第11話 修業のはじまり

 セルティリアが去り、陽が完全に沈み切った後。

 何とも言えないもやもやとした余韻を抱えていた俺は、そのまま道場に残っていた。

 あのうるさいアホがいなくなった後のこの場所はひたすらに寂れていて、こぢんまりとしていて、薄暗い。

 俺みたいなぼっちが落ち着くには、ちょうどいい雰囲気の空間だ。

 そんな場所で俺は、ただ黙々と竹刀を振るっている。

 何故そんなことをしているかと言えば、気晴らしと日課を兼ねて……といったところか。

 小さい頃から、セルティリアとの鍛錬の後にやらされ続けた結果、現在ではすっかり習慣として身体に染み付いてしまったのだ。

 今日だけ、久々にセルティリアと剣を交えたから特別にというわけではなく、毎日この時間帯に素振りをしている。

 いきなり家に魔法少女が押し掛けてくるような……意味不明なレベルで突発的な出来事に振り回されたりしない限りは。

 さっきセルティリアから渡された魔力充填式の『ステッキ』とやらを試してみようかとも考えたが、あいつからの貰い物にすぐ飛びつくのは癪だ。

 別の機会にだって試し振りはできるし、今日は日課を崩さないことを優先することにした。


 ――そうして竹刀を振り続けている内に、何回になったかも数えなくなった頃。

 不意に、がらがらと引き戸を開け放つ音が道場に鳴り響いた。


「やっほー葉月はづきくん! おつかれさまー!」


 陽気な声に合わせて、ライラックが道場に乗り込んできた。

 俺は手を止めて、そちらを見る。


「ライラックか……どうした?」


 ライラックは制服から、部屋着に着替えている。

 学校から帰ってきてすぐにセルティリアの話を聞かされた後、ようやくひと段落つけたからだろう。


「そこそこ長い間やってたみたいだし、そろそろ休憩にしたらどうかなと思って」


 小走りで近寄ってきたライラックに、俺は軽く相槌を打つ。


「確かに頃合いかもしれないけどな……」

「けど……なに?」


 不思議そうに、小首を傾げるライラック。


「いや……その口ぶりだと、もしかしてずっと見てたのかと思ってな」

「見てたには見てたけど、ずっとって程でもないよ? ちょっと戸口の隙間から、せいぜい二十分くらいしか」

「二十分って……ちょっとで片付けられる程短くないだろ」

「えー、そうかな?」


 俺のツッコミに対し、ライラックは腑に落ちていなさそうな反応を示す。


「素人が棒切れ振り回してるだけの光景なんか眺めてて、何がそんなに面白いんだか」

「改めて聞かれると、簡単には説明できないけど……」


 何気なく発した俺の言葉に対し、ライラックは真面目な顔で考えてから。


「私が見てたのは……素振りしてる光景って言うよりは、葉月くんそのものだったから。全然飽きなかったのは、そのおかげかもね?」


 えへへ、と笑うライラック。


「……だとしても、同じ疑問が浮かんでくるけどな」


 俺が思うままを口にすると、ライラックはこともなげに言った。


「だって葉月くんって、見ていて面白い人だし」

「馬鹿にしてんのかお前。少なくとも俺は、鏡見てこいつ面白い顔してるなとか思ったことないぞ」

「えっと、そういう意味じゃないんだけどね?」

「じゃあ、どういう意味だよ」


 何故か楽しそうなライラックに、俺が訝しみながら問いかけると。


「うーん……どういう意味なんだろ」


 逡巡の後、難しそうな顔で他人事みたいな言い方をされた。

 俺が咎めるような眼差しを送ると、ライラックは曖昧な笑顔を浮かべてから。

 誤魔化すように咳払いして話を切り出した。


「そんなことよりも、はいこれ! あれだけ運動したんだから、ちゃんと汗拭いて、しっかり水分補給しなきゃ駄目なんだからね!」


 押し付けるような勢いで、冷えたスポーツドリンクが入ったペットボトルとタオルを手渡してくるライラック。

 ……これ以上追及したって、何にもならないか。


「……助かる」


 俺は短く礼を言って、それらを受け取る。

 壁際へと向かい、適当な位置に座る。

 すると、ライラックも一緒についてきた。

 当たり前のように隣に腰を下ろすと、また話しかけてくる。


「それにしても……けっこう雰囲気出てたよね。いつもあんな感じで竹刀を振ってるの?」

「昔から中学に上がる辺りまでは、あのアホ義姉あねから剣を教わってたからな。それ以来、惰性で続けてきて今に至るって感じだ」

「おおー、英才教育ってやつだねえ」


 ライラックは納得した様子を窺わせながら、感嘆の声を漏らす。

 あれは教育の範疇を超えている気がするが……わざわざその辺の説明をする必要はないか。

 口外しないことに決めた俺は、ペットボトルの蓋を開け、一口飲んでから話を続ける。


「……まあそんな教育、何の役にも立たなかったけどな」

「あはは……でも特技とかあるのって、良いことだと思うよ?」


 苦笑いしながらもそう言うライラックに対し、俺は首を横に振る。


「別に、腕が良いってわけでもないぞ」 

「あれ、そうなの?」

「ああ。一応師匠であるあいつの方は、何故か人間辞めてるレベルで強いが」

「やっぱり、魔法だけじゃないんだ……流石はお義姉ねえさまだね!」


 俺の話を聞いたライラックは、息を弾ませ頬を上気させて、何やら嬉しそうだ。

 セルティリア本人と接していた時から薄々感じてはいたが、この反応からしてもライラックはあいつのことをかなり慕い、尊敬しているらしい。

 俺にとっては面倒で胡散臭い存在でしかないあいつでも、世間的には偉大な魔女として認知されているのだ。

 魔女の卵であるライラックが憧れのような感情を抱くのは、自然なのかもしれない。

 が、実際にあいつの人となりを知った上でも評価を改めないのは、目が眩んでいるような気もする。

 などと下らないことを考えながら、俺がタオルで額の汗を拭っていると。

 いったい何のつもりなのか、ライラックがおもむろに身を寄せてきた。


「ところで葉月くん。私が道場の方に来たのは、もうすぐ夕飯ができるよって知らせるためだったんだけど……」

「あー……言われてみれば、もうそんな時間か」


 相槌を打つ俺。

 対するライラックは、殆ど密着するような距離感で、続けた。


「運動した後でお腹空いてるだろうし、この後すぐ食べるよね? あ、それを言うなら汗掻いただろうし、お風呂が先かな?」

「あ、ああ。そうかもな……?」


 俺は思わず顔を背けながら、歯切れの悪い声を漏らす。

 ライラックが道場に来てからずっと気づいてはいたものの、あえて意識しないようにしていたが。

 ……やはり、この格好は目に毒だ。

 ちょっとばかり、肌色が露出している面積が広すぎやしないだろうか。

 いくら部屋着だからって、肩とか脚とか、少しくらいは隠してほしい。

 そんなことを思いながら、恐る恐る視線を戻してみると。

 ライラックは狙い通りとばかりに小さく笑ってから、上目遣いでじっとこちらを見つめてきた。


「それともー……私にしちゃう?」


 などと、相変わらずとんでもないことを抜かすライラック。

 その破壊力に、俺は一瞬だけ、心を揺れ動かされそうになるが。

 言い終えると同時に耐え切れなくなったのか、照れくさそうに頬を紅潮させ始めたライラックを見て。


「……アホか」 


 そのちぐはぐさを前に、冷静さを取り戻した。

 軽くデコピンをお見舞いしておくことにする。


「あいたっ……!? 葉月くんってば、素直じゃないなあもう。私がさっそく思いついた親密度上げの秘策を、あっさり無碍にするなんて」


 デコピンされた額を擦りながら、非難めいた口調で真意を明かすライラック。

 どうやらさっきセルティリアから受けた花嫁修業に関する説明が、奇行の原因らしい。

 いきなり実践してみようと思い立つその行動力についてだけは、俺も多少は見習うべき部分もあるのかもしれないが、そもそもの話。


「……秘策とやらを相手に直接ネタばらししたら、元も子もないだろ」


 小さくそう呟いた俺の声は、至近距離でありながらライラックには届かなかったようだ。

 ライラックは得意げな顔で、策を自白し続ける。


「ちなみに私が葉月くんを労ってあげたのも、実はその一環だったりするんだけど……どうだったかな? あまりの甲斐甲斐しさに、私に対する想いが今にもはち切れそうだったりとか?」

「むしろ打算尽くめの労いのおかげで、余計な心労が溜まりそうだ」

「むぅ……それなら夕飯も余計ってことで、いらないよね?」

「あー……それはいる」

「ふふん、素直でよろしいっ」


 勝ち誇るライラックを見て、俺はため息を吐いた。

 ……なんだかんだで、あっさりと胃袋を掴まれてしまっている。

 順調にライラックの術中に嵌まっている気がする自分が情けない。


 それにしても。

 やはり、今後もこういうことを仕掛けてくるつもりなんだろうか、ライラックは。

 そんな相手と一つ屋根の下で暮らしていくとか、精神が持たなさそうだと先を思いやる俺ではあったが。

 何はともあれこの日から。

 魔法少女であるライラックと、何の因果かそのパートナーに選ばれてしまった俺による花嫁修業が、本格的に始動した。

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