第18話 日常から少し離れた場所で
三日後。
俺やライラックが通う杠葉市立第三高校の二年生は、社会科見学の名目で学校のある
かつて人間とヴィランズの間に勃発し、魔女の多大なる活躍によって終わりがもたらされたことから『魔女大戦』と名付けられた十五年にも及ぶ闘争。
その戦いに関連する膨大な資料が展示され、慰霊碑なども建てられている場所で、現存する博物館の中でも有数の規模を誇るとか何とか。
海を隔てた孤島であり、訪れるには一手間かかるこの場所が、社会科見学というそこまで大規模でもない学校行事の行き先に選ばれた理由は恐らく、終戦記念日が近いからだろう。
俺を含む二年生一行は、朝からフェリーに二時間ほど揺られて、目的地に到着した。
この島はかつて、魔女対戦における日本での一番の激戦区だったらしい。
戦時中は、魔女同盟の本部もここに置かれていたことがあり、研究施設なども多く存在していた。
魔女の総本山のような場所だったため、国内で最も安全な地だと噂されるようになり、移住する一般人も増加。
元は荒れ果てた無人島だった場所に、最盛期では二万人を超える人々が暮らしていたが、ある日突然、この島にもヴィランズが出現した。
それも、同時に複数が、だ。
間の悪いことに、主だった魔女は他の地を防衛するために出払っており、膨れ上がった島の住人を守るに足る人員は、残っていなかった。
おまけに海の上の孤島という立地から、援軍が駆けつけるのに時間がかかったという事情もある。
結果的に、二万人を超えた人口は八割以上が命を落とし、島は地形が変わり元の三分の一程度の規模になってしまった。
魔女同盟も本部機能を島に維持できる状況ではなくなったため、移転した。
常に正義の味方として人々を救ってきた彼女たちにとって、一番の敗北と言ってもいい。
その負の歴史と亡くなった人々を忘れないため、戦後になって慰霊碑と博物館がこの地に建てられた。
今では、東京ドーム換算で約5個分の面積がある島の殆どが、博物館とその関係施設になっている。
フェリーの発着場に降り立ち、俺たち二年生は博物館の施設内に足を踏み入れると、まずは屋外の広場中央に設置された慰霊碑の前で形ばかりの黙祷を捧げた。
そして現在は、隣接する公園や飲食店などで自由に昼食を取る時間なのだが。
フェリー発着場近くの海岸で、俺は一人、防波堤に座っていた。
別に何か、目的があるというわけではない。
むしろ、わざわざ遠出をしての学校行事であっても、何もやることがないからこそ、こうして単独行動をしていると言うべきだろう。
「ごちそうさま……っと」
一人でここに来る前にライラックから受け取っておいた弁当を完食し、俺は顔を上げる。
島の北側、広大な敷地面積を誇る博物館の裏手には、中腹から上を抉り取られたような歪な形をした小高い山が見える。
かつてこの地をヴィランズが襲撃した、痕跡だ。
ただでさえ島の面積が縮小してしまった分、切り崩して更地にする話もあったらしい。
しかし、復興のため前を向くこの世界の中で戦争の記憶を後世に遺すために、半壊した山や住人が暮らしていた民家の廃墟をあえて保存しておくことになったそうだ。
風が吹き抜ける。
確かな磯の匂いが、鼻をくすぐる。
海を見ると、僅かばかりだが波が白く荒立っていた。
「おう、こんな所にいたのか」
声に合わせて、誰かが隣に腰を下ろしてきた。
横を見やる。
二年B組の担任教師である
「自由時間とは言ったが、博物館の敷地内に限るって話じゃなかったか、確か」
その口ぶりは、指定した範囲外で勝手に単独行動をしている俺を咎めるという感じではない。
むしろ引率者の立場でありながら、決めごとを正確に把握していないような、奔放な言い方だ。
恐らく、教師間の事前打ち合わせなんかでその辺りの話は綿密にされていただろうが、ガサツだから聞いていなかったんだろう。
「……一応、時間内には戻るつもりでしたけど」
故にそれほど責められているという認識は持たずに、話を合わせる程度の感覚で応じる。
「ま、私としちゃ帰る時に数が合ってれば構わんが……ここで何してたんだ?」
欠伸混じりに、山吹先生は尋ねてくる。
面と向かって二人で話すような機会は今までなかったが……このいい加減さ、抱いていた印象そのままの人物らしい。
「あー……特に何をって感じではないですが……」
「景色でも見てたってか」
「まあ……そんなところです」
「はっ。若者らしくない、というか爺さん臭い趣味だが、今日はいい天気だしなあ……ま、気持ちは理解できるぞ」
雲一つない青空を見上げながら、山吹先生は笑う。
その後、気怠そうに一つ伸びをしてから、発着場に停泊するフェリーの方に視線を落として。
「この調子なら、帰りの船も予定通り出てくれそうだな……ったく、社会科見学の行き先に島を選ぶなんて、計画性がないよなあ」
海が荒れたらどうするつもりだったんだよ、などと愚痴めいた呟きを漏らしながら、山吹先生はへらへらと笑う。
……それにしても、この人は一体、ここへ何しに来たんだろうか。
「こんな所で油売ってて良いんですか? てっきり、連れ戻しに来たと思ったんですけど」
「おいおい、私がそんな熱血教師に見えるか?」
何故か得意げな調子で、山吹先生は言う。
「別に熱血じゃなくても、ルールを破る生徒がいたら正すのが普通の教師だと思いますけど」
「悪事を働いてる自覚があるなら、最初から仕事を増やしてくれるな」
ツッコんでみたら、もっともな返しをされた。
「あー……それじゃあ、戻りましょうか」
そう言って、俺は防波堤から腰を浮かせるが。
「いや、その必要はない。どうせなら、もう少しここで無駄話に興じようじゃないか。私としても、その方が助かる」
朗らかな笑みで、引き止められた。
……なるほど。
俺は
本来なら、生徒たちが自由に過ごしている昼休み中も、教師陣はこの後のスケジュールの打ち合わせがあったりしてそれなりに忙しい筈だ。
それを、『出来の悪い生徒が勝手にどこかへ消えたので探しに行ってました』と言えば丸ごとすっぽかせるのだから、山吹先生としては願ったり叶ったりな状況なんだろう。
諸々の事情をなんとなく察した上で、俺は再び防波堤に座る。
「……話すって、何をですか」
年長者の世間話に付き合えるだけのコミュニケーション能力が、俺のようなぼっちにあるのか一抹の不安を覚えながらも、問いかける。
「そうだな……では。少しは、教師らしい話でもしようかな」
山吹先生は何やら、意味ありげな目配せをしてきた。
「それはなんというか……らしくないですね」
「ははっ、失礼な奴だな。私だって、生徒の悩みを聞いてやることくらいはできるぞ。こう見えても、教師だからな」
軽い冗談を飛ばす俺に、先生は片眉を吊り上げながら笑って応じる。
「と、言われても……相談するような悩みなんて、抱えてないですけど」
俺の言葉に、山吹先生はふむ、と少し考えるように唸ってから。
「では、クラスメイトとの交流を避けているのは、どうしてだ? 内気ってわけでもないだろう、君の場合」
問いかけながら、山吹先生は俺の顔を覗いてくる。
……なるほど確かに。この人にも、教師らしい一面というものがあったらしい。
「避けているつもりは、ないですけど」
海の方へ視線を向けながら、俺は答える。
「ならば、邪魔しないように気を遣っている……とでも表現すべきか?」
「邪魔って……何の」
「クラスメイトたちの楽しい日常を、だろうな。彼らの気分を害さないため、輪を乱さないために……君は最初から輪の外側、一歩離れた位置に立っている」
「大袈裟ですね。その輪とやらは、俺なんかがたった一人紛れ込んでた程度でぶち壊しになるほど脆いんですか」
視線は変わらず景色の方に向けたまま、俺は問う。
「少なくとも、君はそういう風に自分を捉えている……いや、卑下していると言うべきか」
「……」
口を閉ざす俺に対し、山吹先生はふっ、と吐息のような笑い声を漏らしてから。
「まあ小難しい言い方をしているが、単純にノリが合わないと言ってもいい。そのノリに合わない奴が輪の中にぽつんといたら、その場の空気が台無しになる……とでも考えているんだろう」
そう締めくくったきり、山吹先生は何も言わなくなる。
どうやら、俺の答えを待っているらしい。
「あー……仮に、俺が本当にそんな風に考えていたとして、ですけど」
このままずっと黙っていてやり過ごせる相手でもなさそうなので、応じることにした。
「先生は俺に、どうさせたいんですか?」
尋ねながら、視線を山吹先生の方に戻す。
と、先生はニヤリと笑って。
「別に、輪に加われとは言わんさ」
予想していたのとは逆のことを口にし始めた。
「そこら辺によくいる教師のようにクラスに溶け込めるよう要らぬ腐心をして、普通であることを無理強いしたりはしないよ、私は」
「けどそれだと……問題を解決しないまま、放置することになるんじゃないですか?」
俺は試すように、そう問いかける。
現状維持を最も望む立場であるはずなのに、おかしな話だとは自分でも思う。
「そもそも私は問題だとは捉えていない。君の振る舞いは即ち献身……美徳と呼べる類のものだろう」
「あー……それはまた、随分穿った見方ですね」
戸惑いながら発した俺の言葉に、山吹先生は呆れたような笑いを浮かべる。
「そこはせめて、『過大評価ですね』とかにしておけ……ってのはさておき、だ」
山吹先生はそこで一拍置いてから。
「君にとって、たまたま同じ部屋で学校生活を送る他人に過ぎない彼らに対して、献身するのは何故だ。そこに何か得があるのか?」
真剣な眼差しを向けてくる山吹先生に対し、俺は少し言い淀んでから。
「……角が立たずにひっそり生きられる、とか」
「それは利益としては微々たるものだ。己をなげうち、抑え込んでまでして得ようとするものではない。この際だから言うが、君の役回りは実に損だ」
「……さっきまでは、割と肯定的だった気がしたんですが」
「ああ。だから私が君に伝えたいのは……自分の身を捧げるなら、漠然とした対象ではなく献身に足る存在を明確に見定めるべき、という教訓だ」
そう言う山吹先生の表情は、自信に溢れているように見えた。
「まあ……一理ある、と思えなくもないですね」
この人がこんなに小難しいと言うか、もっともらしいことを述べる人物だったのは、正直意外だが。
「だから今の君に必要なのは、他のすべてを捨てられる覚悟を決められるくらい、大事なものを見つけることだな」
「それは……流石に飛躍しすぎてるというか、大袈裟な覚悟な気がしますけど」
やや唐突に聞こえる担任教師からのアドバイスに、俺は若干戸惑いながら答えるが。
「そうでもないさ」
山吹先生は、首を横に振った。
「ヴィランズとの戦いが終わって久しいとは言え……今の世界は、まだまだ不安定だ。平穏な日常なんてのも、いつ崩れるか分かったもんじゃない。だから大事なものを守ろうと思ったら、あらゆる事態に対応し、どんなことにでも手を染める覚悟が必要ってわけだ」
そう語り、不敵な笑みを浮かべる山吹先生の主張は、教師としてはあまり褒められた内容ではないというか、物騒過ぎる気もしたが。
それと同時に。
「……やけに実感が込められたアドバイスですね」
「そりゃあ、魔女大戦なんてものを経験してるからな」
表情を崩さずに、山吹先生は頷く。
いつどこにヴィランズが現れるか分からない、常に死と隣り合わせの時代を生き抜くには、極まった価値観も必要だった……ってことだろうか。
そう納得する俺の傍ら、先生は笑みを優しげなものへと変えた。
「……それで? 君には、そこまでの覚悟ができるだけの相手がいるか?」
問われて、俺は考える。
すると一つの名前、一つの顔が、自然と思い浮かんできて。
答えを口にしようとした、ちょうどその時。
「あ、いたいたー! おーい、葉月くーん!」
遠くから、こっちに向かって呼びかける、聞き慣れた少女の声がした。
振り返るとそこには、手を大きく上げながら駆け寄ってくるライラックの姿が見えた。
「先生と一緒だったなんて、意外な組み合わせだけど……何してたの?」
僅かに息を弾ませながらやってきたライラックは、俺と山吹先生を交互に見た後、意外そうに尋ねてくる。
どう答えたものか俺が逡巡していると、先生が答えた。
「ちょっと、サボりに付き合ってもらってたんだが……悪いな、彼氏を借りてしまって」
「えっ……!? あ、いえ、お構いなく……!」
彼氏、という単語に過剰反応し、頬を赤く染めて動揺するライラック。
否定の仕方がズレているだろう、というツッコミは心の中だけに留めておく。
山吹先生はそんなライラックの反応を微笑ましげに見ながら、立ち上がる。
「これ以上若い二人の邪魔をするのは申し訳ないからな。私は先に戻っているが……あまりハメを外しすぎるなよ?」
「は、はい……! えっと、その……程々にします!」
山吹先生の忠告に、ライラックは背筋を正す。
……だから、その答えはおかしいだろう。
誤解を招きかねない。
ライラックのちぐはぐな言動を目の当たりにして、俺がやれやれと呆れている中、先生は歩き始めて。
「どうやら、答えは見つかったようだな」
去り際の背中に、そんな言葉を残していった。
「……?」
遠ざかっていく後ろ姿を見届けながら、ライラックがきょとんとした顔で首を傾げる。
「葉月くん、今のって……」
「あー……それよりも、だ」
……あまり、こいつには詮索されたくない話だ。
俺はライラックの声を、途中で遮る。
「わざわざこんなところまで探しに来て、どうしたんだ?」
「あ、そうだった……こほん」
はっとした表情を浮かべた後、ライラックは改まった様子で咳払いをした。
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