第9話 義理の姉は胡散臭い

 魔女同盟は、ざっくり言うと胡散臭い組織だ。

 一応表向きには、魔法を用いて犯罪に手を染める者に対し、実力行使での取り締まり――即ち悪い魔女を倒す正義の味方の役割を担っているとされる。

 また、新たに魔法少女として能力を発現した子供への指導や、花嫁修業プログラムの管理及び進行といった育成も行っている。

 とまあ、これだけなら聞こえは良いが……一方で、国内にいる魔女や魔法少女に対し個人情報や保有する能力などを洗いざらい登録することを義務づけていたりして胡散臭い。

 見返りとして魔女同盟に登録していればそれだけで結構な額の手当を貰えたり、魔法を生かせるような職業を斡旋して貰えたりするらしい。

 が、世の中そう美味しいだけの話はない。

 実際は餌で釣り上げて囲い込み、軍事的に価値の高い魔女たちを一極管理しようなんて思惑が見え隠れしていて胡散臭い。

 また、そうして魔女たちにばら撒いている手当の資金源や上記以外の活動内容など、実態の大部分について不明瞭な部分が多い。

そのことから、裏では秘密結社のようにいかがわしい秘術の研究に邁進している……なんて都市伝説まであって胡散臭い。

 で、その何をしているのか今一つ分からなくてとにかく胡散臭い組織の中心的存在。七人の理事の内一人が、まさに俺の義姉あねなのだ。


 セルティリア・K・ローゼンクロイツ。

 名前から分かる通り元々は日本人ではないが、何故か現在は日本に籍を置いている。称号は「超越の魔女」。

 ヴィランズとの戦いにおいては「聖域の魔法少女」にも劣らぬ活躍を見せたことから、英雄の一人として今や魔女の中でも最も名の知られた存在だ。

 その名は、小学校の教科書にまで載っている。魔女と言えばこの人、なんて代名詞的存在として扱う連中までおり、最強の魔女は誰かなんて議論の際には真っ先に名前が挙がる。

 ついでに言うと、多忙な身の上らしく滅多に家に帰って来ない。




 小さな山の石段を上った先にある我が家に俺とライラックが帰宅すると、セルティリアがリビングで待ち構えていた。


「やや、お帰りなさいお二人さん。しかし、かく言うボクもこの家には久々に帰ってきたわけですから……ここはただいまと言うのが正しいでしょうか?」


 テレビ前に置かれたソファに座り、アイスを食べながら悠然とくつろぐセルティリア。

 空いている方の手を、ひらひらと振ってくる。


「……んなもんどっちでもいいっての」


 俺が適当にあしらうのとは対称的に、ライラックは嬉しさを前面に押し出した笑顔で駆け寄っていく。


「やっほー、お師匠様! あ、もうお義姉ねえさまって呼んだ方が良いかな!?」

「やっほーです、リラちゃん。それにしてもお義姉さまですか……悪くない響きですねえ。葉月はづきさんがそういう風に呼んでくれなくなった今となっては尚更です」

「見た感じ葉月くんって、今はお義姉さまに素っ気ない態度取ってるけど……むしろちっちゃい頃は甘えん坊だったり?」

「ええ、そうなんですよー。あの頃はかわいかったんですけどねえ……そうだ、良かったら葉月さんの昔の写真とか見ます?」

「おおっ! 見たい見たい!」


 ぺちんと緩くハイタッチを交わしながら、和気藹々と俺にとって都合の悪い話題で盛り上がる魔女と魔法少女。

 アルバムについては、少し前に元あった保管場所から別の場所に移した記憶があるので問題ないだろう。

 それにしてもやはり、この二人はどこか似ている。

 テンションとか性格だけではなく、外見までも……と思いながら、俺は改めてセルティリアに目を向ける。


 プラチナブロンドの長髪に、中身はともかくとして雰囲気だけは優しげで穏やかそうな顔立ちは、ぱっと見二十代半ば程だけど。

 俺がこの女の義弟になった十年前から何故か外見に一切変化がない辺り、実年齢は不詳だ。

 絵に描いたようなモデル体型を包むのは、へそ出しの薄いシャツにデニム地のショートパンツ。

 更にその上から、如何にも魔女っぽい漆黒のローブを羽織っている。

 ぶっちゃけアホ丸出しなその服装は、他の魔女や魔法少女と違って変身の類ではないらしい。

 魔法も他者とは違う仕組みで行使しているらしいが、詳細は俺にはよく分からない。

 何にせよ、セルティリアはただでさえ特別な存在である魔女の中でも、より異質なのだ。

 そして、実績能力容姿のどれを取っても非の打ち所がなく、性格以外はほぼ完璧な人物と言って差し支えない。

 義理の姉弟なので血の繋がりがないとは言え、誰も俺と所縁のある人物だとは思わないだろう。

 俺自身、曲がりなりにも家族だとは認識しているが……あまり帰って来ないことも相まって、別世界の住人なのではないかと錯覚してしまう時がある。

 そんな感慨に浸っていた中ふと、俺はセルティリアが美味しそうに食べていた棒付きのアイスに目を留めた。


「……って、それ俺が買い置きしといた一個三百円くらいするやつじゃねーか」

「あはは、硬いこと言わないでくださいよ。どうせ葉月さんの生活費はボクが出してるわけですし、葉月さんの物はボクの物ってことで」


 セルティリアはソファから投げ出した両足を交互にぱたぱたと上下させながら、ふざけた理論を振りかざす。

 横暴ではあるがしかし、一理あるのもまた事実だ。

 俺が不本意ながら引き下がると、セルティリアはこれ見よがしにアイスを頬張りながらにこやかに笑い掛けてきた。


「まあとりあえず座ってください。先程もお話しした通り、花嫁修業に関してボクから伝えておくべきことがありますから」


 俺とライラックにそう言って、セルティリアは自分の両隣に座るよう勧めてくる。

 躊躇うことなく右隣に腰を下ろし、軽く跳ねてソファの柔らかな感触を楽しむライラックに対し、俺は俺で一切の迷いなく食卓の方に向かい、木製の硬くて冷たい椅子に座った。 

 セルティリアは自身の勧めをにべもなく突っぱねた俺を、どういうわけかほっこりとした表情で見つめてくる。


「まったく葉月さんはツンデレさんですねえ」

「お前は相変わらず頭の螺子が外れてるな」

「そう言う葉月さんこそ……こんなにかわいい女の子と一つ屋根の下で暮らせるからって、羽目を外し過ぎないでくださいねー?」


 セルティリアはからかうような口調で言いながら、見るからにさらさらとした銀髪が映えるライラックの頭を、丁寧な手つきで撫で回す。

 と、ライラックは満更でもなさそうに目を細めた。

 その仲睦まじさに、この二人の方が余程姉妹っぽいな、と感想を覚えつつ俺は話を促す。


「……何でもいいから、話があるならさっさとしろ」 

「もう、せっかちな男の人は嫌われますよー」

「……」 


 俺は何も言わず、わざとらしくため息を吐く。

 セルティリアは苦笑混じりに一つ咳払いをしてから、ようやく本題に入った。


「こほん。魔法少女が魔女になるためには、選ばれた同年代の男子をパートナーにして精神的及び身体的な接触を行い、心身ともに成長を遂げる必要がある……これは分かってますよね?」

「うん、要は葉月くんと仲良くなって……あんなことやこんなことに勤しんじゃえばいいんだよね?」


 仄かに頬を赤く染めるライラックだが、恥ずかしいならわざわざそんな言い回ししなければいいのにと思う。


「大雑把に言えばそうですね。ただちょっと補足をさせてもらうと……魔法少女とそのパートナーは、ABCと三つあるステップを段階的にクリアしていく必要があります」

「ABCって……」


 セルティリアがライラックへと語ったその言葉を、俺は若干頬を引き攣らせながら反芻する。

 ひと昔前、色恋沙汰の進展具合についてそんな言い回しを用いたとか聞いたことがあるが……まさか。


「恐らくは葉月さんの想像した通り、ひと昔前に使われていたスラングと同じ意味です。AがキスでBがペッティング、Cが……」

「いや、ちょっと待てよ」


 セルティリアが何食わぬ顔ですらすらと続けようとしたところで、俺は堪らず待ったをかける。

 と、セルティリアは底意地悪く口元を吊り上げながら、ちょうど食べ終えたアイスの棒でこっちをぴしっと真っすぐ指してきた。


「葉月さんは照れてるみたいですけどー、どの道ゴールはそこにあるんですから……男の子として、しっかりリラちゃんをリードしてあげなきゃ駄目ですよ?」

「……それよりも、だ。何だよそのABCって古めかしい言い回しは。最早死語だろ」


 核心から目を背けようと、あからさまに話題転換する俺。

 ライラックがやけにがっかりしたような棘のある視線を送ってきたが、気にしないでおく。

 一方のセルティリアは、どうも癪に障る生暖かな目で俺とライラックを交互に眺めてから、問いに答えた。


「そうした呼称になったのは、プログラムを制定した魔女同盟のお偉方が、ちょうど花嫁修業とか恋愛のABCとかのワードが全盛期だった頃の世代だったから……というのが大きいですねー」

「あー……そのお偉方ってのは魔女同盟の理事であり、年齢不詳なお前も含めてか?」 


 俺が問いかけると、答えの代わりにアイスの棒が矢のように飛んできて、耳元を掠めていった。

 外れたから良かったが、剥き出しの右目にでも直撃していたら惨事になっていただろう。見え透いた地雷を踏み抜きに行った俺にも非があるとは言え、もうちょっと手加減して欲しい。

 俺が内心戦々恐々としていると、空気の読めないライラックが、あろうことか更に質問を重ねようとした。


「あ、私もお義姉さまの本当の年齢って気に……」

「ボクは永遠の二十歳ですよ?」

「……ならないかな、お義姉さまは永遠の二十歳以外の何者でもないからね!」


 セルティリアから恐ろしく力の込められた笑顔と言葉で威圧されて、途中で発言を軌道修正するライラック。

 意地でも実年齢に関する質問は受け付けていないらしいが、隠されたら余計気になるのが人の性。

 俺が怖いもの見たさも似た感情に駆られている中、澄ました顔で自慢の金髪を靡かせるセルティリア。

 小さく身震いしていたライラックが、それに倣うように居住まいを正して畏まるのを確認してから、話を再開した。


「さっきABCを段階的にって言いましたけど……16歳になった魔法少女の能力の強さや魔力の保有量も、段階的に成長していくんです。魔法少女として能力が芽生えた時が初期段階、それからABCの達成に合わせて第一第二と徐々に成長していき、Cを終えたら完全覚醒。つまりは魔女ってわけですねー」


 セルティリアは主に、花嫁修業の主役であるライラックに向けて伝え聞かせていく。

 この様子だと、ライラックも当事者でありながら詳細までは事前に知らされていなかったようだ。


「しかし、ただやることやっちゃえば良いって訳じゃありません。それなら、わざわざ花嫁修業なんて名前付けてプログラムを組んだりしませんからね。ABCは大事ですし必要ですが、あれはあくまで儀式的なもの……何より肝心なのは、パートナーとの心の距離を縮めることなんです」

「なるほど……だからこうして葉月くんと一つ屋根の下で生活して、仲良くなる機会を設けようってことだね」


 セルティリアの説明に納得したのか、ライラックはすっきりとした表情で両手を打ち鳴らすと。


「ところで……恋とキスで力が目覚めるとか、何かのキーになるなんてのはフィクションじゃよくある話ですけど……その先も要求されるっていうのは、思春期の男女には刺激が強すぎると思うんですよねー。お二人はその辺、どうお考えなんですかー?」


 とぼけた顔で、セルティリアが突拍子もないことを言い出した。


「へっ!? あのあの、えっと……」


 大胆な言動が目立つが根っこの部分では人並みの恥じらいを備えているらしいライラックは、不意打ち気味な問いかけに慌てふためく。

 きょろきょろと視線を彷徨わせたかと思ったら、俺と目が合ったところで助け船を求めるような色を瞳に滲ませた。


「いや、俺に振られても困るんだが……」


 心なしか面映ゆさを感じながら、俺は目を逸らして頬を掻く。

 と、セルティリアの方から「やーい、葉月さんのへたれー」とか野次が飛んできた。

 非常に腹立たしい。

 少ししてひとしきり楽しんだのか、セルティリアはその場の浮ついた空気を払拭するように勢いよく立ち上がった。


「結局のところ、魔法少女とそのパートナーは段階的に心の距離を縮めていき、その進展度合いに応じて事を致すって話なんですが……すると当然浮かんでくる疑問がありますよね? はいっ、リラちゃん!」

「えっ、うーん……と」


 いきなりやり手の予備校教師みたいなノリになったセルティリアから名指しされ、振り回されながらも思案するライラック。


「……心の距離を縮めていき、その進展度合いに応じてってお義姉さまって言うけどさ。そんなの、正確に確認する方法なんてないよね? じゃあどうやって頃合いを見計らえばいいのか分からないなあ、とは思ったかも」 

「それについては考えるな感じろ、です。お互いの気持ちくらい、感じ取れて当然……」

「そ、そうなの?」


 上擦った声で狼狽えるライラックを前に、セルティリアは満足のいく反応が見れたとばかりに笑いながら、言葉を紡ぐ。


「……と言うのは冗談です」

「あ、冗談なんだ」


 何故か安堵するように、ライラックはほっと息を吐く。

 セルティリアはごそごそと懐をまさぐり始めると。

 デジタル表示のパネルにベルトが付いた、スポーツタイプの腕時計に似た小型のデバイスを二つ取り出した。

 瓜二つな外観をしたそれらの内一つを隣のライラックに手渡し、次いで少し離れて座る俺にもう一つを投げて寄越す。


「意中の相手と今どれくらい心が通じ合ってるのか知りたい……けどそんなの分かるわけないよね……なんていかにも思春期らしい甘酸っぱいお悩みを抱えるお二人へ、魔女同盟から特別にお送りしたいのがこちらです。まずはそのデバイスを左手首に装着してください」


 セルティリアは芝居がかった口調を交えながら指示してきた。

 反射的にキャッチしてしまったが、大丈夫だろうかこれ。

 昔からこの義姉は俺に変な玩具を与えてはからかってきたことだし、これもその類の可能性があるのでは……。

 謎のデバイスに対し、警戒を強める俺。

 そんな中ライラックは、言われるがままデバイスのベルトを自身の左手首に巻き付けていた。


「時計……ってわけじゃないのかな、パネルに何も表示されてないし」


 と、デバイスからぴぴぴっと電子音が鳴った。


「わっ、何か表示されたよ……ってエラー?」

「それは二つで一対になるデバイスですからねー、弟君がもう一方を装着しないと正常に機能しません」


 セルティリアの発言とともに、ソファに座る二人から視線で催促された。

 ……どうやら拒否権は無いようだ。

 多少の胡散臭さを感じながらも、俺は指示通りデバイスを左の手首に装着した。

 するとライラックの時と同じように、電子音が鳴った。

 直後、パネルに数字が表示される。


「55……? 今の時刻じゃないってのは明らかだが、なんだこれ」

「葉月さんとリラちゃんの親密度を可視化したものですねー。それを装着した一組の男女がどれくらい仲良くなったかを正確に測定し、数値で確認できちゃう優れものです」

「へー、ちなみに55って高いのかな? それとも低かったり?」

「まあ出会って一日にしてはかなり上出来ってところでしょうか。きっと相性がいいんですよ、お二人は」

「そうなんだ、やったね葉月くん!」


 乗り気にさせるためのお世辞っぽく聞こえるセルティリアの言葉を素直に受け取って、俺の方に笑いかけてくるライラック。

 やったねとは一体……まあどうせ、深い意味はないんだろうけど。

 下校中の会話が尾を引いているせいか、俺が軽く悶々とした気分になっていると、セルティリアが話を再開した。


「それでその親密度が100、200、300と一定ラインに到達し、関係が深まっていくごとに、先程言ったABCを順々に実践していくわけです」


 その仕組みを聞いて、やっぱりこのアホ義姉が家中に配置している類のゲームに似た節があるよなあ……と俺が再認識していると。


「……今、葉月さんがいつもプレイしているえっちなゲームっぽいな、とか連想しませんでした?」


 セルティリアに図星を突かれた。

 無論、いつもプレイしている以外の部分についての話だが、ともあれ俺は肩を跳ね上げそうになるのをどうにか抑えて、気取られていないか探ろうとすると。

 ほくそ笑むセルティリアの隣に、いかにも図星を突かれてびっくりしていますよといった感じの顔をしたライラックの姿が見えた。


「ったく大概にしとけっての……」 


 まさに悪戯好きの魔女によって掌の上で踊らされると表現するのがぴったりな感覚に襲われた俺。

 小さく愚痴を零してから、脱力してテーブルに半身を投げ出す。

 そうしている間にも、セルティリアがライラックをからかっていた。

 やがてあまりの振り回されっぷりに憤りを感じたらしいライラックが拗ね出したが、頭を撫でられるとすぐに気を取り直した。

 どうやらその辺の扱いは手慣れている様子だ。


「ところでお義姉さま……具体的にどうしたら、この数値が上がるの?」

「そうですねー……まずはずばり、お互いをよく知るべし! ……ってところでしょうか」

「お互いをよく知る……こと恋愛においては当たり前と言えば当たり前で、なおかつ漠然とした感じのお題だね?」


 想像していたのとは違う方向性の答えだったからか、ライラックは小難しそうな顔をする。


「もっとなんて言うか……ぱーっと一気に親密度が上がっちゃうイベントとかはないのかな!」


 言いながら、期待の眼差しを輝かせてにじり寄るライラックに、セルティリアは少し身を引きつつ、額に優しくチョップを放ってたしなめた。


「これはゲームじゃないんですから、そんな都合の良い方法はありませんよリラちゃん。近道や裏技があるんだったら、わざわざ修業なんて銘打たないですからねー。焦らずじっくり行くべし、ですよ」


 セルティリアが今更になって初めて師匠っぽいことを言うと、一応弟子であるらしいライラックが「おお……」と感嘆の声を漏らした。


「ともあれ差し当たっての目標はこの親密度を100にすることですから、葉月さんと一緒に頑張ってくださいね?」

「うん!」


 やる気たっぷりに、ライラックが返事する。 

 と、セルティリアは言うべきことはひと通り話し終えたのか、くたびれた様子で両手を天井に向けて突き上げ、ぐぐっと伸びをした。


「ふー……あ、そうだリラちゃん。ボクのために、何かおやつと飲み物を用意してください。葉月さんとお近づきになりたいと言うのなら、今の内から将来の小姑であるボクに尽して外堀を埋めておくと効果的ですよー」

「なるほど……じゃあ早速準備してくるね!」


 体よくパシリに使われている自覚のないらしいライラックはすかさず立ち上がり、軽やかな足取りでキッチンへと向かった。

 と言うか、小姑って。

 俺の預かり知らぬところで話が勝手に進んでいくことにちょっとした眩暈を覚えながら、セルティリアにひと言物申してやろうと意気込んでいると。

 そのセルティリアから、ちょいちょいと右手で手招きされた。

 左手の方は、人差し指が口元に当てられている。


「あ……?」


 黙ってこっちに来い、という意味なんだろうけど……一体何のつもりだ。

 俺が不審がっている間にも、セルティリアは座っていたソファを離れ、リビングの窓辺に隣接するサンルームへと赴く。

 そして振り返り、再度手招き。

 どうやら、ライラックには内密で話したいことがあるらしい。

 俺はライラックがこちらに背を向けていることを一応確認してから、重い腰を上げてサンルームに移動した。

 夏は煉獄で冬は極寒みたいな空間なので、自宅の中でありながら日頃はあまり立ち寄らないが……五月半ば過ぎのこの季節、おまけに夕方ともなればまだ快適に過ごせる温度だ。


「……で、何の用だ?」


 リビングとの仕切りである掃き出し窓を、念のためライラックに気取られないよう静かに閉めながら、俺は淡泊に問う。


「やや……葉月さんが現状に何も不満を言わないことについて、今の心境を聞いてみたいなー、と思いまして」

「現状、って……」

「ほらー。基本誰とでも距離を置いて孤立したがる葉月さんが、リラちゃんに押し掛けられた挙句花嫁修業のパートナーに選ばれた……なんていかにも嫌がりそうなことを告げられたのに、未だに文句の一つ無いじゃないですかー」


 意味ありげな微笑を向けてくるセルティリアを前に、俺は何とも言い難い感情を抱く。

 不快感に似ているが、微妙に異なる。

 きっと、このやたら他人をからかいたがるアホな義姉の発言が、いつもより心なしか真面目な声色だったからだろう。

 普段と違い、俺の反応を見て面白がる以外の趣旨があると理解出来るからこそ、癪ではあるが他の感情も織り交ざっているとでも言えばいいのか。

 俺がすっかり黙り込んでいると、セルティリアはにへらと表情を崩した。


「ボクとしてはもしかしたら、パートナーの役目から下ろしてくれとか要求されるかな……とさえ身構えていたんですが。いざ蓋を開けてみれば葉月さんがリラちゃんと前向きにコミュニケーションを取ろうとしてくれてるみたいで、嬉しい限りですよー」

「別に、そういうのじゃないっての」

「じゃあ、どういうのですか?」

「あいつと……ライラックと初めて顔を合わせた時、光ったんだよ。今まで生きてきてずっと、ただの節穴でしかなかった俺の左目が」


 見てくれだけは何か力を秘めた魔眼っぽいが、実際にはただの変な模様でしかないそれに、俺は眼帯の上から触れる。


「へえ」


 セルティリアは何やら思わせぶりに目を細めながら、相槌を打つ。


「じゃあ葉月さんは、自分の左目について何か分かることがあるかもしれないから、その何かを探るため、リラちゃんと一緒にいる状況を甘んじて受け入れてる……って感じなわけですか」

「……ああ、大体そんなところだ」 

「ふむふむ……でも本当にそれだけですか?」

「他に何かあるとでも?」

「単にあんなかわいい女の子と、一つ屋根の下で愛を育めるってだけでも美味しい話ですからねえ。魔女の約八割弱が花嫁修業の相手とそのまま結婚しているなんてデータもありますし……案外、満更でもなかったりして」


 義弟が割と真剣に悩んでいるというのに、いつものように茶化してくるセルティリア。

 しかしもしかしたら、あながち的外れではないのかも……なんて考えが俺の脳裏に浮かぶ。

 が、すぐに自分の毒されっぷりに辟易した。

 やはり下校時にライラックから掛けられた言葉が影響しているのだろうか。

 だとしたら、俺の精神構造は実に単純だ。

 自分のことながらに呆れていると、セルティリアがおもむろにサンルームから外に出た。

 空を見上げると、もう殆ど陽が沈みかけている。


「まあお互いを知るべし、という課題は、相手だけでなく自分自身を理解することも意味しますから。今回の花嫁修業の件を健気にこなしていくのは、きっと価値あることですよ……甘酸っぱい青春の只中で、変化を求めながら彷徨ったりしてるかわいい弟くん?」


 体半分だけ振り向いて、セルティリアは薄暮の中で不敵に笑う。

 俺はその笑顔の中に、理由はさっぱり分からないが、と言うか見間違いとすら思えたが……寂寥のような色を感じ取った。


「お前、何か知ってるのか?」

「何かって、何についてです?」

「とぼけるなよ。俺の左目とライラックとの関係性についてだ」

「関係性、ですか……そうですねー、ちっちゃい頃みたいにお義姉ちゃんに素直に甘えてくれたら答えてあげなくもないですよ? 知ってるか、知ってないかについても含めて」


 セルティリアからそんな条件を提示されて、俺は言い淀む。

 ……背に腹は代えられないと言え、いくらなんでもこの年でこいつに甘えるとかだけは勘弁願いたい。

 いや、それでも。

 だが流石に。

 若干迷いながらも行動に移せずにいると、セルティリアはそれすらも予測済みとばかりにまた笑った。


「では代わりと言ってはなんですが……久しぶりにあれ、やりましょうか」

「あれ……って、まさかお前」

「はい、そのまさかです」


 セルティリアは首肯すると、おもむろに虚空に手を伸ばして。

 魔法でも使ったのか――次の瞬間には、その手に竹刀が握られていた。


「剣で勝負して、勝ったら何でも教えてあげましょう」


 ふふん、と偉そうな顔を作りながら、セルティリアは切っ先をこちらに突き付けてきた。

 俺はその顔と、竹刀を前にして。

 幼少期のトラウマを思い出しつつ。

 自分が逃れられないことを悟るのだった。

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