第10話 よく分からない義姉と、右目

 俺はセルティリアの下らない遊びに付き合わされるため、とある場所に来ていた。

 我が家がある山の敷地内、旧家の武家屋敷の方に位置する道場。

 俺にとって、忌々しい思い出の地とも言える場所だ。

 俺は道着に着替え、竹刀を携えてから、そんな場所で待ち受けるセルティリアの前に顔を出した。


「おー、なかなか様になってるじゃないですか!」


 すると、アホ丸出しな格好のまま竹刀を片手に持つセルティリアは、感嘆の声をあげた。


「すっかり凛々しくなっちゃって……小っちゃい頃はあんなにかわいらしかったのに」


 じろじろと、鬱陶しい視線を遠慮なくぶつけてくるセルティリア。


「小っちゃい頃ねえ……」


 自分がまだ子供だった頃、ここであった出来事が嫌でも思い返される。

 自然と俺の表情が、渋いものに変わっていくのが分かる。

 セルティリアはそれでもお構いなしに、昔を懐かしむ。


「思い出しますよ、ここで葉月はづきさんとビシバシ剣の鍛練をした日々……いやあ、楽しかったですねえ」

「そりゃあ、お前は楽しかっただろうな。無抵抗の子供を一方的に竹刀で叩きまくってたんだから」

「む。その言い方だと、まるでボクが葉月さんを虐待してたみたいじゃないですか」


 心外そうな反応を見せるセルティリア。

 だが俺は忘れていない。

 とてつもなくハードな鍛錬に弱音を吐く度、こいつが嬉々としてシバいてきたことを。

 セルティリアは、俺の無言の抗議を感じ取ったらしい。


「でも、剣技は上達したでしょう?」

「技って程のものをちゃんと教わった記憶はないけどな」

「そこはほら、師匠であるボクの技を肌で感じ取ってもらえればと思いまして」


 セルティリアはそう言って、得意げに笑う。

 その笑顔は、楽しそうに鍛錬をしていた時の表情そのままだった。


「……ああ、身に染みたよ」


 微塵も悪びれる気のない態度に、俺はため息をつく。

 剣の鍛錬と言っても、セルティリアから技や型を直接伝授されたことは一度もない。

 いつも、実戦形式だった。

 あからさまに手を抜いていながら、なおも圧倒的な実力差を誇るセルティリアに対し、俺は駆け引きや策を弄し、どうにかしてひと太刀浴びせようと必死に立ち回った。

 が、所詮は子供の知恵。

 セルティリアは俺の思惑を、いつも読み切っていた。

 その上で、良策と思えばあえてそれに嵌まりにきた。

 悪くないから当ててみろ、とばかりに。

 しかしどれだけ知恵を絞り、頭で描いたままの展開に持ち込んだとしても。

 最後には、セルティリアの絶技によって俺の剣は阻まれた。

 この義姉の剣は、消える。

 速過ぎて、目で追うことができない。

 魔女の癖に、こいつは剣においても化け物なのだ。

 もしかしたら、魔女だからこそかもしれないけど。

 おかげで俺はいつも、何をされたのかすら分からないまま、問答無用で道場の床に突っ伏していた。

 結局セルティリアは、俺の策を褒め、土壇場までは乗っかってはみせても。

 俺に負ける気は、更々なかったのだ。

 そんな義姉のあり方を、当時の俺はとんだ天邪鬼だとしか感じなかったけど。

 今思えばあれは、戦いの中での機転や発想力……みたいなものを鍛える意図があったのかもしれない。

 いやだとしても、たまにはわざと俺の攻撃を食らったって良かった気がする。勝ちの味を教えてやるのも指導の内だろう、多分。

 じゃあ、こいつが一度も勝ちを譲らなかったのは。

 鍛錬の意図とか関係なしに、単に大人げなくて負けず嫌いだったからか。

 まあ、それ以前に。


「……そもそも、俺はどうして戦い方なんて学ばされてたんだ。しかも剣とか、時代錯誤にも程があるだろ」 


 昔聞いてシバかれたのと似たようなことを、俺は改めて尋ねる。


「それは勿論、大事な女の子をその手で守るため、ですよ。剣を学ぶ理由としては、まさに王道です」


 そんなことを抜かして、セルティリアは得意げに笑う。


「ふざけてんのか」

「ありゃ、真面目に答えたつもりでしたけど」


 ……これで真面目とか、こいつの頭はどうなっているんだ。

 俺が呆れる中、セルティリアはまた笑みを浮かべた。


「ま、納得のいく答えが欲しいなら、この場で勝ってみせればいいだけの話です」


 ああ、そういう約束だった。

 俺がこいつに勝てば、知りたいことを何でも教えてもらえる。

 その条件で、俺はこの勝負を受けたのだ。

 まあこいつとしては当然負けるなんて想像すらしておらず。

 情報は俺と……いや俺で遊ぶための餌に過ぎないんだろうけど。


「なんだかものすごーく嫌そうな顔してますね」


 俺の顔色を窺いながら、そう告げてくるセルティリア。 

 無意識に顔に出てしまうくらいには、俺はこの勝負に対して後ろ向きってことか。


「それでも勝負を受けるってことは……葉月さん、余程リラちゃんのことが気になるんですねえ」

「アホか」


 にやにやと鬱陶しいセルティリアの言葉を、俺は一蹴する。

 その上で、再度確認した。


「俺が勝ったら本当にどんな質問にでも答えるんだな? 取り消すのは無しだぞ」

「ええ、何でも」


 セルティリアは、大きく首を縦に振る。


「リラちゃんのスリーサイズから人に言えないような恥ずかしい秘密まで握ってますから、是非頑張ってください」

「……そんなのは求めてねーよ」


 辟易する俺だが、セルティリアは調子を崩さない。


「またまた、もっと素直になってもいいんですよ? 気になる女の子のために戦うなんて、素敵じゃないですか」 


 気になる女の子というのはあくまでこのアホが勝手に言っていることだし、そんな下衆い情報を手に入れることを目的とした行為をライラックのためだと主張する奴はどうしようもない屑だ、というのはこの際口に出さずにおくとして。

 一番重要な部分だけ、きっちり訂正しておく。


「……あくまで、自分のためだ」

「まったく、葉月さんはツンデレですねえ」


 それでもやっぱり、セルティリアは相変わらずだった。

 ……まともに相手にしているだけ、時間の無駄か。


「……それで、勝負のルールは」

「うーん、昔と同じでいいんじゃないですかね」


 セルティリアは、少し考えてからそう答える。


「葉月さんはボクの身体に竹刀を少しでも掠めさせたら勝ち。ボクは葉月さんを床に倒したら勝ちってことで――」


 それだけ聞いたところで、俺は動いた。

 振れば届く間合いから、片手に握りだらりと下げていた竹刀を、横に薙ぎ払う。

 向き合っているとは言え、会話中の奇襲。

 まだ臨戦態勢になる前の、虚を突いた――。


「おっと、フライングとは抜け目ないですね葉月さん」


 ――つもりだった。

 が、セルティリアは難なく、俺の不意打ちを竹刀で受け止めてみせた。

 竹刀が交錯したまま、競り合うような形になる。


「……いつから開始とは、言わなかっただろ」

「言わせなかった、の間違いじゃないですかねえ」


 言葉を交わす。

 その間にも俺は竹刀を両手で握り直し、力づくで押し込もうとする。

 セルティリアは右手に持つ竹刀を逆さにして左脇に迫る攻撃を防いだため、体勢的にはこちらが有利。

 加えて、小さい頃ならともかく、今や体格においても俺が上回っている。

 なのに、ぴくりとも動かない。

 技術か魔法か、はたまた単なる腕力か。

 理屈は分からないがこのままでは、埒が明かない。

 俺は力押しを諦め、一旦距離を取る。

 一方のセルティリアは追撃を仕掛けてくることもなく、あっさりとそれを許した。


「押して駄目なら引いてみる、って感じですか。ただ……」 


 分かってますよね、とばかりにセルティリアは目配せしてくる。

 そう、これも昔からの決まり事だ。


「策に乗っかってあげるのは、ひと勝負につき一回まで、でしたよね?」

「あー、今のはあれだ。策って程でもなくてだな……」

「問答無用、ですよ葉月さん」


 にっこりと、やたら楽しそうな笑みを浮かべた。


「次はこっちが仕掛ける番です」


 すっ、とセルティリアは竹刀の切っ先をこっちに向けてくる。

 勝敗が決する前から、お前は終わりだと宣告されているような気分だ。

 実際こうなったら、もうどうしようもない。

 まあこうなる前からどうしようもなかったと言えばそれまでなんだけど。

 一度きりのチャンスを無駄遣いしてしまった感が強い。

 そんな調子で、俺が早々に諦めかけていた、その時。

 片目分しかない視界の端に、何か動くものが迫っているのが、見えた。

 攻勢に転じた、セルティリアだ。

 そう認識した時には、身体が自然に動いていた。

 迫りくるセルティリアの到達点を叩くような形で、俺は竹刀を振るう。

 直後、ガシッと木と木がぶつかる音が、道場に響いた。

 原理は不明だが超高速で接近してきたセルティリアが、俺の竹刀を自らの竹刀で受け止めた音だった。


「むむ、これは……?」


 予想外の反撃を受け、驚きの色を露わにするセルティリア。

 竹刀を再度交錯させたまま、俺たちは向き合う。

 俺だって、正直同じ気持ちだ。

 どうして今まで一度も見えなかったセルティリアの挙動を、辛うじてとは言え視界に捉えることができたのか。

 自分でも、分からないけど。

 これはチャンスだ。 

 セルティリアの動揺が収まり切らない内に、追撃に出る。

 競り合いの中僅かに力を緩め、少し身を引く。

 竹刀を両手で握りながら、縦に振り下ろした。


「ととっ?」

 セルティリアは少し慌てたような声をあげながらも、余裕を持って俺の攻めを竹刀で受ける。

 元の実力差が、天と地程もあるからか。

 多少動じた程度では、セルティリアは崩れてくれない。

 俺はそのまま、更なる追撃を仕掛ける。

 そこに洗練された技など、存在しない。

 何せ、一度も教わったことがないのだから。

 見よう見まねの、がむしゃらな剣を、俺は振り回す。

 二度三度と、それを繰り返した。

 が、セルティリアはその全てを凌いでみせた。

 そして、逆襲を仕掛けてくる。

 消えるような速さの剣が、俺に向けて振るわれる。

 しかしその超人じみた剣は、今度もまた、俺の視界から完全に消え去ることはなかった。

 俺は咄嗟に竹刀を軌道上に出し、受け止める。


「おおっ」


 セルティリアは感心したような声を漏らしながらも、更に超速の剣技を振るってきた。

 それをまた、俺は反射的に防ぐ。

 セルティリアは、攻撃の手を緩めない。

 怒涛の連撃を至って楽しそうに、そして容赦なく放ってくる。

 俺はそれに、どうにかついていった。

 かつては何をされたのかすら、分かっていなかったそれが。

 今なら、剣を振るわれている、と視認できているからだ。

 最早セルティリアの剣は、消えてなどいな――


 ――セルティリアの剣が、消えた。


 いや、見えなくなった。

 攻防の中、突如として。

 セルティリアが剣を振るう速度を一段階上げたからだと理解した時には、もう遅い。

 俺は昔のように、道場の床に突っ伏していた。

 二人の竹刀がぶつかり続ける音が鳴り続けていた道場に、静けさが戻る。

 直後、笑い声が響いた。


「ふふふ……いやぁ、こんな風に剣を打ち合ったのはいつ以来でしょうか。楽しい勝負をありがとうございます、葉月さん」


 セルティリアは倒れたままの俺のもとに歩み寄り、愉快そうな笑みを浮かべながらこっちを見下ろしてくる。


「……そりゃ良かったな」


 終わってみればいつも通り負けた俺としては、何も楽しくない。

 投げやりに返事をしながら、身体を起こし立ち上がる。 


「なあ」

「む、どうしましたか葉月さん」

「……なんで今、見えたんだ?」


 我ながら間の抜けた問いを、投げかける。


「なんで、って……自分のことじゃないですか」

「いや、お前がいつも以上に手加減してた可能性だってあるだろ」

「ああ、なるほど」


 セルティリアは納得した様子で頷いてから。


「ボクの方は、いつも通りでしたよ。むしろ最後は、いつもより速かったくらいです」


 そう言いつつも、「まあ、ちょびっとだけですけどね」と付け足してくるセルティリア。どうでもいい意地だ。

 そんなことより。


「あー……つまり」

「ええ。変化があったのは、葉月さんの方です」

「変化って……どういうことだ」

「んー、大した話じゃありませんよ? 長年ボクの剣技を見てきたおかげで、右目が速さに慣れたってところでしょう」


 こともなげに言い放つセルティリアだが。


「いや……今更そんな単純なことだけで急激に成長するものなのか、動体視力って」


 俺の言葉に、セルティリアは「まあ、そうですね」と頷いてから。


「もしや……これもまた、リラちゃんと出会ったことが良い方向に作用してるのかもしれません」

「また、あいつか」


 本当に、何者なんだろうか。

 俺にとっての、ライラックとは。

 きっと、こいつはその答えを知っているんだろう。

 それでいて、俺に教える気はないのだ。

 少なくとも、今の段階では。


「ま、細かい理屈はいいじゃないですか。今は、危機に対して備える力が身に着いたことを喜びましょう」


 何気ない調子で、肩を竦めるセルティリアだが。

 俺はその物言いに、強烈な違和感を覚えた。

 そして、その違和感を、口にする前に。


「おや、もうこんな時間ですか。これでも多忙の身で、海外出張の準備とかしないといけなかったりするので……ボクはそろそろ帰るとしますね」

「待て、まだ話は終わってないだろ」

「まあまあ。愛しのお義姉ねえちゃんがちょっと遠くに行っちゃうくらいで、そう不安がらないでくださいよ」


 制止する俺に対し、セルティリアは手のかかる子供を宥めるような調子で応じる。


「葉月さんやリラちゃんのピンチに駆けつけてあげたりとかは難しいので、用心する必要はあるかもしれませんけど……なるべく早く帰ってきますから」

「いや、それ以前に……」


 まともに取り合う気のないセルティリアに、俺がうんざりして文句を言おうとすると。


「どうしても心配なら、これを差し上げましょう」


 セルティリアから、金属製の筒のようなものを投げ渡された。

 片手で持てるサイズで、剣の柄のような太さと形状だ。


「……なんだこれ」

「最新の魔法剣ですね。まだ試作型ですが、魔力充填式なので使用者自身が魔力を有していなくても使える優れモノです」 


 要するに、魔女や魔法少女が汎用魔法を使うために持つという『ステッキ』を、常人でも扱えるように改造したもの、ってことか。

 自分で魔力を注げない分、威力は魔女のそれに及ぶことはないだろうが、それでも殺傷力を持った立派な武器だ。


「こんなもん、なんで俺が持たなきゃいけないんだよ」

「いざという時に役に立ちますから。肌身離さず、制服の下にでも忍ばせておいてください」


 一介の高校生が懐に武器を忍ばせるのは法律的に大丈夫なのか……と思ったが、こいつならその辺りを都合よく捻じ曲げて特別な許可を取り付ける程度のことはやってしまうんだろう。 


「いざという時って……こんなもんで、何に用心しろってんだ。不審者か何かか?」

「確かに葉月さんもいい加減、変なおじさんから『お菓子あげるからおいで』なんて言われて、素直について行っちゃうような年頃ではないかもしれませんけど……」


 セルティリアはそこで一拍置くと、改めて俺の目を見据えてから、続けた。


「世の中もーっと怖い人が呼んでもいないのに近寄ってきて、いきなり欲しくもない非日常を振り撒いてくる、なんてこともありますからね。特にリラちゃんはそういうのによく好かれると言うか、呼び寄せやすいタイプですし……葉月さんもパートナーとして、きちんと目を光らせててくださいね?」


 そう言うセルティリアの表情は、笑顔ではあったが。

 どこか、ただの冗談だと片付けられないような、含みのある笑みだった。


「お前……本当に、何を知ってるんだ」

「その質問にはお答えできませんねえ。勝ったら教える、って約束でしたし」


 したり顔で、セルティリアはそう答える。

 それから改めて、にこりと笑って。


「さて、と……そろそろ失礼しますね?」


 そう言って、軽やかな足取りで道場の出口へと向かうセルティリア。

 俺は遅れて、その後に続く。


「待て、だからまだ話は終わって……」

「いえ、もう終わりです。ボクが決めました」


 頑なな態度を崩さないまま、セルティリアは靴を履いた。

 がらり、と木製の引き戸を開ける。


「また折を見て経過をチェックしに来るので……最低限の節度は守りつつ、二人で仲良くしててくださいね?」


 くすくすと、吐息混じりの笑い声を響かせながら、セルティリアは道場を出ていって。

 俺が慌てて靴を履き、追い掛けようと外に出た時には。

 もうそこに、魔女の姿はなかった。


「なっ……」 


 見事な雲隠れぶりに、俺は絶句するしかない。

 これも何か、魔法を使って姿を眩ましたんだろうか。

 ……それにしても。

 思わせぶりなことばかり、散々吹き込まれはしたが。

 肝心なことは結局、何一つ聞き出せなかった。

 あのアホの言いようだと、まるで。

 俺やライラックの身に何か危機が差し迫っているみたいな風だった。

 それこそ、この剣を使う必要が出てくるような事態が。


「……まさか、な」


 非日常的な出来事においそれと巻き込まれるのなんて、物語の登場人物だけ。現実と空想の区別くらい、俺はできている。

 さっきのだって、セルティリアが俺を脅かすためのもっともらしい冗談だろう。

 似たようなことは、子供の頃から散々やられてきたし。

 しばらくその場に立ち尽くして自分に言い聞かせる俺だったが。

 それでもやはり、どうも気分が晴れなかった。

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