俺の家に魔法少女が花嫁修業に来てからの(非)日常

りんどー

第1話 押しかける魔法少女

 五月二十日、午後四時過ぎ。

 俺、桂木かつらぎ葉月はづきはいつも通り高校での授業を終えて、特に寄り道もせず帰宅した。

 玄関で学校指定の革靴を脱ぐと、廊下を抜けて階段を昇る。

 程なくして、二階の突き当たりにある自室に辿り着き、扉を開くと。


「おー、ついに主人公とヒロインが添い遂げて……って初めてなのに過激すぎないかな!? まさか私のパートナーがこんな性癖の持ち主だったとは……あ、でもヒロインの設定や他のラインナップ的に魔法少女フェチっぽくもあるから、幸先は良いのかも?」


 やたら熱心そうにR18な内容のゲームをプレイする、怪しい人物の後ろ姿が視界に飛び込んできた。

 パソコンの前に座るその人物は、額が擦りそうなくらい顔を画面に近づけて、興奮気味に独り言を連発している。

 発言内容はともかくとして、聖歌みたいに心地の良い音色の声を聞く限りでは、声の主は少女だ。

 染めたようには見えない、自然な透明感が溢れる長い白銀の髪。

 恐らくは外国人なんだろうけど、その割に日本語は堪能だった。

 身に纏う服装は花嫁が着るドレスにも似た純白の衣装。

 華やかではあるが現代日本の一般家庭ではおよそ場違いで、部屋の景観からは浮いている。

 珍妙な服装に加え、あの手のゲームを夢中でプレイしてしまう様子。

 どうやらちょっと普通ではない感性の持ち主のようではあるものの……声の印象や後ろ姿の雰囲気はかわいらしい感じだし、これもぎりぎりギャップ萌えの範疇と片付けられなくもない。

 問題は少女が俺の見知らぬ存在であり、今まさに我が家へと侵入中の不審人物であることだ。

 イヤホンすら装着していないせいでいかがわしい音声をスピーカーから垂れ流していることについては、この際目を瞑ろう。

 ともあれ俺は、制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出した。

 タッチパネルを操作して電話のキーパッドを開き、手短に番号を入力する。

 一、一、〇。


「もしもし警察ですか。実は今、俺の家にコスプレしながら他人のエロゲーを物色する変質者がいるんですけど」

「ちょ、ちょっと待って! 私は変質者じゃないし、この格好も変身衣装コスチュームって言って魔法少女の正装みたいなものだからっ!」


 俺が電話越しにオペレーターへと事情を説明し始めると、パソコン前に張り付いていた少女が慌てた様子で振り向く。

 そのまま駆け寄ってくる少女と初めて正対して、俺は。

 とてつもない美少女がいたものだと、間抜けにも、そんな感想を抱いた。

 髪の色とはまた質の異なる乳白色の肌が映えるその面立ち。

 中でも最大の特徴は宝石みたいに輝く琥珀色の瞳だろう。なかなか人を選ぶであろう衣装すら見事に着こなしてしまうその肢体からは、大人びた色気のようなものは正直あまり感じられない。

しかし代わりに、少女故の健康的な艶やかさ……みたいなものが窺える気がする。

 全体的に明るく快活そうな印象を与えながらも、どこか危うげな儚さを湛えた目の前の少女に、俺が無意識の内に見惚れていると。

 当の少女にその隙を突かれて、うっかりスマホを奪い取られてしまった。


「もらったっ!」

「ちょっ……」


 俺が呆気に取られている間に、少女は奪い取ったスマホの通話を切る。

 ドレス風の衣装をごそごそと漁り始めたかと思ったら、どこからか一本の鍵を取り出して見せ付けてきた。


「それとほらっ! 他でもない君のお義姉ねえさんの紹介だし、合鍵も渡されてるから!」

「確かに、この家の鍵で間違いなさそうだけどな……」 

「でしょでしょ?」

「つまりお前は……不法侵入したんじゃなくて、家主でもあるあいつの許可の下、合法的にこの家を訪問してきたわけか?」

「うんうん!」

「でもあいつは基本この家を空けてて、俺は半分独り暮らしだからな。その気になればあいつの名前を騙ることだって……と思ったけど、いざとなったらそいつで確認すればいいだけの話か、っと」

「ありゃっ?」


 言いながら、俺は少女からスマホを悠々取り返す。魔法少女と言えど、身体能力まで高いってことはないらしい。

 じゃあ偽物かも……なんて発想が一瞬頭に浮かんだが、すぐに考えを改める。

 少女の衣装から充溢する、名状し難いオーラめいた何か。

 これは多分、その服が魔力で編まれている証。

 つまり、今俺の目の前に立つ彼女が魔法少女である証になるんだろう。

 実際にお目に掛かるのは初めてだが、その異質ぶりを前にすれば一目瞭然だ。

 なので少女の素性自体は、間違いないんだろうけど。


「……魔法少女が他でもない俺に用とか、何かの手違いだろ」

「手違い……ってどうしてまた」

「俺は並の人間にすら満たない、落ちこぼれだからな。魔法少女なんて特別な存在とは無縁の人生を送るのが、分相応なんだよ」

「うーん……? やけに自己評価が低いんだね、君」


 自嘲的に、かつ自然と零れ出すように口にした、俺の言葉。

 それをいきなり聞かされるような形になった少女は首を傾げながらも、思いの外困惑することなく話に乗っかってくる。


「でもその割には、やけに思わせぶりで目立つものを身に着けてたりするし……なんだかちぐはぐだね」


 言いながら、少女はある一点を指差した。

 そう、これまでずっと俺の左目を覆っていた、黒い革製の眼帯を。 


「実はその下に、特殊な力を秘めた魔眼が隠されてたり……とか」

「っ……!」


 少女に問われた瞬間、俺の手が無意識の内に眼帯へと伸びた。

 まるでそこにある何かを隠したがるかのような動きで、反射的に。

 するとそれまで冗談半分だった少女の態度が、一転して真剣なものへと変わり。

 次いで、怪訝そうに目を細めた。


「あれ、もしかして図星だったり?」

「あー……」


 俺は自分の迂闊さを後悔しながら、曖昧な声を漏らす。

 どう誤魔化したものかと迷っている間にも、少女がじーっと興味深そうな視線を寄せてくる。

 なんだろう、物凄くむず痒い。

 その感覚に耐えかねた俺は、自分でも驚いてしまうくらいにあっさりと観念した。


「……あるには、ある」

「おおっ?」

「けど俺の左目……魔眼は、言ってみれば節穴なんだよ」

「節穴って……どういう意味?」

「まあその辺は、実際に見た方が早いだろ」


 頭の上に疑問符を浮かべる少女に対し、俺はそう答える。

 内心ではまだ名残惜しさを感じながらも、ゆっくりとした手つきで眼帯を外し。

 その下の左目を、晒した。

 少女は露わになった左目を食い入るように見つめながら、感嘆の声を漏らす。


「おお……左目に魔法陣っぽい、いかにも魔眼って感じの紋様が描かれてるねえ」

「ああ、確かにその通りなんだが……」

「んん?」

「この目……『節穴の魔眼』はただ曰くがありそうな感じの見た目をしてるってだけで、実際には何の効力も発揮しないんだよ」

「え。それじゃあ、普通じゃ見えないものが見えちゃったり、目を見た相手に何でも命令できたりなんてことは……」

「しないな、まったく。むしろ周りとは違う変な目だからって、小学生の頃にはいじめられる理由になりさえしたくらいだ」

「あ、その……なんかごめんね」


 俺の説明を受けて、急に申し訳なさそうにかしこまる少女。


「あー……いや、こっちこそ一言余計だったかもな。悪い」

「えっと、君が謝るようなことじゃないような」


 口が過ぎたかと反省する俺の言葉に、少女は逆に戸惑っているようだ。

 非があるのは自分の方、だとでも考えているんだろうけど。


「まあなんにせよ、そんなに気を使ってくれる必要はないぞ。別に今も引き摺ってるってわけじゃないし」

「そっか……それなら良かった、のかな?」


 俺が心配無用とばかりに肩を竦めると、少女の表情に安堵の色が浮かんだ。

 その様子に微笑ましさのようなものを感じながら、俺は軽い調子で続ける。


「ともあれ、他人から蔑まされる要因になるような身体的特徴を抱えていたところで、別に良いことなんてない。ある意味、凡人より劣っているとすら言える。だから俺はその劣った自分を隠すために、わざわざこんなものを利用しているわけだ」


 語り終えながら、俺は左手に持つ眼帯をひらひらと揺らした。

 一方の少女は、腑に落ちていなさそうな様子で腕を組む。


「でも、やっぱり卑屈過ぎる気がするかも。それと特に力があるわけでもないのに眼帯着けてるって……」


 そこまで口にしてから、少女は言い淀む。


「どうした? 似合ってないってのは、確かにその通りだから遠慮しなくていいぞ」 

「そうじゃなくて……なんか、中二病拗こじらせてるっぽいなと思って」


 思っていたより割と、遠慮がなかった。


「あー……まあ、別にそれならそれでいいさ。ありのままをさらけ出して劣っていると見なされるくらいなら、隠して痛い奴と思われた方がマシだからな」

「ふーん……?」


 俺の言い分に対し、少女は何故か不思議そうな声を漏らす。

 その様子に、俺が微かな違和感を覚えていると。


「……じゃあ現在進行形で左目が発光している件については、どう思ってるの?」

「それについては……って何!?」


 俺は耳を疑った。

 目が光っているとか、意味が分からない。

 そりゃあ物語に登場するような本物の魔眼なら、能力の発動に際して発光現象が起きたり……なんてこともあるのかもしれないけど。

 俺の左目はあくまで紛い物の節穴なのだ。

 そんなことはあり得ない……筈。

 俺はすっかり困惑しながらも、壁際に置かれた姿見に顔を向ける。

 前髪が長いせいで若干地味で暗い印象を与える以外は、校則通りに切り揃えられた黒髪。

 その下に位置する忌むべき俺の左目が。

 どういうわけか、淡くて紅い輝きを放っていた。


「なっ……!?」


 どうやら少女の言葉は嘘でも何でもなかったみたいだが……正直まだ、目の前の出来事を受け止めきれない。

 姿見に反射する、中肉中背の暗い感じの少年と表現するに相応しい俺の身体が、現実感のなさに僅かによろめく。

 何せ左目の発光なんておかしな現象、俺の記憶する限りでは過去一度だってなかったのだ。

 流石に謎の力に目覚めたり左目が疼いたりなんて、よくありそうな他の異常までは感じられないが……どうして今更こんなことが起きているのか。

 可能性が、あるとすれば。

 これまでの俺の人生においては接点がなく、現在この場には存在している何かが、影響を及ぼしている……とか。

 仮説を思いついた俺は、視線を移ろわせる。

 魔法少女を自称する、ちょっと変わった女の子の方へと。

 すると少女はこちらを見返して、小さく笑みを浮かべた。


「ん、どうしたの?」

「あー、その……いや、なんでもない」


 何か聞いてみようかと逡巡する俺だったが、適当な言葉が見つからない。

 少女は一瞬、俺の答えに得心のいかなそうに眉をひそめる。

 が、少しして自分なりに結論を出したのか、小さく頷いた。


「そう? それならまあ……いっか」


 意外にも、少女は大人しく引き下がる。

 変に歯切れが悪かったせいで、もしかしたらまた、余計な気を使わせてしまったんだろうか。

 俺が恐縮していると、少女は何やら嬉しそうな微笑を向けてきた。


「なんにせよ……私たち、意外と似た者どうしかもね?」

「……いや、どの辺がだよ」


 唐突によく分からない言葉を投げかけられ、俺が疑問を抱いていると。


「それよりも……っと。そっちの話に付き合ってあげたんだから、今度は私の用件を聞いてもらうからね? 桂木葉月くんっ」


 少女はとん、と俺の胸板を小突きながら、楽しそうに俺の名を呼ぶ。

 家まで上がり込まれているのだから当然と言えば当然だが、こっちの素性は把握済みのようだ。

 俺は退路を断たれたような心地になりながら、渋々頷く。

 こっちの疑問を露骨にはぐらかされたような気がしなくもないが、ここは素直に従っておくのが吉。

 少女の笑顔はそう思わざるを得ない程かわいらしく、そしてほんのり威圧的だった。


「自己紹介が遅くなっちゃったけど……私はライラック・シャイン・ウィンターソン。さっきも言ったように魔法少女で、葉月くんのところには花嫁修業に来ました!」 

「……マジかよ」


 花嫁修業。

 一般的な意味合いとしては、婚前の婦女子が料理、洗濯、掃除など、家の中のことをひと通り出来るように技術を習得したり、女性としての作法や振る舞い方を学ぶこと……なんて具合だろう。

 しかし魔法少女にとっては、別の意味を持つ言葉でもある。


「魔法少女が能力を強化して魔女に至るためには、文字通り少女から成熟した女になる必要がある……だから私たち魔法少女は16歳になったら、特殊訓練プログラムを受けることになってるの。その通称が、花嫁修業ってわけだね」


 魔女や魔法少女の存在が世間にも認知されるようになった昨今、そのプログラムの存在は一般人にも広く知られている。

 もちろんその、一風変わった内容も。

 ライラックはその辺の事情も織り込み済みといった語り口ながらも、付け加える。


「肝心の内容なんだけどー……選ばれた同年代の男子をパートナーにして精神的及び身体的な接触を行い、心身ともに成長を遂げることって感じかな。まあ俗っぽい言い方をすればその……恋をした相手といちゃいちゃして、大人の階段登っちゃおうみたいな?」


 明け透けな口ぶりとは裏腹に、ライラックは照れ臭そうにはにかんだ。

 まあ、無理もない。

 魔法少女にとっての花嫁修業とは、あくまで魔女になってより強大な力を得るために必要な通過儀礼でしかない。

 とは言え下衆な連中からは、エロゲーっぽいなどと揶揄されたりしているし、事実その手のゲームや小説の題材にされがちな内容だったりする。

そんなものを年頃の女の子が実践するとなれば、恥じらいもするだろう。

 しかし、魔法少女は魔力の影響を受けて美少女揃い、なんて迷信があるせいだろうか。

 反対に、健全な思春期男子からしてみれば、パートナーに選ばれることはある種の憧れらしい。

 美少女と一緒に、いちゃいちゃラブコメ生活。

 なるほど響きは悪くないし、実際にライラックはとんでもない美少女だとは思うけど。


「……よりにもよって、この俺がパートナーに選ばれたと」

「うん、そういうこと」

「でも花嫁修業の相手って、ランダムってわけじゃないんだろ? 確か独自の基準で調査して、それなりに時間をかけて選定してるとか聞いたことあるんだが……それでどうして俺なんだ?」

「詳しい話は私も聞いてないけど……もしかしたら、葉月くんが魔法少女フェチだからかも?」

「いや待て、俺は魔法少女フェチなんかじゃないぞ」


 勝手に性癖を断定されたので俺が否定すると、ライラックは目を丸くした。


「え、でも。ベッドの下とかクローゼットの奥とか、至る所に隠してあった数十を超える同じジャンルのゲーム的には……」

「多分あれは、どこぞの馬鹿な義姉あねが知らない間に仕込んでおいたもので……第一、俺はあの手のゲームを買った経験すらないんだ」

「あはは、照れなくてもいいのに。葉月くんも男の子なんだから、そういうのに興味があるのは自然なことだと思うよ?」


 取り付く島もなく、ぺしぺしと俺の肩を叩いてくるライラック。

 俺の言葉を、照れ隠しか何かだと判断したらしい。

 そりゃあ言い訳としては友達から預かっているとかの方がいくらか現実的で、定番ではあるんだろうけど。

 俺がエロゲーを購入した経験がないのは事実であり。

 我が家の住人が俺と義姉の二人きりである以上、この家のあらゆる場所にエロゲーを配した犯人は義姉以外にあり得ない。

 以前までは義姉ものばかりだったのが最近魔法少女ものに様変わりしたので何事かと思ったが、もしやこの日のための布石だったのだろうか。

ちなみにプレイした経験の有無については、また別の話だ。

 とにかく、躍起になって反論したところで逆効果な気がするので、ここは黙っておこう……と決めたのも束の間。


「何はともあれ、私が魔女になるためのお手伝いをよろしくお願いしますね、旦那さまっ?」 


 正真正銘の魔法少女であるライラックから発せられた、わざとらしく媚びるような声。

 その文言はさっき、彼女がプレイしていたエロゲーに登場する魔法少女設定のヒロインが冒頭の辺りで口にする台詞と全く同じだった。

 それを聞いた俺は軽い頭痛を覚えながら、訂正しなかったことを早くも後悔し始める。

 一方のライラックはこっちの気も知らず、天真爛漫な笑みを向けてきた。

 おかげで一層、頭の痛い思いをする俺ではあったが。

 目の前で笑顔を浮かべる、いきなり押しかけてきたこのよく分からない魔法少女こそ。

 退屈で変わり映えしない上、人並みにすら満たなかった俺の日常に。

 変化をもたらしてくれる無二の存在なのではないか……なんて期待を、少しばかり胸に抱いてもいた。

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