悪役令嬢の茶会・後
「彼女には後援がなかったと記憶しているのだけれど。良ければ私が後援となりましょうか?」
悪役令嬢リズベットへの危険度評価が跳ね上がった。
プレイヤーに対する危険認識とは違う。人の智謀への純然たる危機感。
後援とはつまるところ出資である。
世界最高水準の魔術教育を提供する『騎士養成学校』というシステムは、運営にどうしてもコストがかかる。
この費用の極一部は生徒に負担され、学費の形を取って回収される。
全体の割合からすれば微々たるものだが、その金額は貴族であろうと軽視できる数字ではない。ましてや、ただの平民に支払えるものではないのだ。
そのために後援者というものが存在する。
彼らは騎士となり得る生徒に、学費を肩代わりする形で投資を行うのだ。
クトにはその後援者がいない。
だが、それには相応の理由がある。
難儀な性格が後援を持つ際に足を引っ張るであろうことは肯定する。けれどそれは最たる理由にはなり得ない。
クトが後援者を持っていないのは、ひとえに教会姓を持つ身であるからだ。
教会の出身で学園に通っているというのは――実態がどうであろうと――半ば教会に属する身であると人々は認識する。
教会の先約を押し退けて後援に名乗り出る者は、まずいない。
そのため教会姓を持つ者は、自ら募ることで後援を得るのが常である。
リズベットはそこに躊躇なく踏み込んできた。
『身分も出自も関係ない』とは上手く言ったものだ。
おまけに言葉の矛先はアズルトに向いているときた。
策を巡らせるのは苦でないアズルトであったが、多人能力に劣る元来の性質から、駆け引きの類は得手と言い難かった。
主導権を握っているならばまだやりようはあるが、不意打ちで守勢に立たされたこの状況は不味い。
秘密裏に魔術を行使して思考能力に下駄を履かせる。
即座にクトへの提案という形を取ってアズルトを試しているとの推察が導き出される。対処法はなし。クトに誤解なく伝えることを優先すべきと判断を下す。
秘話術式を用いる手はあったが、これはアズルトに向けられた言葉であるため、いずれにせよ口述は必須だった。
そしてそこで誤解を潰さず伝えるのも罠の臭いがする。提案が内包する意味に、リズベットの後出しが有効となるためである。
アズルトはクトに、リズベットの提案が公爵家の名義ではなく、彼女個人の名義であることを噛み砕いて伝えた。
「いらない」
一考の間すらなかった。
クトがこの提案に乗ることは万にひとつもないと考えていたアズルトであるが、この素気無さには苦笑しそうだった。
「おまえさ、もう少しこう、なんかないのか」
「んー、初年はサスケントが立て替えてくれる。学費はその間に稼ぐ」
手伝えよとの横目の訴えに、やれやれと小さく肩を竦めて了承を示す。
以前に、候補生の金の稼ぎ方について聞かれていたことを思い出した。
リズベットは「それは残念」と失意の欠片も見せず微笑む。
「気が変わったらいつでも言って。あなたがそう望むのなら家に通してあげてもいい。アズルトは卒業したら父の下で働くでしょうし。ただ、愚弟が継承することを考えるなら、逃げ道として使えるよう私との縁を繋いでおくのは、悪くない選択なのではないかしら。あれに渡すのは癪ですもの」
カップの縁をゆっくりとなぞる指先に、言い知れぬ恐怖を感じる。
目の前の15歳の少女は、紛れもなく生粋のバルデンリンドだ。別の価値観で育ったプレイヤーが、後天的に得られる思考とは思えない。
理想家で潔白な弟とは正反対の、手段を選ばない貪欲な姉。
ゲームにおけるクラウディスのリズベットに対する人物評は偏見に凝り固まっていると思ったのだが、意外と正鵠を射ていたのかもしれない。
あくまで見える範囲については、であるが。
そして偽装でなければ己の死の運命は知らない、と。
ゲーム通りの姉弟仲であることを確認できたのは収穫か。
第二王子ルドヴィク殿下との婚約が破棄されたら、このバルデンリンドの正統後継者が公爵家に戻って来ることになるのだが、クラウディスはよく殿下の協力者となり得たものだ。
もしやこの辺りに悪役令嬢の死因が……クラウディスの性格に反するか。
バルデンリンド公が見逃すとも思えない。
では公爵家の力を削ぎたい魔族の暗躍とか。
これはあり得る。
クラウディスが公爵家を継ぐ方が、奴らにとっては都合が良い。
あの時期、天騎士パルオゥはニザ瘴土帯の浄化に出向いていて不在だっただろうし。
予期せぬ情報の数々に、アズルトの活性化された思考が入れ食い状態に陥っていると、新しい紅茶を用意したサーニャがおずおずと言葉を挟んだ。
「リズベット様。外でクラウディス様の批判を口にされるのはなにとぞお控え下さい」
「彼らはあの愚物よりよほどバルデンリンドに相応しい、そうではなくて。それからサーニャ」
香りを楽しんでいたリズベットが静かにカップを下ろす。
「命令よ。私が次、カップに口をつけるまでのことを貴女はなにも覚えていない」
「かしこまりました」
唐突に始まった寸劇に、アズルトはただひたすら嫌な予感がした。
ここまでの話がすべて前座、取るに足らないと言えるほどのなにか。
アズルトとクトのふたりを呼び出した真の理由。
「ねぇ、アズルト。あの夜、あなたは
背筋を悪寒が駆け抜けた。
リズベットの語る
――妙なのが2つほど混じってる――
白鬼ことエフェナ・ナーシャ・レキュネラスの告げた言葉が刹那、脳裏をかすめた。
逡巡はアズルトにはなかった。
眠らせておいた防衛術式をすべて叩き起こす。
合わせて封縛術式の16号から12号までを強制停止、『リド』としての最低限の活動域を確保する。続けて11号から6号までの術式を順次封印から抑制へと移行。全力戦闘に備えた。
そこでクトの指先が手の甲に触れ、秘話通信の術式が流れてくる。
『言うなよ』
『言うわけないだろ。それより術の安全機構を解除しとけ』
『今やった』
まさか主の娘を相手にここまでの備えが必要になるとは。
アズルトは溜め息でも吐きたい暗澹たる気持ちだった。
「さて。挨拶が終わってからは料理を摘まんですぐに帰りましたから、大したことは話していなかったと思いますよ」
リズベットが彼女への明言を避けたため、アズルトは彼女をクトに置き換え話をはぐらかす。
アズルトらにしてみれば命がけだ。
絡んだ指を通じ口裏を合わせておく。
「バルデンリンド公爵家の人間として問う。クレアトゥール・サスケント、あの場で彼は如何なる話をしていた」
「料理の話だろ。騎士会に聞くならどれがいいかとか、そんなの」
「ああ、レシピのことな。味は重要だけど、食材で考えた方が役に立つ、なんて話はした記憶がありますね」
杜撰な対応だが、別にリズベットを騙すことを目的にしているわけではないのでこれで良い。
示し合せたのも虚言を弄したとして処罰されないための小細工だ。
食い下がるようならそれに合わせて新たな対応が必要となる。
場合によっては強行突破が求められるかもしれないが……どうにも杞憂に終わりそうだ。
リズベットの顔色が悪い。彼女の正体に勘付いたのだろうな。
そう事が運ぶよう、アズルトはバルデンリンドの権威に背を向けたわけであるし。
バルデンリンドが逆らえぬ相手。それは教会を除けばただひとりしかいない。
「……そう。つまらないことを聞いてごめんなさい」
ひとまず物理的危険は去ったと見て良いだろう。
それで気を抜くような真似はしないが。
「実のある話ができず申し訳ありません」
「いえ、あなたたちは正しい」
かすかに震える指でカップを掲げ、まだ熱い紅茶に唇で触れる。
ほんの数秒瞼を閉じ、そしてカップを戻した時には、リズベットの動揺は跡形もなく消えていた。
「今後なにか困ったことがあれば私を頼りなさい」
首にかけていた山羊の頭骨を模した小さな鍵を卓上に置き、アズルトの前へと送る。
この小鍵はバルデンリンド家のリズベットを示す、例えるなら印章のようなものだ。
名代とする際にその証として貸し与えるようなもので、軽々に他人に託す代物ではない。
むろん厚意ではなく打算だ。
そこにいくらか安堵の余地があるが、アズルトには荷が重いことに変わりはない。
「受け取っておきなさいな」
「リズベット様。殿方にそれを渡すのはいけません、お立場に障ります」
喉元に突き付けられた言葉の切っ先に、サーナニヤが制止の言葉を発する。
ただ悲しいかな、彼女にリズベットを御することは出来ない。
なにせ今のリズベットは、バルデンリンド公の代理を自認しアズルトと対峙している。
「それもそうね。ならそちらの子に持たせてあげなさい。虫よけには使えるわ」
「彼女は平民ですよ」
「でも比類ない騎士でしょう。貴女の見立てには私も賛成」
「あなたの未来の騎士たちが嫉妬します」
「サーニャ。皆に私を高く売り過ぎではなくて?」
「落ち着くべきところに落ち着いただけで御座いましょう。それに、リズベット様の行かれる道には、決して心揺るがぬ味方が必要です」
必死で再考を促すサーナニヤ。
それにしても、心揺るがぬ味方、か。
サーナニヤは知っているのだろう。この先、リズベットに待つ運命を。
分不相応な行動を取るアイナに向けられている侮蔑が、リズベットの立場が、裏返る日が2年の内に迫っていることを。
だがリズベットは知らない。故に彼女が足を止めることもまたないのだ。
「彼らは心強い味方となると思うの」
けれど、アズルトにも与えられた役目というものがある。
「ご容赦ください。私は公爵閣下のご期待に沿わねばならぬ身です。政争に感けていては閣下からお叱りを賜ってしまうでしょう」
「誤解しないでちょうだい、これは政争ではなく戦争。それに……ふふ、貴方たちはもう勝手に始めているじゃない。サーニャ」
「……はい。現在、リズベット様はシャルロット公女殿下と極めて険悪な関係にあります。アズルト・ベイ、あなたの存在もシャルロット殿下がリズベット様に抱く敵意の一因となっています。ご理解いただけましたか、赤山羊?」
なるほどとアズルトは納得する。
赤山羊の呼称を与えられたことでシャルロットは、リズベットの意向でクトが自身の派閥に唾を吐いていたと曲解したわけだ。
アズルトたちを陣営に引き込むということは、シャルロットの誤解を真実に変えてしまう。だからこそサーナニヤはアズルトらとは距離を取りたがり、そして出来ることならば外に見える形で突き放したいのだろう。
「他人事みたいに言うのね、サーニャも当事者でしょう。いえ、貴女が当事者じゃないの」
怜悧な灰髪侍女の雰囲気が砕ける。
「あ、あれは……お恥ずかしい限りです。毒婦の俗悪な言葉に心を乱したばかりか、あまつさえ守るべき主に庇われる……ふ、不甲斐ない侍女をお許し下さいリーザさまぁ」
「困った子。昔から貴女は変わらないわね」
半泣きのサーナニヤを片手であやしながら、言葉だけをアズルトに向ける。
「政治に興味はないわ。ましてここは小さな箱庭、好きにやればいいのよ。けれどね。騎士としての優劣を競うというのであれば、バルデンリンドが退くわけにはいかない」
碧眼に凶暴な獣の闘気が覗く。
「グリフとは情報軸とする協力関係が成立したわ」
「4組は掌握したと」
「ソシアラのお坊ちゃんは頑固で嫌よね。あくまで協力。グリフには連絡役になってもらうことでオルウェンキス・オンと話はまとまっているわ」
話がどう転ぼうと対処できるように、粗方の外堀は埋めた状態でリズベットはこの会に臨んでいる。
やはり、敵う相手ではないな。
アズルトは抗戦を諦め退路を模索する。
「サーニャ、彼に現状を教えてあげて」
「はい……。シャルロット殿下はクラウディス様に接近し、バルデンリンド陣営の分裂を画策していたようです。家についていた末端の貴族たちに早くも動きが出始めています。他にもアイナ・エメットに肩入れすることで、ルドヴィク殿下を味方に引き入れる動きも確認されています。加えてギスラン殿下との度重なる密会。3組の頭目であるジンバルトとの接触は見られませんが、あれは信用ならない人間です。敵にならずとも、味方とは考えない方がよろしいでしょう」
「相も変わらず素敵な状況ね」
強張るサーナニヤにどうということはないと告げるように、リズベットは嫣然と一笑した。
だが、これはアズルトにとってもあまり、愉快な話ではなかった。
展開がゲームより若干早い。
シャルロットがアイナにつくのは、実地試験を経てからだったはず。それがこの時期というのは……。
プレイヤーの行動まではゲームの通りにはいかない。そういうことなのだろう。
ましてそれがプレイヤー同士の軋轢に端を発しているとなれば、落としどころが読めない。
足場固めに終始し先延ばしになっていたが、いい加減に悪役令嬢周りの情報を集め始めなければ不味い。
今回の件でイベントが前倒しになる事態も考慮する必要が出てきた。
リズベットとの繋がりは、調査の口実としては有用だ。
行動が縛られるのは困るが、それよりも――白鬼エフェナがリズベットについて言及していたことが気になる。
彼の神話存在が、見られていたことを把握していなかったなどあり得ない。
そして今も、見逃されている。
リズベットとの接触を誘導された。アズルトはそう認識を新たにしていた。
であれば、その思惑には乗っておくべきだ。
卓上の小鍵に手を伸ばす。
「これは受け取っておきます。けれど余人に見せるためではありません。我々はグリフの下で、4組の組員として協力をさせていただきます」
そのままクトに手渡すと、リズベットは横柄に頷いてみせた。
「必要になったら使えばいい。私から干渉するつもりはない、とだけ伝えておこうかしら」
そこからはまあ、他愛のない話題にしばしの時を費やした。
退室の際にアズルトが、こいつの話ばかりしていた気がすると伝えると、貴方という人間を知るにはその子の話をする方が良いと思った、などという応えがリズベットからもたらされ、その背を冷たい汗が伝う一幕があったりもした。
アズルトたちが宝珠の戦闘状態を解除したのは、寮の自室に戻ってから、およそ1時間の後のことであった。
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