期末試験を前に

 茶会から丸1日を経た休日の夕刻。

 食堂でベルナルドから話があると声をかけられたアズルトは、夕食を早々に片付け、学舎北側にある渡し通路の屋上へとやってきた。

 陽は既にして地平に沈み、茜から藍に傾く黄昏の空には星を包む至大結界――天蓋紋の薄れゆく変性光が、幻想的な術紋を残している。


 それも、見る間に消えていく。

 宵闇の足は速い。

 高い城壁で囲まれた学園の内側は、一足先に夜の帳に沈んでいた。

 学舎を照らす魔灯が各所にあるものの、その魔力光は淡く、道標ほどの役しか果たしてはいない。


 日本とは比べるのもおこがましいほど、こちらの夜は闇が濃い。

 アズルトの眼はその暗影の中に白銀の少女を求めるが、どうやら今日も空振りに終わりそうである。

 クトも気になるらしく、相手にその気がなければ見えないだろうに、入念に辺りを見て回っている。


 茶会で自身の存在について言葉が交わされたにもかかわらず、白鬼ことエフェナからの接触はなかった。

 そもそもあの夜会からこちら、エフェナは姿こそ見せるものの、まるで動く様子を見せていない。

 夜会での宣言はなんだったのかと文句を言ってやりたい気分ではあったが、アズルトにそこまでの度胸はないし、そもそもどうやって捕まえるのかという話である。


 天上の主役が星々に取って代わられた頃、ベルナルドがやってきた。


「すまんな、待たせたようだ。これでも急いだんだ、そう機嫌を悪く……貴様らなにがあった?」


 どうやら近くに来たことで、アズルトたちが厳戒態勢にあることに勘付いたらしい。


「気にするな」

「いやしかしまともでは――」

「うっさいな」


 遮る形でクトの怒気が飛んだ。アズルトの平坦な声がそれを追う。


「ベルナルド、気にする必要はない」


 遅れたことに対してはアズルトらは気にも留めていない。

 アズルトもクトも普通より多く食べる方だが、ベルナルドの食事量は輪を掛けて多いので時間もかかる。呼び出しておいてとは思わない。

 だがこの場所を指定したことには若干の不満があった。


「それにしても夜風は心地よいな。この時間であれば屋外も悪くないものだ」


 頬を引き攣らせながら、ベルナルドはやや早口に言う。

 天気の話というのは、話題に困った時や話題を切り替える時にしばしば用いられるものだが、おそらく彼も似た心境にあったのだろう。

 だがこれは火に油を注ぐようなものだった。

 立ち上るのは完全に八つ当たりの炎なわけだが、巻き込まれる側にしてみれば些細な違いである。

 厳しくなる視線にその理由を知らぬベルナルドは、知らぬままに沼の深みへと踏み込んでいく。


「だ、大森林はここより幾らか涼しいと聞くが、私は冷房と無縁の道中が今から憂鬱でならん」


 そこで止めておけば良かったのだが、続けたひと言が余計だった。


「貴様らはどこでも長袖だが暑くはないのか」

「戦闘服が長袖だからな、それに合わせているんだ」


 それがクトの触れられたくない話題と知っているアズルトは、用意してあった答えを告げて軽く流した。


 ベルナルドは大物を気取っているが、割と失言が多い。

 いや、大物だから失言が多いという考えも……あれは立場があると小さな失言も大きく取り上げられるというだけの話か。

 こんなのでよく繊細そうなココトの師匠役が務まるものだとアズルトは思うのだが、そこは認識の違いである。


 ベルナルドら組の大部分は、アズルトとクトに人間的な脆さがあるなど想像だにしていない。

 そもそも配慮されていないのだから、それは失言もする。


 それだけ、日ごろの行いは人の認識に影響を与える。

 入学当初、クトがフードで耳を隠していた理由を考える者は、もうアズルトを残すばかりとなっていた。


「需品科の支給品か。確かにあれは……」


 アズルトが口実に使った、戦闘服に合わせて、というのもまったくの嘘というわけではない。

 嘘つきであるからこそ、その言葉のあちらこちらに真実を織り込んでいると言うべきか。


 4組が需品科で支給される戦闘服は、制服とほぼ同じ意匠の防刃性能重視の布鎧だ。

 身体の欠損は、騎士が他者に対して用いる治癒術では回復困難な重度障害である。

 そのため、学園で指定なしに戦闘服を作ってもらうと、欠損対策のため決まって袖は長いものとなる。


 錬金術で合成した繊維を用いて作られる物で、鎧とは言っても見た目はただの服だ。

 ただし生地は夏場に着るには厚い。

 着心地は悪くないものの、環境適応能力については難があると言えよう。

 そのため体を慣れさせるというのは、試験やその先の夏期休暇を考えれば妥当な対策だ。


 もっとも、暑いは暑いがこの国の夏は日本のものを思えばかなり過ごしやすい。

 例えば、クトには熱中症対策の冷却魔術を伝授してあるが、使うのは専ら運動時に限られる。

 そして運動時に限るのであれば、薄着であろうとこの魔術は使った。


 なので結局のところ戦闘服云々は建前でしかなく、厚着のクトから衆目を逸らすためというのが、アズルトが似た格好をしている理由になるのだが……。

 この辺りに踏み込まれるのは、アズルトとしても愉快ではない。


「御託はそれくらいにして本題に入ってくれ。おまえだって暇じゃないだろ」

「私の苦労を思えば、勿体をつけるくらい許されるべきと思うのだがな」


 その語り口に、アズルトはこの密会の凡その意味を悟る。


 ベルナルドが指を弾くと、予測を裏付けるようにアズルトらを包む遮音結界が展開された。

 アズルトよりよほどお貴族様らしく見える、堂に入った術の行使だ。


 術式を事前構築しておき、起動キーで保留状態を解除、といったところだろうか。

 身振りどころか発声も必要としない現代魔術の特性から言えば、実用性については首を傾げざるを得ないが、見栄えは良い。


 ベルトポーチから金属タグ2枚と書状が取り出される。


「お望みの品だ。間に合わせるためグリフは外した」


 書状は許可証だった。

 北寮第2魔術遊戯会の考案した『対盤』を遊戯として認可する旨と、会員限定ながら学内での使用許可が記されている。

 金属タグの方は遊戯会の会員証。


 ギリギリ間に合ったか。

 夏期休暇までまだ日数はあるが、休日としては今日が最後になる。


「あやつはゲストという扱いになる。準会員。まあこれまでと変わらん」

「それで問題ない。優先すべきは俺たちの利益だ。あいつには……面倒だがこちらで話をつけておく」


 気乗りしない案件であるが、半ば以上が内輪の問題で、立ち入った話ができるのもアズルトだけとなれば返答は実質これ一択。

 穏便な説得は苦手な性分なのだが、こればかりは仕方がない。


「仕事は果たした。そちらは」


 ベルナルドが言っているのは実地試験のことだ。

 彼が遊戯会にかかりきりな分、アズルトが計画立案の支援をすることで話が通っていた。


 正確には前期末遠征実技試験と称されるこの試験は、青深の2節半ばから末にかけて行われる非常に規模の大きな行事だ。

 試験はアーベンス王国の東、ムグラノ地方の東部に広がるアメノ樹獄の外縁にて、6日を基本とする日程で行われる。


 課題は騎士の通常任務。

 内容自体は単純で、指定された調査ポイントを経由し期日までに合流地点に到着するというもの。


 調査ポイントの地点パターンは4つあり、各組はその中から任意のパターンを選択することができる。

 事前申告は求められるが、本選択は試験時間中に行われ、条件はあるものの途中での変更も可能となっている。

 パターンはA~Dで以下の通り。


 Aは森の浅い領域に敷かれた軍道の周辺に点在するパターン。

 準騎士が班でこなすには不安で、小隊でこなすには過剰。

 騎士ならば平時は個人でたりるが、有事を考えるなら班行動。

 候補生であっても中退規模となる組で当たるには戦力過剰と言える。


 Bは湖に続く山道の周辺に点在するパターン。

 遭遇する魔種の傾向はAとほぼ変わらず、準騎士であれば小隊で担当、騎士ならば班行動が基本。

 それ以上の戦力投入の必要はなし。


 Cは断崖にある監視所を経由するパターン。

 発生する魔種の傾向はBと大差ないが、外縁では発生しない樹獄の魔種が流れてくることが多く、危険度は増す。

 ただし有事で言えばBと危険度にそれほど大きな開きはなく、投入戦力も同様。


 Dは外縁から更に大森林に踏み込み、監視所のある崖の下側を通って合流地点へと向かうパターン。

 瘴気の濃度の指標が1段階変わるため、発生する魔種からして傾向が変わる。

 準騎士は小隊規模での運用止まりなので任せられることは少ない。 学園の本科生による野外実習では組単位で行われている。

 騎士でも小隊行動が基本。ただし青位以上が混じっていれば班行動も問題ない程度。逆に赤位以上がこの区域を担当するのは有事のみである。

 Bの有事が平時なところがあり、予科1年の候補生が踏み込むには危険。組単位でも有事に対処できないと推察される。


 試験そのものは大したものではない。

 瘴気の濃くなる樹獄に踏み入るDルート以外は、遭遇する魔物もたかが知れている。

 厄介なのは、ひとつに本当の意味での試験はすでに始まっていること。

 そしてもうひとつが、曖昧に開示されている採点基準にある。


 前者については情報収集の必要性。

 先に述べたパターンの概略は、実は学園から提示されたものではない。

 地点情報などが今月に入って開示されたが、最低限の地図のようなものであって、そのまま試験に臨むのは危険である。


 この地図はその他の情報収集の必要性を訴えるものであり、騎士として通常任務で求められる範囲の調査は行えということ。

 先の概略は、東方防衛の要であるソシアラ侯爵家から、直系のオルウェンキスが取り寄せた情報を元にしている。


 どれだけ情報を揃えられるかで、試験そのものの難易度が大きく変わる。

 ただし、過去の試験情報はほぼ得られない。

 生徒を含め関係者には試験に関する情報の秘匿が義務付けられており、漏洩には相応のペナルティがあるからだ。


 アズルトはカンカ・ディアに口の緩そうな人物の情報を求めたが、今の予科2年は強からしく、去年はそれはもう盛大にやらかし、今の本科1年と2年に大量の脱落者を出したそうな。

 お陰でどの学年も情報を期待するのは難しい状態だと言う。


 その一方で、情報漏洩は厳罰だが露見しなければ良い、という考えもあるとの助言を貰った。

 カンカ・ディアがそれ以上を語ることはなかったが。


 過去の試験情報が秘匿されているのは、ふたつ目の採点基準とも関係がある。


 採点の項目は『合流地点到達までの所要日数』『調査ポイントに指定されている評価』『魔種の浄化指数』『野営における各人の実技』『特別加点の条件達成』『創意工夫に対する評価』『その他の評価が必要とされる案件』というもの。


 実に罠の予想される採点方式だ。

 だからこそ、事前の計画と準備が大切になるのであるが。


 アズルト個人としての準備は、班編成の話し合いが終わった頃からコツコツ進めていた。

 先月後半の班による訓練でも、野外実習があるとそれら用意した諸々のテストを合わせて行っている。

 そしてこれらの結果を踏まえ、グリフに提案を行った。


 グリフにはまずハルティアと協議してもらい、そこからオルウェンキスに持ち込むよう頼んだ。

 オルウェンキスは元より、ハルティアも地方の大領主であることから騎士の運用には通じている。

 課題の『騎士の通常任務』を元に、試験という枠組みを慮外に実際的な計画立案を促した甲斐もあって、アズルトの原案に若干の修正を加える形で4組の行動計画は完成している。


 今は細かな調整と手配の段階だ。

 アズルトの手からはほぼ離れている。


「滞りなく。もうひとつ指定した件は」

「最低限は」


 アズルトが曖昧な言葉を使うのは、結界を用いてなお情報の漏洩を気にしているためである。


 位格持ちの在学騎士であれば、学内で任意に魔術が使える。

 結界を張っているから安全とはならないのだ。

 そうした者たちを経由し、情報が生徒まで流れない保証はなく、そもそも教官すら信用はならない。


 であるからこそ、アズルトはこうしたやり取りを機密保持のため自室でのみ行うよう心掛けている。

 ベルナルドやグリフには、再三に渡り情報管理の重要性を説いてきたはずなのだが。


「なら後は本番を待つだけか。しかしベルナルド、どうしてこの場所を選んだんだ。まさかおまえほどの男が、これがやりたかっただけだなんて言わないよな」


 そう遮音結界を指し示すと。


「と、当然であろう」


 気持ち狼狽混じりの声が返ってきた。

 ベルナルドを無神経と評するアズルトだが、当人も大概である。

 虚栄心の強いベルナルドにこの言葉はいただけなかった。


 不満を口にしつつも会の主催の地位に納まり、それをそつなくまとめ上げ、許可を得るため奔走までしたのは、アズルトに己の有能ぶりを見せつけたいという秘かな顕示欲あってのこと。

 機嫌を損ねただけの前口上も無駄な演出も、待ち望んだ時が来たという、ベルナルドの浮き立つ心の表れだった。

 そこに冷や水を浴びせかけられたのだから、ベルナルドの応答が嫌味の籠ったものになったのは仕方がなかろう。


「貴様らの部屋は臭いがきつくて息が詰まる」


 誤算があったとすれば、それがベルナルドの想像とは別の形でアズルトたちに衝撃を与えていたことか。


 臭いの部分にクトが小さく動揺を示したことを、アズルトは耳の動きかから見逃さなかった。

 窺うようにアズルトに険しい瞳を向けたのは、他人からすれば咎めているように見えるかもしれないが、ただ不安を押し殺しているだけなのだとアズルトは知っている。


 どうやら今日はとんだ厄日らしい。

 ベルナルドに気取られぬよう、クトを諭す流れを急ぎ組み立てる。


「その、悪いな。自分がそんなに臭っているなんて知らなかったんだ」

「ち、違うぞ。これはその、違う。おまえのは、確かに変わった感じがする。けどあたしは好きだぞ。なんか、落ち着くし。それに――」


 詰め寄って爪先立ちになったクトが、首筋に顔を寄せすんすんと鼻を鳴らす。


「おまえのは薄いくらいだ」


 見上げる形で訴える琥珀色の必死さは、どこから出てきたものか。

 至近に迫られているため、意図せずとも少しだけ汗の混じったクトの匂いが感じ取れる。

 アズルトにしてみれば、学園での日々ですっかり慣れ親しんだものだ。


「俺もおまえのは嫌いじゃないぞ」


 自然な流れだったはずだ。

 クトが口走ったものに比べれば遥かに穏当な台詞である。

 けれど返ってきたのは険悪な眼差しと、身を退くという拒絶の意思だった。


 羞恥、とは残念ながら違う。

 クトは告げられた言葉をそもそも信じていないのだ。

 傍から見ればかなり倒錯したやり取りだったであろうが、アズルトが抱くのは己の浅はかさに対する失意ばかり。

 傷を増やしてどうするというのか。


「貴様らの体臭の話をしているのではない」


 込み入った事情があるなど露とも思わないベルナルドはただ呆れを見せる。


「あの部屋はまるで工房だ。魔術教導官が与えられている研究室に似た、濃い魔力の臭いが充満している。ただの魔力であれば瘴気のような害を為しはしないが、気分は悪い」


 紛らわしい物言いをするなと思う。

 けれど話をややこしくしたのは自分たちの勝手な思い込みである。

 八つ当たりをしたところで解決するものなどなく、愉悦の他は利益と効率を愛するアズルトであるから、不満はすべて水に流し思考を更新することにした。


 工房というベルナルドの評は当たらずとも遠からずだ。

 部屋は常設結界によりアズルトの領域化されている。

 日々強化を重ねられた防壁は、今や極一部の在学位格騎士を除けば教官であろうと触れれば糸が付く仕上がりだ。

 おそらく茶会で使ったサロンよりも機密性に優れている。

 日に消費される魔力の量も、他の部屋と比べると桁レベルで隔たりがあるはず。

 そうした環境というのは世に数あれど、人の営みに近いものとなると魔道士の工房くらいなものであった。


「来年、部屋を移る時に新入生が使えなくなるような影響は残すなよ」


 言っても無駄なのだろうがなとベルナルドは溜め息混じりに吐き捨て結界を解いた。

 分かっていても口にせずにはいられない。

 それが常識を知り、アズルトらに苦言を呈することのできるベルナルドの、逃れ得ぬ役割となりつつある。


 善処はすると棟内に引き返すアズルト。

 その後をいつもより一歩分だけ遠くクトが続く。


 屋上にはベルナルドひとりが残された。

 彼はおもむろに指を鳴らすと、遮音結界の内で誰に聞かれることもない溜め息を、深く深く零したのだった。

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