悪役令嬢の茶会・前

 客の正体はグリフ・ベイ・オルディスだった。

 たいそう青い顔をした彼を部屋に招き入れると、アズルトには封書が渡された。

 オルディスの主家の子女を通して渡されたという、招待状。

 それは悪役令嬢リズベット・ベイ・バルデンリンド直々の、茶会の誘いであった。


 封書を渡したグリフ曰く。リズベットは陪臣の子弟を個別に、かつ内密に呼び出している、とのこと。

 下級貴族のグリフが震え上がるのも無理はなかった。

 そしてそれはアズルトとて同じ。

 ましてアズルトの書状には、『いつかの夜』の『彼女』を誘って構わないとの一文が添えられていたのだから。

 該当する機会は『騎士たちの夜会』を除いて他になく、それはつまりクトを誘えという、アズルトの身分からしてみれば命令に相違なかった。



 ◇◇◇



 青深の2節に入り、ついに茶会の日がやってきてしまった。

 茶会と称してはいるが、その実態は親睦会なんて気の利いたものではない。

 リズベットによる下級貴族の私的な尋問会だ。

 なにせ指定されたサロンは学舎北西の騎士会の領域にある。

 完全に密会の姿勢だ。

 現に、領域に入ってからサロンに着くまで、案内役の騎士の他は誰とも遭遇しなかった。


 初めて訪れるサロンは、聞き及んでいたものと比べてずいぶんと小ざっぱりしていた。

 調度は必要最低限に抑えられ、美術品の類はどれも防諜魔導器の擬装だ。

 使われている術は第8階梯から第9階梯にかけて。

 世に出回っているものとしては最高級品だ。

 魔導器でこれ以上を求めるなら、部屋そのものを儀式場化する必要がある。

 いずれにせよ、そう言う目的で使われる部屋ということだ。

 ホストであるリズベットの歓迎の言葉に促され席へと着く。


 男爵家のアズルトに、公爵家のリズベットと言葉を交わしたことはない。

 話ができる立場にないと言うべきか。

 陪臣の子息ごときでは、直に挨拶に向かうのも礼に失する行為だ。

 組が同じであれば、それを口実に多少強引に近づく手もある。

 入学初日、オルウェンキスにそうしたように。


 すでに目通りを済ませているグリフに取り次いでもらえば良いのだと、気づいたのはつい先日のことだ。

 そもそも、グリフが入学早々に挨拶を済ませていたと知ったのが最近である。

 主家の子女が在籍しているところから推察して然るべきだったのだが、アズルトの貴族身分は付け焼刃であるからして経験的な部分でどうしても判断に劣る。

 組の貴族とももそうした付き合いをしていないので、経験値が溜まらない。

 お陰で入学前の憂鬱が現実のものとなってしまった。

 アズルトの考えの甘さのせいでもあるので、自業自得ではあるのだが。


 紅茶の注がれたカップを並べたサーナニヤが自然な振る舞いでリズベットの背後に控える。いや、正確には控えようとした。


「サーニャ、やっぱり今回はあなたも席に着きなさい」

「リ、リズベット様!?」


 出来た侍女といった風の凛とした灰髪少女が、容姿にそぐわぬ調子の外れた声で驚きを示した。

 今回はとリズベットは言った。

 羞恥に頬を赤らめるサーナニヤの様子から演技の臭いは感じられない。

 それはつまり、平時と異なる対応をアズルトが受けているということだ。クトの件と言い、リズベットへの警戒心は募るばかり。


「必要と判断したの」

「……承知いたしました」


 サーナニヤは自身の紅茶を手早く用意し、リズベットの隣に着席する。

 アズルトたちはと言えば、事の成り行きを黙って見ているだけである。男爵家の4男と平民の娘に、公爵家の令嬢相手に許可もなく言葉を発する権利はない。


「お待たせして御免なさい、アズルト・ベイ。いえ、謝罪すべきはそこではないわね。臣下でもないベイをこんな形で呼び立てた非礼、お詫びします」


 小さく頭を下げるリズベットに、アズルトの方が慌ててしまう。

 サーナニヤが平然としているところからして常の流れなのだろうとは思うのだが、向けられる側としては心穏やかではない。


「滅相もないことでございます。本日はお招きいただきまこと感謝の念に堪えません。バルデンリンド公爵閣下には格別のお引き立てをいただいている身でありながら、挨拶が遅れまことに申し訳――」

「その謝罪は不要よ」


 下げようとした頭は、掲げられた掌と厳しい声によって止められた。


「ベイとは……これは違うわね。アズルト、貴方とは騎士の流儀で話をしましょう」


 リズベットがそんな提案を口にする。


「まず領の騎士候補の支援をしているのはバルデンリンド公。あなたの忠節が向けられるべきは公であって私ではないわ。そしてその忠節は果たされている。アズルトは騎士の本分を全うしているでしょう、噂は聞いているのよ。でもその話はあと。先にこの子を紹介するわ」


 手で示されたのは隣に座るサーナニヤだ。


「彼女はサーナニヤ・オン・スホルホフ。バルデンリンドの直臣で子爵、そして私の騎士候補」


 サーナニヤの会釈に対し少し深めにお辞儀を返す。隣ではクトが真似るようにして頭を下げていた。


「そちらの子のことは覚えているわ」


 碧眼が頭を戻したクトへと向けられる。

 そこに組の者が見せる怖れの色はなく、逆に享楽さえ垣間見せるのは、さすがバルデンリンドの娘と言うべきか。

 天騎士パルオゥを筆頭に、人間を捨てた異常者連中に囲まれて育っただけはある。


「初めまして、クレアトゥール・サスケント。発言の自由を許可します。この場に限り大概の無礼は聞き流すわ。身分も出自も関係ない。お互いただの騎士候補ということね」

「ん、よろしく……お願い、します。感謝する、です」


 難しい顔をして懸命に言葉を捻り出している。

 アズルトだからそう見えるのであって、他からすれば不機嫌に睨むような様となるのかもしれないが。

 クトが慣れない敬語を使っているのには理由がある。

 茶会への同伴を求めた際に、アズルトは改めてリズベットについての諸々を説明したのだ。


 リズベットがバルデンリンド公爵家の長女であること。

 バルデンリンド公爵家がアズルトの主家のその主筋に当たること。

 そして貧乏貴族であるアズルトの学費は公爵家が出していること。

 公爵家が騎士界における大家であること。


 クトはそれを聞き、アズルトにとってリズベットは重要なのかとだけ問うた。

 アズルトはそれに是を返し、今に至る。


「へぇ、噂とはずいぶんと違う。でも、『狂犬には首輪がついている』というのもあったか」


 横目で窺うと、同じようにして見る視線とぶつかる。

 面と向かって言われてなお当人が否定しないものだから、犬呼ばわりどころか狂犬呼ばわりが定着しつつある昨今だ。

 ただしアズルトが犬と口にすると、もれなく狐族だとの訂正文が入る。

 理由は不明。

 この対応の違いについて問い質してみたいとは常々思っている。

 今も、こうして見返してくるクトがなにを考えているのかさっぱり分からない。


「ふぅん。サーニャはどう思う?」

「……アズルト・ベイ。その娘は本当に安全なのですか?」


 険のある声が響いた。

 サーナニヤからは怖れと警戒の感情がまざまざと見て取れる。


「つい先日も、組の者全員を相手にし漏れなく気絶するまで叩き潰したと聞いています。怪我人が大勢出たそうではありませんか」

「訓練以外でこいつが怪我を負わせたことはありませんよ」


 訓練での怪我も重症は少ない。

 割合ではなく、絶対数において組の平均を下回っている。

 それもはじめふた月の負債が大半だ。

 ここひと月ほどはアズルトとの個人的な訓練以外で重症者は出していない。


「自身の負った怪我は数に含めないのかしら」


 指先に黒髪を絡ませながら、リズベットが笑みの乗った声で問いかける。

 言われて即座には出てこなかったが、彼女が示しているのが入学当初のあの一件であることに思い至る。

 アズルトが気にしていなかったこともあるし、バッテシュメヘの指導で上書きされ、誰も意に介してはいないとの思い込みもあった。


「言葉を改めます。訓練以外で怪我を負わせたのはその一度きりです」

「別に咎めているわけではないわ。ただ少し気になっただけ」


 緊張で難くなるアズルトに、あくまでも瀟洒に、リズベット紅茶を堪能しながらゆっくりとした口調で語りかける。


「初日から乱闘で反省室送りになったふたりが、今や赤山羊なんてひと括りに扱われている。どうやって手懐けたのか、気にはなるじゃない。それとも誑し込んだと聞いた方が良いのかしら」


 露骨な表現をあえて使い、言葉で嬲るリズベットは愉しげで、悪役令嬢の面目躍如であった。

 隣のサーナニヤは真剣そのものの面持ちでアズルトの返答を待っている。


「爪弾きにあった者がふたり。あとは成り行きです。呼称につきましては公爵閣下に文にてお伝えしておりますので、今はなにとぞご容赦ください」


 この応えにもやはり愉しそうなリズベットと、サーナニヤの懐疑的な眼差しは実に対照的だ。


「クレアトゥールはどう考えているの? 言葉は慣れているものを使っていいから」

「……どうって言われてもな。他に話す相手もいなかったし」

「アズルト」


 隣に向けられた瞳はそのままに、名を呼ばれる。


「貴方は良いパートナーを得たようね」


 クトが話を合わせたことはアズルトも分かっている。

 そしてリズベットがそれに、あるいはそれ以上に気づいたらしいことも。

 しかし彼女にそこを追求するつもりはないようだ。

 いや、より核心を突くため見逃したと言うのが正解か。


 視線がゆっくりとアズルトへと移される。


「彼女には後援がなかったと記憶しているのだけれど。良ければ私が後援となりましょうか?」


 悪役令嬢リズベットへの危険度評価が、この瞬間に跳ね上がった。

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