第21話 その覚悟は日常のために
「葉月くん、大丈夫!?」
奇襲から少しして、ライラックが血相を変えて駆け寄ってきた。
反応が遅れたのは俺同様、突然の出来事に脳の処理が追いつかなかったからだろう。
「わっ……怪我してる……!」
ライラックは、俺の胸板辺りに心配そうな眼差しを向ける。
言われてようやく、俺は自分が傷を追っている事実を認識した。
胸板を右から左に横切る、焼き切られたような跡。制服を裂き、その下の素肌が一部晒されているが、幸い掠った程度で傷は浅い。
「安心しろ、これくらい大丈夫だ」
俺は宥めるように、ライラックに告げる。
「それなら良かったけど……なんでこんなことを」
ライラックは強張る表情を少し緩めた後、南雲へ疑問の目を向けた。
「んー……二人とも、まだピンと来てない感じ? だったらもうちょい、派手なの見せた方がいいかな」
南雲は魔力剣から放出される光の刃を収め、金属製の柄部分だけになった『ステッキ』を、片手でくるくると弄びながら、悩ましげな呟きを漏らす。
そして、『ステッキ』を弄ぶ手を止めると、南雲はポケットからコインを取り出した。
この前二人で行った、ゲームセンターのメダルだ。
「よっ……!」
南雲はそのメダルを、屋上から外側に向け、思い切り放り投げた。
一体何をしているのかと思った、その直後。
一隻の大きな船が、メダルを投げた先の何もない空中に、突如として出現した。
あれは……俺達がこの島に来る時に乗っていたフェリーだ。発着場に停泊していた筈のそれが、何故か今、宙に浮いていた。
「なっ……!?」
ありえない筈のことが、現実になっている。
目の前で巻き起こる現象を前に理解が及ばない俺だが、超常的な力が働いていることだけは、直感できた。
これは、南雲の使う魔法だ。
「ぽいっ、と」
出現したフェリーがそのまま落下し、視界から消えていく中、南雲は二枚目、三枚目、四枚目……と、メダルを屋上から放り投げていく。
その度に、まるでメダルとすり替わるようにフェリーや小型のボートなど様々な船が宙に現れ、博物館と併設された公園がある辺りに、轟音とともに次々と叩きつけられていく。
そのデタラメな光景を前にして、俺は。
自分を取り巻いていた日常が、破綻していくような感覚に襲われていた。
そう。
知らぬ間に俺は、残酷で無慈悲な非日常に足を踏み入れていたのだ。
――やがて、船が降り止んだ。
「うし、全部片付いたかー」
南雲は肩を回しながら、部屋のゴミでも掃除し終えたかのような調子で最後の一隻が落下していくのを見届けてから。
「これで、島から逃げるための船は全部なくなったね」
口元を綻ばせる南雲。
……どうやら、俺たちは退路を絶たれたらしい。
だが未だに、動機が見えてこない。
「南雲……お前は結局、何がしたいんだ」
急激な口の渇きを覚えながら、俺は問う。
「あ、そそ。あたしがなんで、自分の正体を明かして暴れ始めたかって話だけどさ」
南雲は『良い質問だ』とばかりに指を俺に向け、びしっと真っ直ぐ差してきて。
「あたしの目的は、魔法少女ちゃんの身柄を確保することなんだよね。つっても絶対生け捕りにしてこいって命令だから、殺すことはないけど……素直に従ってくれると、こっちとしては話が早くて助かるかなあ」
世間話でもするかのような気軽さで、南雲は自分の目的を明かし、提案してくる。
「わ、私を……生け捕り……?」
相手の狙いが自分だと知り、困惑の色を濃くするライラックの傍らで、俺は。
南雲の態度に対し、名状しがたい距離感のようなものを覚えていた。
まるで、殺すとか殺さないなんて選択肢が当たり前の世界で生きているような口ぶり。
今の南雲は、俺にとって遥か遠い存在に思える。
「ライラックの身柄を押さえたとして……お前にどんな得がある」
「ま、あたし個人にはメリットが無いってのは事実かもね」
「だったらどうして……」
「そこまで言う必要ある? 答えたら引き渡してくれるってわけでもないっしょ?」
「……当たり前だろ」
俺の答えに、南雲は吹き出した。
「はは、当たり前ときたかー。なんかモヤっとするなあ……あ、そうだ」
にやり、と笑いながら、南雲は細めた目で俺の方を見て。
「桂木、あたしの邪魔しなかったら見逃してあげるよ。こっちの標的は、魔法少女ちゃんだけだし」
……つまり、自分が助かりたかったら、ライラックを見捨てろ、と。
だが裏を返せば、大人しく従えば俺を許す、という意味でもある。
なんとも、悪魔的な提案だが。
「……いきなり斬りかかってきたのに、今更見逃すなんて信用できると思うか」
「あれはほら、セオリー通りに素早く脅威を排除しようとした、みたいな感じ? けどこうして交渉するタイミングが出来たんだし、言っとこうかなって。ぼっち仲間のよしみってやつでさ」
へらへらと、軽々しい笑みを浮かべながら、南雲は言い訳じみた台詞を並べた。
「ねえ、葉月くん」
「……どうした、ライラック」
「私の事情に巻き込まれて誰かが……葉月くんが傷つくなんて、私は嫌だから。葉月くんは、逃げて。ここは、私が引き受けるから」
ライラックは何かを覚悟したように、唇を固く結んでいた。
「引き受けるって……まさか、このまま自分の身を差し出そうなんて考えてるんじゃ……」
「違うよ葉月くん。私だって魔法少女だし、ただで捕まるつもりはないんだから」
「それは……戦うってことか? でも、お前は……」
「うん。確かに、固有魔法は使えないけど……私だって『ステッキ』は携帯してるし、汎用魔法の方は使えるから、こっちでなんとかやってみるよ。悪い魔法少女を倒すのは、正義の魔法少女の役目だって、昔からの定番だし」
ライラックはブレザーから小口径の銃のような形状をした『ステッキ』を取り出して、気丈にも笑ってみせる。
しかし、本人曰くライラックの汎用魔法は並以下の筈。
一方、南雲の固有魔法は先程見せつけられた通り。数々の船をあっさりと破壊してみせた。軍艦なんかにも同じ芸当ができると想定したら、その威力は艦隊を凌ぐ。魔女や魔法少女が兵器として重視されるのも納得だ。
そこに汎用魔法による剣技も合わさるのもさることながら、恐らく南雲とライラックとの間では、圧倒的に踏んできた場数が違う。戦い慣れしているかしていないか、という差がある。
到底、ライラックが敵う相手とは思えない。
それでもこうして笑顔を見せているのは、もしかしたら。
勝てない戦いに挑み、自分を犠牲にするなんてふざけた決断を下し、本来ならそのことだけで頭が一杯になって当然のこの状況に至って。
まだ俺に心配をかけまいなどと余計な気を回しているのか、こいつは。
だとしたら、ライラックはどこまで強い心を持った人間なんだろうかと思いながら、改めてその横顔を見ようとして。
俺は、気づいてしまった。
その小さな身体が、僅かに震えていることに。
「……ライラック」
「どうしたの、葉月くん。まだ何かある?」
零れ出すように名前を呼ぶ俺に、尚も笑顔を向けてくるライラック。
だが俺は、察してしまった。
この笑顔は、彼女なりの精一杯の強がりなのだと。
……では、それが分かったところで、俺に何ができるのか。
武器は、一応ある。
セルティリアから押し付けられた、剣が。
とはいえそれを振るって抵抗したとしても、死体が一つ増えるだけだろう。
絶望的な戦力差の中に俺が加わったからって、状況は同じだ。
ライラックが南雲の手に落ちるという結果を、覆せるとは思えない。
だが、ここで大人しく手を引けば、俺は見逃してもらえる。
単純計算で、被害者が一人減るのだ。
……だったら、それでいいじゃないか。
俺はぼっちで、他人のいざこざとは無縁の存在だ。
自分にとって合理的な選択肢を取り、面倒事は極力避けて通り、誰の注目も浴びずひっそりと生きるのが、俺の本来のあり方の筈。
そうやって、何もしない理由を並べてはみるが。
どれも、納得できなくて。
自分の中に、ライラックを見捨てるという選択肢が、そもそも存在していないことを理解した。
俺は今、こいつを一人にしたくないと思っている。
これまでの人生、自分のことだけを考えるのでやっとだった俺が、他人に対してそんな感情を抱くなんて、おかしな話だ。
どうして俺は、ライラックに対してそこまでの感情を抱いているのか
ライラックがいれば、自分が変わっていけるかもしれないから?
このまま行かせてしまっては、その機会が失われて、自分が凡人未満のしょうもない存在のままで甘んじなければならないから?
……いや、違う。
結局、そこにあるのはそんな打算や擦れた建前ではなくて。
何だかんだと言いながら、気に入っていたのだ。
ライラックが隣にいる、あの日常を。
だから、失いたくないのだ。
あの日常に、また帰りたいのだ。
この、いつもいつも俺を振り回し、呆れさせ、たまに度肝を抜いてくれる、銀髪の少女と一緒に。
ではそのために、俺がやるべきことは。
「……なあ、南雲」
「お。やっと答えが決まった感じ?」
「ああ。まだ、この状況に理解が追いついてない部分もあるし、お前がいつからこんなことを企んでたんだとか、聞きたいことも色々あるが……一つだけ。自分がどうしたいのかは、はっきり分かった」
俺は南雲を見据えながら、懐に手を入れる。
「だから、悪いな南雲。お前の提案、蹴らせてもらう」
そう言って、俺は魔力充填式の光剣を引き抜いた。
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