第23話 束の間の休息
屋上から離脱した俺とライラックは、二階にある展示室の一つに逃げ込み、隠れていた。
この博物館は三階建てなので、ちょうど中間の階だ。
可能な限り遠くまで逃げる、という選択肢は複数の理由により除外した。
まず、南雲の固有魔法によって船をすべて破壊されてしまったため、どうせこの島の外までは出られない。
それでも博物館の中でなく、せめてもう少し離れた場所に息を潜めて魔女なり警察なりの助けが来るのを待つ、というのも駄目だ。
こちらの魂胆を見透かされ、出てこないならと無差別に暴れ始めたりする可能性だってあり得る。
今の南雲は、その程度平然とやってのけそうな危険性を備えている。
そして、もう一つ。
俺は先程の南雲との戦闘の中で、強引に攻撃を回避しようとした結果、足を捻挫していた。
現在、その負傷をライラックにテーピングで応急処置してもらっているところでもある。
展示室内の椅子に座り、靴を片足だけ脱いで足を伸ばした俺と、その前にしゃがんでテープを巻くライラック。
「……よく応急処置用のテープなんて持ってたな」
「えへへ……女子力アピールのために日頃から色々持ち歩いてるからね」
「これも花嫁修業のため……ってことか? だとしても、用意が良すぎる気がするが」
「だって葉月くんって家事とか卒なくこなせちゃうし、実はすごく細かいところまで気配りしてくれたりするし……男の子のくせに、やたら女子力高いでしょ?」
「いや、同意を求められてもまったく自覚は無いんだが」
ライラックはぴたりと手を止め、「む……そう?」と呟いてから。
「とにかく、そんな葉月くんに対抗しようと思ったら、これくらい用意が良くないと駄目ってこと」
得意げに胸を張って、テーピングを再開した。
会話が止み、展示室を静寂が支配する。
ウェディングドレスにも似た純白の変身衣装を纏ったまま、伏し目で長く煌めく銀髪を垂らしながら、優しい手付きで処置をするライラック。
博物館の照明の加減と不気味なほどの静けさも相まってか、その姿はどこか幻想的で、慈愛に溢れた聖女のような片鱗が垣間見える。
……こいつが俺に甲斐甲斐しさをアピールするためにテープを持ち歩いていたなら、作戦は成功だな。
「はい、終わったよー……って、なんで笑ってるの葉月くん?」
応急処置を終え、顔を上げたライラックは、不思議そうな眼差しを向けてきた。
「あー……」
……どうやら、知らぬ間に笑みが溢れていたらしい。
「もしかして、甲斐甲斐しい私に見惚れてたらつい笑顔になった……とか?」
……結果だけ切り取ればそういうことになるのかもしれないが、改めて言われると我が事ながら気持ち悪い。
しかしライラックは嫌悪感を示したりするようなことはなく。
「だとしたら緊張感が無いねえ、葉月くん」
むしろ、お前の方が緊張感ないだろとツッコみたくなるような緩い笑みを浮かべていた。
「っ……本当に、お前は……」
何故こうも、俺のやることなすこと、全部嬉々として受け入れるような顔をするのか。
「ん……どうしたの?」
俺の中に沸き立っている感情の正体は、なんなのか。
自分でもよく分からないが……悪くない感覚だ。
それでいて、ライラックにはまだ悟られたくないとも思った。
「いや、なんでもない……それより今はライラックの言う通り、緊張感のある話ってのをするとして……この後どうする」
俺の話題展開にライラックは特に疑問を持つ様子もなく「おお、真面目モードだね葉月くん」などと言いながら立ち上がった。
「うーん……葉月くんの足が大丈夫そうなら、とりあえず移動するのはどうかな」
「いや……他の生徒や客と鉢合わせた時のことを考えると、不用意に動くのはまずい」
「そのタイミングで南雲さんが襲ってきたら巻き込んじゃうかもってこと? 確かに心配だね……」
「そういう意味じゃ、ライラックが人気のない場所を一目散に目指してたのは不幸中の幸いだったな。今のところ誰とも遭遇してないし、このあからさまに不穏な騒ぎの中で近づいてくる奴もそういないだろう」
浮ついた噂に対しては野次馬根性旺盛な連中と言えど、魔女大戦の中でどうにか生き抜いてきた人間だ。
身の危険が及ぶような状況に好奇心で首を突っ込むほど馬鹿ではない。
そういう奴らはもれなく戦争で死んだなんて教訓じみた話は、今でも全校集会なんかで聞かされるし。
「でもこれだけ静かになっちゃうと、逆に周りの状況が掴みにくいね?」
「まあ……そうだな。屋上であれだけの騒ぎがあったのに、警報の一つも鳴ってない。船を全滅させた手際の良さもあるし、この静けさがあらかじめ博物館内の設備に工作を仕掛けてたことによるものだとしたら、かなり計画的だ。最悪の場合、南雲以外の敵が動いてる可能性だってある」
などと、推測をしていると。
「おお……」
ライラックが感心の眼差しでこちらを見ていた。
「あー……なんだよ」
「葉月くん、こんな大変な状況なのに冷静に色々分析できてすごいなあって」
「落ち着いてるって意味じゃライラックも同じだと思うが。慌てたってしょうがないし」
いちいち持ち上げることでもないだろう、と思う俺とは裏腹に、ライラックはにこやかに続ける。
「まあそうだけど……さっきの葉月くん、すごく強かったよね! 魔法を避けたり、剣をブンブン振ったりして。南雲さんだって魔法少女なのに、その手を焼かせるなんて……流石は私のパートナーだよ!」
「流石って……本来、花嫁修業のパートナーってのは戦うことを求められるようなもんじゃないだろ」
「だから、それができちゃう葉月くんはすごいってことでしょ?」
なんの疑問を抱くことなく、まるで自分のことのように嬉しげな声で、ライラックは言う。
「……まあ、これもあの面倒な義姉に遊ばれてた成果だろうな」
セルティリアが『鍛錬』などと称していたあの一方的なシゴキによって、まさか本当に自身が鍛えられているとは、思いも寄らなかったが。
あれらの日々がなければ屋上で南雲に殺されていたと考えたら、感謝すべきなんだろうか。
「しかし、すごいって言うならライラックこそなんだったんださっきの威力は。南雲の反応的にも、並外れた性能みたいだったが」
「えっと、そうなのかな……?」
先程ライラックが放った汎用魔法について尋ねてみるが、本人には自覚がないらしい。
だが以前ライラックが語っていたことと実際の性能には、明らかに差異があるように思えてならない。
「とてもじゃないが『Cランクの低評価』なんて風には見えなかったぞ。どうしたらそんな勘違いをするんだ。それとも測定のミスとか、情報が古いとかか?」
「うーん……最後に汎用魔法の性能を測ったのは葉月くんと初めて会う1ヶ月だから、情報が古いってことはないと思うけど……いつもお義姉さまと二人で測定してたから、間違いなんてことはないと思うし」
「あいつと二人で、か」
汎用魔法の性能測定の仕方なんて知らないが、魔女同盟の理事であるあいつなら最新の機器を用意することくらい容易だろう。
そして、認めるのは癪だが、あいつは性格的な部分を除けば完璧超人だ。
機械の故障や人為的ミスの線は薄い。
では、なんらかの意図があってライラックに実際とは異なる評価を伝えていた可能性がある。
だが、そんなことをする意味が分からない。
……まったくあの義姉はいつもいつも、人を惑わせる。
どうせ俺が知恵を絞っても、あんな変人の考えなんて理解できないんだろう。
「何にせよ、少し勝ち目が見えてきた気がするな」
「どうだろう……例え私の汎用魔法の威力が高かったとしても、やっぱり優秀な固有魔法の前には効果が薄いんじゃないかな。実際、さっきは防がれたし」
俺が前向きなことを言ってみたが、ライラックは異を唱えた。
「何より……私の汎用魔法は使えてあと一発だから」
南雲に対しての数少ない有効手段が、残りたった一度しか使えない。
道理で、ライラックが否定的なわけだ。
「もしかして、大威力だからその分魔力を消耗するとか、そういう話か?」
「私の魔力よりは、『ステッキ』の方の問題かな」
そう言ってライラックが取り出した拳銃型のステッキは、フレームが歪みかけていた。
「実は私の汎用魔法って、三発撃ったら『ステッキ』が壊れちゃうんだよね。今までは、自分の魔力の性質的な問題だって聞かされてたけど……」
「本当は威力が高すぎて『ステッキ』が耐えきれてなかったってことか」
色々と、規格外な話だ。
「ともあれ、私たちの持ち駒は足を怪我した
「一方の南雲は大したダメージを受けてないだろうし、強力な魔法もある……これ以上戦うなんて考えたくもないが……」
「助けが来るまで逃げたり隠れたりするのはきっと、難しいよね……」
「だったら戦って勝つしかない、か」
そう口にしながら、俺は重いため息を吐いた。
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