第2話 魔法少女とはじめての朝

 寝間着越しに肌へと伝わってくる密着感によって、眠っていた俺は目を覚ました。

 温もりがあるおかげで不快さはなく、むしろ心地良いが……いったい何事だろう。

 寝ぼけた頭でふと興味を抱いた俺が、その温もりの正体を探るために右目をゆっくり開けてみると。

 吐息がかかるくらいの至近距離から、こちらをじーっと覗き込むように見つめるライラックの顔があった。

 目が合うとすぐ、ライラックは柔和な笑顔を向けてくる。


「あ、葉月はづきくん……おはよー」

「おー」


 開け放たれたカーテンから射し込む朝日が、左右の端を束ねた長い銀髪を照らして反射しているからだろうか。

 その笑顔を前にして眩しさと輝かしさを感じながら、俺は無気力なうめき声で応じようとして。


「……何してんだお前!?」

「うーん……ミイラ取りがミイラになってる?」

「なるほど、分からん」


 要領を得ないライラックの答えに、俺は思ったままを口にするしかない。

 いや、本当になんなんだこの状況は。

 朝起きたら目の前に女の子の顔があった、とか。

 しかもどういうわけか掛け布団を剥がれ、寝間着のズボンは半脱ぎになっているし、余計に意味が分からない。

 まあ動機はともかくとして、犯人はまず間違いなく隣にいるライラックなんだろうけど……あの後は大人しかったからと、油断し過ぎていたか。


 そう、昨日この場所、俺の部屋にて。

 ライラックが魔女になるためのプログラムである花嫁修業のパートナーに、俺が選ばれたと告げられてから。

 まずはこの家で生活していくための部屋を用意しようと、いくつかある空き部屋の内適当な場所を選ばせてライラックに宛がった。

その後荷解きをすることになり、俺が学校に行っている間にリビングに運び込まれていたらしい段ボールの山と格闘を繰り広げている内に、窓の外の空模様はすっかり茜色から宵闇に。

いい具合に腹も減ってきたところで、ライラックが手料理を振る舞ってくれると言うのでご馳走になり、他愛ない世間話を交わし。

 その中で、ライラックは第一印象程突飛な人間ではなく、元気で素直な割と普通の女の子なのだと思えてきて。

 事実しばらくの間は、変な格好でエロゲーをプレイしていたり、そのヒロインを真似た挨拶をしてきたり……といった類の奇行を取ったりはしなかったので、気を抜いていたが。


 やはり第一印象の通り、ライラックは変人だったのかもしれない。

 荷物の中には私服もあったから、昨日は途中から普通の格好をしていたのに、今はまた華やかさとファンシーさが混在したドレス風の服装……魔法少女の変身衣装コスチュームに身を包んでいるし。

 色々と思い返したりしている内に、寝起きだった頭がだいぶと回ってきたので、俺は改めて現状を整理することにした。


「……それで結局、お前はどんな目的があって他人のベッドに上がり込んでるんだ」

「んー……花嫁修業では、パートナーに自分を好きになってもらうのも重要なファクターだからね。葉月くんを篭絡するために、趣向を凝らしてみようと思ったの」


 あっけらかんとした調子でそんなことを告げてくるライラックだが、その割にちゃっかり頬を赤く染めているのは何故なんだ。

 と言うか、それよりも。


「今不穏なワードが聞こえた気がするんだが……篭絡がどうとか」

「うん、起こすついでに朝のお世話的な行為をするのが有効だって、資料で見たからね! 本当は相手が起きる前に事に及ぶのが理想だったんだけど……葉月くんがあんまり気持ち良さそうに寝てたから、私もつい一緒になってうたた寝しちゃったよ」


 大胆な口ぶりとは裏腹にえへへ、と照れたように笑うライラックを前にして、俺は軽く眩暈を覚える。

 朝のお世話とか、なんだかとんでもないことを言われてないだろうか。


「……もしかしてその資料ってのは、昨日プレイしてたゲームのことじゃないだろうな」


 嫌な予感がしたので聞いてみると、ライラックはさも当然とばかりに胸を張った。


「そそ。インストール済みだった時点で察してはいたけど、やっぱり葉月くんはあの手のゲームが好きなんだね? だったらあれと同じように……」

「その辺にいる男子高校生と花嫁修業に押しかけてきた魔法少女、ってシチュエーションがちょっと被るからって、エロゲーを真に受けて現実と一緒にするな。

つーか出会って二十四時間も経ってないような相手にいかがわしい真似されたところで、何か裏があるんじゃないかって警戒するだけだ」


 俺が軽くお説教をしてやるつもりで捲し立てると、ライラックは意外そうに目を瞬かせてから、俺と通わせていた視線を下に落とした。


「その割には、さっきから自己主張が激しい部分がある気がするけど……これは効果覿面ってことなんじゃ?」

「朝起きたら男はそうなってるものなんだよ! 生理現象だ生理現象!」


 耳の痛い指摘を受け、俺は声を大にする。


「大体なあ……いくらその手のゲームの題材にされがちとは言え、花嫁修業ってのはいきなりガバっと襲って済む話じゃないだろ。もっと段階的に事を運ぶべきと言うか、お互いの気持ちを尊重すべきと言うか……」


 我ながら、なんだか男女逆な感じのピュアな台詞を口にしている気がしてきた。

 そんな俺の気持ちを見透かすかのように、ライラックは口元を緩ませる。


「言いたいことは分からなくもないけど……魔法少女とそのパートナーは、遅かれ早かれそういうことをする将来が約束された関係なわけでしょ? 

だったら虜にするためにも、今の内から私の魅力を肌で感じてもらおうかな……みたいな?」


 やはり言動は大胆なライラックだが、相変わらず背伸びをしている感がもじもじと体を小さく揺らす仕草から見て取れる。

 だったら無理すんなよと思いながら、寝転んだままだった俺は身を起こす。


「ったく、お前は……」

「もうっ、お前じゃなくてちゃんと名前で呼んで?」


 俺が呆れていると、同様に身を起こしたライラックは唇を尖らせた。やけに力を込めて両肩を掴んでくる。


「お、おい……」

「おいじゃなくて、ほらっ! 私の名前!」


 気圧される俺に、ライラックはずいっとにじり寄ってくる。

 強い意志を感じた俺は、押しに弱い自分を情けなく思いながらも、大人しく従うことにした。


「……おはよう、ライラック」

「おはよう、葉月くん。出来れば愛称でリラと呼んでくれるのが理想なんだけど……まあその辺は追々。今から親睦を深めれば、変わっていくだろうから……まずは着替えを手伝ってあげるね?」


 言いながら、ライラックが俺のシャツを脱がせようと手を掛けてくる。

 ……これはもう、こっちから実力行使していかないと駄目かもしれない。

 俺は返事をすることなく、シャツに触れているライラックの手を掴んだ。


「ひゃっ!? あの……葉月くん……?」


 驚いて短い悲鳴を上げるライラックだが、いったいどんな勘違いをしたんだろうか。やがて嬉々として目を輝かせながら、手を握り返してきた。

 俺はその柔らかな感触に一瞬たじろぎつつも、この機を逃さずライラックを立たせて扉の前まで連れていき、手早く部屋から放り出す。


「あれ、ちょっと!? 葉月くーん?」


 戸惑いの声を上げるライラックには構わず、俺はさっさと扉を閉めて鍵をかけた。 


 一つ息を吐いて、ラックの上に置かれたデジタル時計に目を向ける。

 示された時刻は、午前六時五分。

 俺、桂木葉月は日本の普通科高校に通う学生であり、通学時間は精々二十分程度。

 帰宅部なので朝練なんてないし、中間テストは先日終わったばかりなので何か特別な行事があったりもしない。

 朝食や洗顔など諸々に要する手間を考慮したとしても、こんな時間に起床する必要性は皆無だ。

 よって俺は、床に放り捨てられていた掛け布団を拾い上げ、半脱ぎのズボンを履き直し。

 再びベッドに潜り、二度寝を貪ることにした。

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