第5話:高鳴り
「勇者様」
微妙に、本当にほんの僅かだが、不機嫌な感情を乗せた澄んだ声が、まさるに呼びかける。
「勇者様、朝でございます」
少し重い瞼を開けると、ぼやけたステファニーが見えた。二度、三度、瞬きをして視界を明瞭にすると、淡い水色の瞳と目が合う。心なしか、目の下にクマが出来ている様に見える。
ベッドから起き上がり、改めてステファニーを見ると、既に
サンストームの教会で見た、青地の長衣に白のローブ姿である。年相応に膨らんだ胸には、信仰している神の印らしいロザリオが揺れていた。
着替えを済ませたまさるは、ステファニーと共に村長の家へ赴き、皆と朝食を摂る。
「まさる、おはよう!」
「お、フェリクス! おはよう」
まさるはしゃがみ込むと、フェリクスの頭をわしゃわしゃと撫でる。
出会って二日目にして、この二人はすっかり馴染んでいた。
まさるがこの世界に来て一週間程になるが、食生活は中世の頃に食べていた様な物が主だ。
主食はパンやオートミール、主菜は、割と肉をよく食べる。生野菜などは食べる事が少ないので、副菜は少なめだ。後は汁物。パンが少し硬いので、食卓で食べる場合は必ずと言っていい程、スープが付いてくる。
「いただきます」
まさるが手を合わせて食事を始めようとしたら、皆の視線がこちらに向いていた。
「まさる、なにそれ」
フェリクスが真似して、手を合わせながら不思議そうに聞いて来る。
「ああ、これは僕が元居た世界の食事を始める挨拶さ」
まさるはもう一度手を合わせながら、フェリクスに教える。
「いただきます!」
フェリクスは、元気な声で挨拶を済ませると、勢いよくパンにかぶりついた。
食事が終わると、早速特訓に入る。
「まさる殿は、まず体力づくりからですな」
アルフレッドはそう言うと、鞘に入ったままのロングソードをまさるに渡す。
ずっしりと重い手ごたえを感じながら、鞘を何処に固定するのかきょろきょろしていると、
「それは鞘に入れたまま振ってくだされ。取り敢えずは千回ほどですな」
と、暑苦しい顔で言ってきた。
文句を言ったところで、どうなる物でもない事は解っているので、まさるは黙々と素振りを始める。
思った以上に剣先が重く、剣に振られる。それが腹筋なども鍛えてくれるのだろうが、取り敢えず千回と言われたところを、十回で休憩に入った。
その後も十回ごとに休憩を入れつつ、百回ほど振っていると、次第に手の皮が痛くなってくる。
グローブをはめて振りたいと言ったら、やめておけと言われた。中で蒸れて余計に皮が捲れ易くなるらしい。それでも三百回くらい振ると、手の皮がむけ始めた。
痛みと疲労でまさるがしゃがみ込むと、木陰で見ていたステファニーが近寄ってくる。
手にしていた杖をまさるの手に近づけると、ゆっくりと呪文を唱え始めた。
「我らが地母神、ガロイアの名において、この者の傷を癒し給へ」
杖の先が淡く光り始めると、まさるの傷が見る見るうちに治って行く。
「おお、凄い!」
初めて魔法を目の当たりにしたまさるは、何度も手を握ったり開いたりする。
剥けた皮膚は完全に塞がり痛みが無いどころか、疲労まで無くなっていた。
「僕も魔法使えるようになるかな?」
興奮冷めやらぬ調子で、まさるはステファニーに聞いてみる。
「他の魔法は存じませんが、神聖魔法は信仰心と魔力の強さによって左右されますね」
「魔法は、勇者によって使える者と、使えない者がいたらしいぞ」
冷静に説明するステファニーに、アルフレッドが補足を入れる。適性は強くなってから現れるとの事だった。
一刻も早く魔法を使いたいまさるは、全力で特訓の続きを始める。
多少の怪我や疲労はステファニーの魔法で回復されるので、周囲も驚くほどのスピードで特訓は進んでいった。
そして、特訓開始から十日目。いよいよ実戦デビューの日がきた。
「一対一になるように間引きますので、まさる殿は一匹に集中して戦ってください」
アルフレッドの説明を受け、一行は村を離れ山奥に入っていく。
小一時間程歩いていると、遠目にゴブリンが歩いているのを発見する。
一匹だけだったので、まさるたちを見て逃げ出そうとするが、アルフレッドとナタリアが回り込んで逃げ道を塞ぐと、まさるの方へ追い込んだ。
「ギャギャギャ!」
観念したのか、ゴブリンは手にしたこん棒を振り上げると、まさるへ向かって突進を始める。
まさるはロングソードを握り直すと、歯を食いしばり、足元の土を踏みしめゴブリンを迎え撃つ。
ゴブリンの初撃は上から振り下ろす単調な物で、まさるは体をずらすだけで容易くかわせた。初撃以降の攻撃も単調な物ばかりで、かわしながらゴブリンの攻撃パターンを学習していく。
ゴブリンが攻撃に疲れ果て、足取りがふらつき始める。今まで攻撃しなかったのは、アルフレッドからの指示によるもので、最初は攻撃を食らっても良いから、ひたすら避けてパターンを覚える様に言われていたのだ。
アルフレッド曰く、
「ゴブリンなら、いくら殴られてもすぐ回復できるから大丈夫! あ、頭だけは防いでくださいよ」
らしい。完全に他人事である。
ふらついて隙だらけのゴブリンに、まさるはロングソードを振りかぶると、一気に振り下ろす。
「ギギャッ!」
断末魔の叫びと共に、肉を叩き切る嫌な感触が手に伝わってくる。
剣はゴブリンの肩口から腹部辺りで止まり、盛大に血しぶきを上げた。
(えっ?)
まさるはもっと格好よく、アニメやゲームの様に一刀両断出来る物と思っていたのだ。
至近距離でゴブリンの血を浴びたまさるは、剣を手放し転げまわる。
「おえっ」
血の気持ち悪さと匂いに吐いていると、ステファニーが沈静化の魔法をかけ、濡れタオルで顔を拭いてくれた。
血と嘔吐物にまみれたまさるを特に気にする事もなく拭いて行く姿は、貴族のお嬢様らしからぬ胆力を感じさせる。
「すみません……汚いのに」
「構いません。こういう事も僧侶としての訓練にありますので」
にこやかにしているが、やはりあまり感情を感じさせない物言いに、まさるは少しばかり寂しさを感じた。
その後もゴブリンを狩り続け、日が傾く頃には十匹目を倒していた。
結論から言えば、まさるの成長は著しいものがあった。一度失敗した事は二度としなかったし、それを踏まえた動きも出来るようになっていたのだ。最弱のゴブリンと一対一とは言え、その成長ぶりにはアルフレッドも唸っていた。
村に帰り、血と汗を洗い流して夕食(あまり食べられなかった)を済ませると、寝床に就く。
ゲームもアニメも娯楽と言う娯楽は無いので、生活ルーチンは単調な物だった。
今日もまさるとステファニーは、背中を向けてそれぞれの布団にもぐり込む。
月が大きいのだろう、ランプを消しても部屋の中がうすぼんやりと見えている。
しばらく天井を見つめていたまさるは、ふと声を上げた。
「ステファニーさん」
布団の中でビクッとしているのが伝わってくる。
「……なんでしょうか?」
少し間をおいて、返事が返って来た。
「今日は迷惑をかけてしまい、すみませんでした」
「迷惑などとは思っておりませんよ。これからも私を頼ってくださいませ」
いつの間にか布団から顔を出して、こちらを見つめている。
「……勇者のサポートだから?」
「左様でございます」
「そうか……」
そう言うと、まさるは静かに目を閉じた。
「勇者様?」
今度はステファニーが話しかけて来た。
「なんです?」
「……私には魅力が無いのでしょうか?」
「ななな、な、なんです? 突然」
(突然、何を言い出すのかこの子は!)
まさるは動揺を隠しきれなかった。
「もう十日も共にしておりますのに、何もされないのは、私に魅力が無いとしか思えません」
(いや、正直、毎日生殺し状態なんですけどね……)
比較的健全な青少年であるまさるにとって、毎日この状態を乗り切るのは必死である。しかし、ある一点に置いて、どうしても譲れないものが彼の中にはあった。
「人が嫌がる事をする気になれないだけです」
それをしてしまうと、自分もあのいじめっ子達と同類になってしまうと、まさるは思っていた。
いつの間にか布団から起き上がり、ベッドに座っていたステファニーが、まさるを見つめながら話を続ける。
「ご存知の通り私は貴族の娘です。あなたの世界の事は解りませんが、この世界の貴族の娘は権力闘争の道具なのです。婚姻に愛や恋などと言うものが介在する余地はございません」
薄手の布団を持ち上げると、ステファニーは自らの体を包み込む。
「私は父から、勇者の子を成して来いと命を受けております。ですから、勇者様は何も後ろめたく思う必要はございません」
言葉とは裏腹に、ステファニーは自らの身体を守る様に抱きしめていた。
「ご存じないと思いますが、僕は平民の息子です」
まさるは起き上がると、うすぼんやりと見えるステファニーに向いて話し始めた。
「この世界の事はよく知りませんが、僕の住んでいた周りには貴族はいませんでした。婚姻は愛や恋を育んで成されます。相手の気持ちを無視してその、……するのは、犯罪です」
「私が構わないと言っているのですよ?」
「じゃあ、何で泣いてるんですか」
「!」
ステファニーはハッとすると、すかさず布団で顔を隠す。
しかしまさるは、差し込む月明かりに照らされたステファニーの目に光るものを見逃さなかった。
「君がお父さんに怒られるかもしれないけど、今の僕には君の要望に応えられない」
そう言うと、まさるは布団にもぐり込む。
「ただ、ステファニーさんが僕を一人の男として好意を寄せてくれるなら、僕は速攻で落ちると思いますよ。」
思い出したかのように布団から顔を出すと、言葉を続ける。
「それくらい、君は魅力的です」
そして再び布団にもぐり込んだ。
(その場の勢いとは言え、僕は何を言っているんだ……)
そしてしばらくの間、身悶えしていた。
(好意……好きになるって事?)
一方、そんな事は考えてもいなかったステファニーは、今までと違う意味で鼓動が高鳴り始めていた。
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