刃を押し当てると、叫びを上げた。


「その子を殺したら、僕は死ぬぞ!」


 アルフレッドとまさるの視線が、しばしの間交錯する。

 幾多の戦いを生き抜いてきたアルフレッドには、まさるの目が本気かどうかは見ればわかる。

 アルフレッドは剣を収めると、フェリクスを摘まみ上げ、


「お前が面倒見ておけ」


 と言って、まさるに向けて放り投げた。

 剣を手放し、咄嗟に両手で抱き留めたまさるは、フェリクスをそっと置くと、剣を持ち直し、アルフレッドを睨みつける。


「無理よ! あなたでは敵わないわ」 


 怒りに任せて戦おうとしたが、ステファニーに止められた。


「ああ、賢明な判断だ。生かして渡す手筈だが、手足の一本無くなっても、向こうで治してくれるだろうから遠慮はせんぞ」


 嘲るような笑みを浮かべるアルフレッドの奥から、馬車が走ってくる。馬を操っているのは 同じく毎日見ていた顔だった。


「あんたもグルか」

「そりゃあ、そうなるわね」


 まさるが睨む先から、冷酷な笑みを浮かべながらナタリアが馬車から降りて来る。


「さっさと乗りなさい」


 まさる達三人を荷台に乗せ、一番後ろでナタリアが監視をすると、アルフレッドが御者台へ乗り込み、馬車を走らせた。

 東西をつなぐ街道へ入ると、東に向けて尚も走り続ける。


「もう坊やに種は仕込んでもらったの?」


 ナタリアが蔑むような眼でステファニーへ話しかけると、憤りもあらわにナタリアを睨み返した。


「あらあら、その様子じゃ、まだの様ね」


 ステファニーの視線を意にも介さず、ナタリアはおどけて見せる。

 そんなやり取りをしている中、アルフレッドが夜目の利く馬に任せ走り続けていると、暫くして前方に明かりが見えて来た。


「ちょっと早くないか?」


 アルフレッドは独り言を呟くと、馬車の速度を緩める。

 ランプを掲げた男の前で止まると、アルフレッドは声高に男に話しかけた。


「おい! 予定より早くないか?」

「おや、こちらはあなたのお知り合いでしたか」


 明らかに話が噛み合わない返事が返って来たので、アルフレッドは剣を引き寄せて警戒する。


「申し訳ございません。勇者を待っている間の手慰みに殺してしまいました」


 続く言葉と共に、ランプを持った男が崩れ落ちると、背後にもう一人、人影が現れた。

(なんだ……これ)

 まさるの肌が急激に泡立つ。戦いに慣れていない者でもこれほどの恐怖を感じさせる相手に、アルフレッドとナタリアは既に馬車を下りて臨戦態勢に入っていた。


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