第3話 朝ごはんと制服と世界情勢

 午前七時を回った辺りで、異変を察知したライラックが鍵をこじ開け、再び起こしに来た。

 俺は仕方なく制服に着替えて、一階のリビングに向かう。

 と、ひと足先に部屋を出ていたライラックが、オープン型のキッチンの方で料理をしていた。 


「あ、やっと来たね葉月くん! せっかく私が起こしてあげたのに、追い出した挙句二度寝とか、まったくもう!」

「悪かった悪かった」


 昨晩も夕食を振る舞ってくれたが、もしかしてこれから毎日台所に立つつもりなんだろうか……なんて考えながら、俺は適当に手を振って答える。


「明日からは気をつけてね?」

「善処はする」


 包丁を握るライラックの姿は様にはなっているが、服装は未だに魔法少女の変身衣装のままなのでどうも締まらないな……と流し見ながら、俺は素知らぬ顔でキッチン前を通り過ぎる。

 と、ライラックから抗議の声が飛んできた。


「あ、葉月くん全然反省してないでしょ!」

「そう言うライラックこそ、あの起こし方について自省すべきだろ」

「なっ。それは、えっと……っ」


 動揺の色が濃くなるライラックの声に、俺は勝利を確信する。


「じゃなくて、それとこれとは話が別なの!」


 が、ライラックはすぐに落ち着きを取り戻すと、またお小言を口にし始めた。 

 すると時を同じくして、別の音声が聞こえてくる。

 逃げ道を求めるように音のした方を見ると、電源がオンになったテレビが。

 時間に余裕のない普段は視る機会のない、朝のニュース番組が垂れ流されている。

 ちょうどいいので意識をそっちに向けながら、俺は食卓に着く。

 ニュースでは、近々終戦から十周年を迎えるに当たって、記念と追悼の意味を込めた式典が開かれる予定だ……なんて話題が取り上げられていた。


「終戦、か……」


 そう。

 つい十年前まで、人類はヴィランズと呼ばれる化け物に世界規模で攻撃を受け、その脅威に晒されていたのだ。

 ヴィランズとの闘争は実に十五年にも渡り、その間に被害が広がり続けた結果。

 世界の総人口は現在、最盛期の半数程まで減少している。

 戦いが長期化した最大の要因は、従来の兵器が一切通用しなかったことにあるとされている。

 銃弾も刃物も爆撃も核も毒も、ヴィランズの前では無力だった。

 また、ヴィランズが肉体が魔力によって構成された生命体なのかも怪しい存在だったから、というのもある。

 奴らはどこからともなく、自然発生的に湧いて出てきては行く先々にあるもの全てを破壊の限りを尽くす、前触れのない天災のような存在だったのだ。

 どこから来るか分からない上に、通常の戦力では後手に回って対応することすら不可能。

 おかげで人類はしばらくの間、成す術も無く蹂躙され続けた。

 そんな絶望的状況の中現れたのが、魔女や魔法少女と呼ばれる存在だ。

 彼女たちは、奇跡の担い手として昔からこの世界にいたのだとか、ヴィランズに対抗するためにある種の覚醒ないし進化を遂げた新たな人類だとかされているが……その出自はともかくとして。

 それまで物語の中の産物でしかなかった力。

 つまりは魔法の使い手である彼女たちは、ヴィランズに対して有効打を与えられるだけの力を持っていた。

 世界中の魔女と魔法少女が結託し、各国もまたその支援のために協力体制を築き上げていったおかげで、戦況は好転。

 ついには聖域の魔法少女と呼ばれる特別な魔法の使い手により、ヴィランズを無力化。

 一挙に駆逐することに成功し、世界には平穏が訪れた。


「まさに束の間の平穏、って感じだったっぽいけどな……」

「ん、世界情勢か何かの話? 葉月くん、学生なのにそういうのにも興味あるなんて感心だねえ」


 独り言のつもりだったが、思ったより声が響いていたらしい。

 未だキッチンで朝食の準備をしているライラックが話に乗っかってきたので、俺はそれに付き合うことにした。


「その言い草、なんか年寄りっぽいぞ」

「むー……でも、実際無視出来ない感じになってるのは確かだよね?」

「まあ、それもそうだな。ニュースでもちょうど、そんな感じの話題だし」


 見ればニュースの内容は、海を渡った大陸側の諸国では、一触即発の緊張状態で戦争も間近かも……なんて物騒なものに移り変わっている。

 その映像を前に、ライラックは表情を曇らせた。


「戦後の復興だってやっと軌道に乗ってきたところだって言うのに、今度は昔みたいに国同士、人間同士でいがみ合っちゃって……どうしてヴィランズと戦ってた時みたいに協力出来ないのかなあ」

「そりゃあヴィランズって共通の敵を倒したおかげで、協力する理由もなくなったからだろうな。それと、終わってみたら被害の規模が国によって様々だったのが、不和を生んだってのもあるか」


 俺が学校の授業で聞き齧った程度の知識で答えると、ライラックは悩ましげに唸った。


「うーん、理屈はなんとなく分かるんだけど……」

「ライラックが時事的な話題を気にするとか意外……でもないか」

「まあ、魔法少女の私としては割と死活問題だからね」


 ライラックは心なしか、寂しげに笑う。

 世界全体で、危なっかしい気配が蔓延している現在。

 魔女や魔法少女は強大な武力を持つ存在として軍事面で評価されるようになり、各国の重要戦力として数えられるまでに至っている。

 かつて怪物を退治して世界を救った正義のヒロインたちは、新たに兵器としての役割を求められるようになったのだ。

 有事の際には、真っ先に矢面に立たされることになる。

 その引き換えとして色々と特権を与えられ、社会的な地位を確立していたり、世間の人々にとっては敬愛の対象であることが、せめてもの救いか。

 しかし、ライラックが花嫁修業なんて特殊過ぎる訓練を積み、魔女となった果てにあるのがそんな未来だと考えたら。

 パートナーに選ばれてしまった俺としてはちょっとばかり複雑な気分だ。

 そんな風に、俺が感傷に浸っていると。


 沈んだ空気を強引にでも払拭するかのように、ライラックが明るく鼻歌を歌いながら朝食を持ってきた。

 両手に載せた皿をテーブルに並べ、俺の向かいに座る。


「よいしょ。それじゃあ……いただきます!」

「いただきます、っと」


 ライラックの陽気な声に合わせ、俺も小さく唱和する。

 メニューはパンケーキにベーコンエッグ、野菜が少々。

 有り合わせだしシンプルだが、見栄えはレストランで出されるものに引けを取らない。

 特にパンケーキの焼き目とか、どうやったらこんなに綺麗になるんだろう。

 ともあれ俺はフォークを手に取って、まずは一口。


「どうかな……美味しい?」


 ややテーブルに身を乗り出しながら、尋ねてくるライラック。


「ああ、美味いぞ」


 俺は素直に感想を口にする。


「そっか、それは何よりだね! まずは胃袋を掴むのは定石だし……ってなんだかこのやり取り、ちょっと新婚さんみたいかも?」 


 ライラックはさらりとそんなことを宣いながら。

 えへへ、と笑顔を振り撒いてきた。

 その破壊力に堪え切れなかった俺は……ついむせ返った。

 ……なんだろう、流石は美少女だと再認識させられた気分だ。

 今の台詞と笑顔には、エロゲーの真似をした時のちょっと無理している感や、冗談半分で露骨な感じが伝わってこなかった。

 芝居っ気のない、言わば自然体の姿。素のライラックが窺えたからこそ、魅力的に感じたとでも表現したらいいんだろうか。

 要するに俺は、女の子の笑顔を前にして、柄にもなく胸を高鳴らせていた。


「葉月くん?」


 名前を呼ばれて、俺は我に返る。

 ライラックが食事をする手を止めて、不思議そうに俺の方を見つめていた。

 ……勘付かれたら、厄介そうだ。

 俺はこれ以上何か聞かれる前に、先んじて問いを投げかける。


「そういや、今日から俺と同じ高校に通うって話だったが……転校の手続きとかで早く登校する必要があったりは……」

「そういうのは事前に済ませてあるから、葉月くんと一緒に行くつもりだよ?」


 それとなく別行動を取る方向に誘導するつもりだった俺の目論見は、早々に潰された。

 ライラックは俺の意図など知る由もなく、無邪気に続ける。


「ちなみに一緒のクラスで、席も隣になるように計らってもらったから!」

「……いやいや、無茶苦茶過ぎるだろ」

「魔法少女が魔女になるっていうのは、この国にとっても多少の無茶を通しちゃうくらいには重要……ってことなんじゃないかな?」

「確かに、魔女の育成にけっこうな額の税金が使われてるって話は有名だが……」


 それにしたって、しょうもない部分にまで手を回す必要はないと思うんだけど。


「うん。だから花嫁修業のために色々バックアップしてくれるみたいだし……制服だって用意してもらったんだよ、ほらっ」


 そう言ってライラックが立ち上がると、身に纏う衣装から輝きが放たれる。

 直後。

 その輝きが収まった時には、ライラックの格好は一変していた。

 紺のブレザーに、やや丈の短いチェック柄のプリーツスカート。俺の通う高校の、女子の制服だ。

 魔力によって編まれた魔女や魔法少女の変身衣装は、本来なら戦闘時に着用する防護服のような代物であり、自在に着脱が可能と聞く。

よって今の現象は、変身を解除した……ってことなんだろう。

 俺がそんな風に見当をつけていると、ライラックが全身を見せびらかすようにその場で一回転した。

 ふわりとスカートが舞って、虚空に輪を描く。


「似合ってる……かな?」


 ぶっちゃけかなり似合っていると思うが、認めるのはなんだか負けた気がする。


「……ノーコメントで」


 結局その場はお茶を濁すに留め、俺は朝食を掻き込んだ。

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