レベリング

「ねぇ、クレアトゥールさん。ワタシの術の扱い、上手くなってる?」


 本日何度目になるか分からない惨敗を喫し、チャクが零した。

 弱気とは少し違うが、こうした問いを口にするのは珍しい。

 クトの引っ越しが決まり、心だけでなく口も軽くなっているのかもしれない。


「ガガジナは抜いたぞ」

「ああそうなんだ。でもさ。クレアトゥールさんとふたり掛かりでやってるのに、この男に勝てる気がしないんだけど」


「勝つのはムリだろ。リド、的の場所移す」

「おう」


「でもふたりなんだから、ハンデの1段くらい詰めたい。感触では惜敗、混じってるし。たぶんあとひと押しだ」


 駒は扉の前と対面の壁際に置かれた。

 嫌らしい配置を選ぶ。


 駒と駒の距離は実戦と比べれば誤差の範囲であり問題にはならない。

 ただ、起点とすべき駒が術者から離れると、術の構築難易度が跳ね上がる。

 そして、こういった調整はアズルトよりもクトの方が遥かに上手い。


 そもそも術者と起点を切り離すという考えからして異常なのだが、それは武器となり得る技術であるためアズルトたちはあえてこれを訓練に取り入れていた。


 クトがベッドに戻ったところで訓練が再開される。


「上を目指すのはいいが、匙加減は誤るなよ。チャクの習熟ぶりには目を見張るものがある。おまえもそうだが、今は広く浅く、基礎を固める段階だ」

「そう言って、遅れるとしれっとハンデを増やすんだ。知ってるんだぞ」


 尻尾で叩かれる。気持ち大振り。

 捕まえて撫でてみるが、するりと抜け出し再び叩いてくる。

 以前こっそりやったのを根に持っているようだ。


「温くはしてないだろ」

「見放された感じがして嫌だ」

「おまえな」


 見放すもなにも、今やクト不在の魔術訓練など考えられないアズルトである。

 それは協力者であるクト自身よく分かっているはず。

 妙な感情論でむくれる狐娘に、アズルトとしては困惑するしかない。


 ただそれとは別に、途方に暮れる者がこの場にはもうひとりいた。


「あんたたちの話についていけない置いてけぼりのワタシは、こういう時、どんな顔して聞いてたらいいんだろうね。黙って術の制御に専念しろって言うならそうするけど。途中で放り出すのだけは止めてほしいわ」


「ああ、それは悪かった。少しラインの引きどころを迷っていたんだ。クト、どう思う?」

「んー、おまえがいいならいいんじゃないか」


 アズルトもクトも他人に踏み込まれたくない事情を抱えている。

 ふたりが共にあるその最たる理由は、魔術訓練のためでも、ましてや実力が近いためでもない。

 互いの核心には寄らないという不文律があるからだ。


 そんなふたりが安易に第三者を自分たちのテリトリーに招き入れるはずがない。

 例え班員としての条件を満たしたチャクであろうと、それは同じだ。

 そして――。


「そうか。では今この時を以て、チャク・アペルタリを我らが班の3人目として迎え入れることを宣言するぞ」


 この言葉すら、アズルトらにとっては部外者を意味する符号でしかなかった。

 もっとも、『身内』として括られる、他とは一線を画する部外者にはなったわけであるが。


「はぁ、そういうこと。まあ、ありがとうと言っておくわ。特に嬉しくもないけど」

「それでこそ迎えた甲斐がある」


「で、なにか特典でももらえるの?」

「先延ばしにしていたハンデの正体」


「あたしのもか?」

「それで心折れるほどまともな神経しちゃいないだろう。チャクは術を停止。暴発されても困る」


 そうして、アズルトは訓練術式に施すあらゆる隠蔽を切った。

 室内を飛び交う魔力の反応が二重に歪む。


「酷い言われようだけど、あんたらよりマ、シ……」


 チャクの眼が見開かれる。

 その瞳に映るのは、これまで見せていた魔術のガワの内に、より上位の階梯レベルの魔術が詰め込まれた姿。


 例えるなら、メ○ゾーマの労力をかけて○ラを使っているようなもの。

 実態はより複雑だが。


 使用する魔術の階梯の差。そしてそれを隠蔽する高位隠形術の併用。そして偽装のための魔術幻影の展開。

 それらがハンデの正体であった。


 クトが物言いたげな眼を向けてきたので、尻尾を撫でて謝罪の代わりとする。

 どうということはない。アズルトは嘘つきというだけのことだ。


「これは……いっそベルナルドたちが哀れだわ」


 チャクとクトのハンデがおよそ2階梯、そこからアズルトまで更に1階梯。

 いや、この辺りを語る前に、この世界ラケルの魔術について軽く触れておいた方が良いだろう。


 ラケルでは、魔術の性能を階梯という指標によってランク付けしている。

 階梯の振り分けは効果に主眼が置かれ行われるが、術式構築の難易度も評価に大きく影響を及ぼす。

 逆に魔力消費は軽視されるのが常だ。


 同じ魔術が複数の階梯に分かれているのは基本で、得意とする魔術の上位階梯を習得することで、使える魔術の最高階梯を伸ばすという手法が、騎士のみならず魔道士の修練の王道とされている。


 ここで注意が必要なのは、同じ魔術といっても、階梯が異なれば術式も異なるという点だろう。

 ただし完全な別物というわけではなく、段階的に複雑化していくといったもの。

 当然のことながら魔力消費も増大する。

 しかしながらまったく別種の魔術を会得するより習得が容易なのは言うまでもない。


 通説として、天位が到達可能な魔術の階梯は12とされている。

 ゲームでの階梯は10段階までだったが、階梯なしとされていた強力な魔術群が11以上の階梯に割り振られるものと思われる。


 実際、そちらでも不便がない。

 アズルトがこの世界で調べた限りでは、第10階梯と第11階梯を跨ぐ魔術というのは希少だ。

 それだけ11階梯以上は魔術として隔絶されたものだということなのだろう。


 さて、話をアズルトたちの課しているハンデに戻そう。

 ここイファリスで騎士となる者は、無位であっても第5階梯の魔術は行使するのが普通だ。

 未だ候補生ながら魔術の才能に秀でた遊戯会の面々は、すでに第4階梯の魔術は使えるようになっている。

 最高位階梯で言えば第5階梯だ。

 それに対する3階梯分のハンデである。


 第7階梯を基本とし、部分的に第8階梯すら行使するアズルトは、階梯だけで言えば位格騎士に匹敵する。

 対赤山羊班を掲げ修練に勤しむベルナルドには悪いが、純粋な魔術勝負でアズルトが負けることはあり得ないのだ。

 『アズルト・ベイ・ウォルトラン』の制約の下にあってなお、ハンデを与えなければまるで足りない。


 しかしそれは仕方のないことだった。

 仮にも『リド』はバルデンリンドで育てられた不正騎士なのだから。

 2年間、文字通り死に物狂いで師から盗み取った技術は、上澄みだけでも並の騎士を凌駕する。


「あなたのご主人様って本当に強かったのね」


 静かに響いた感嘆の声は、なにやらクトの不機嫌を誘ったらしかった。


「ん、チャク」

「な、なに」


「それはあたしたちだけ知ってればいい」

「はぁ、安心しなさい。こんなおいしい教材を人に教えてやるとか。ふふ、なにその出来の悪い冗談」


 理想的な回答だとアズルトは思うのだが、クトの仏頂面は深まるばかり。

 ……たぶん。


 表情は変わらないが、尻尾が機嫌の良い時のそれとは大分違う。

 けれどアズルトに対し不満を抱いている時とも異なっているので、その感情を正しく読むことはできなかった。


「学園の魔術講義が馬鹿らしく思えてくるわね」


 これもまた不用意な発言だったようだ。

 耳がぴくりと立ち、尻尾が分かりやすく怒りを露わにする。


「馬鹿にしたもんじゃないぞ」


 クトはこれでいて授業はかなり真剣に受けているからな。ぼんやりしているようでノートはしっかり取っているし。

 内容は相変わらず偏っているが。

 ただ、礼儀作法だけは投げ捨てられている。


 対するチャクは神経質そうな顔とは裏腹に、授業に対する姿勢は最低最悪だ。

 魔術という餌を与えたアズルトにも責任の一端はあるが、それで片付かないほどに酷い。

 魔術の腕さえ高めてくれれば、アズルトはそこに文句を言うつもりがなかった。


 ただし、クトの機嫌を損ねるのはいただけない。

 アズルトはいそいそとクトの援護に回る。


「俺のは我流に近い部分が多いからな。アレは存外ためになる」

「妙な改変は得意だもんな。すぐ術が崩れるけど」

「感謝してる」

「書き直すの大変なんだからな。おまえの書き換えどの本にも載ってないし」


 不満を口にするクトであったが、話が逸れたからか分からないが、幸いに不機嫌は霧散したようだ。

 引き金がなんであったのかは分からず仕舞いだ。

 それでも、続くチャクの問いかけにもこれといった変化が見られないので、まあいいかと、この件はアズルトの意識の片隅に追いやられた。


「魔術開発……宝珠を使うようになって3か月の見習い騎士が?」

「基本的な式なら本科5年までは覚えたからな。下手糞な術を組む誰かのために」


 また痛いところを突いてくれる。

 アズルトが魔術でクトを手放せなくなっている理由の、その最たるものがこれだ。


 魔術において悪い意味で感覚的なアズルトは、術の構築が途方もなく下手だった。

 それこそ基本中の基本、第1階梯の魔術ですら、アズルトには本当の意味でイチから術式を組むことはできない。


 机上での魔術構築の理論は読み解ける。

 しかし魔力という感覚でそれに触れる時、アズルトには術式がまるで別物のように見えてしまうのだ。

 それはアズルトの持つ宝珠の特質に由来するのかもしれない。


 けれど原因がどこにあるにせよ、アズルトが論理的に魔術を組み立てるには、すべての術式を机上の理論で用いる言語体系に翻訳するところから始めなければならないことには変わりがない。

 まあ、そんなことは不可能という話だ。


 アズルトは病弱でゲーマーなただの引き籠り。

 生涯を賭けたところですべてを訳し切れるはずもない。

 だからアズルトは、別の手段で魔術を使う道を選んだ。


 なに、言葉にしてしまえば簡単だ。

 他人の使う魔術を見て、覚えて、それを再現する。

 ただそれだけである。


 特別な手法というわけでもない。

 アズルトに限らず、才能に乏しい騎士がしばしば取る苦肉の策だ。

 出来上がる騎士は、まあ術理を解していないのだから、ほとんどが応用の利かない三流騎士になる。


 アズルトは数少ない例外と言えた。

 膨大な数の試行から得られる経験則、それを頼りに導かれる感覚的な術式の改変が、アズルトの魔道士としての技量を支えている。

 だが所詮は借り物、なれても一流。頂には届かない。


 入学に際して赤位相当と師に評された魔術の腕は、同時に限界が近いことも示唆されていた。

 届いたとして黒位。天位に及ぶものではない、と。

 まあそんな言葉でアズルトの歩みが鈍るわけもないのだが。


 現に今のアズルトは、師のその言葉に挑戦的な笑みで以て応えることができる。

 なにせ学園に来て半年足らずで、アズルトは黒位に至る確信を得たのだから。


 すべてはクトとの魔術訓練おかげである。

 クトという鬼才が扱う、精確無比にして徹底的な効率化が施された魔術群。

 それは、最適化されたが故の癖に塗れた師の術式とは異なる、アズルトにとって理想とも言える手本だった。


 問題があるとするなら、手本にかかる労力がすべてクト持ちである点と――。


「その誰かさんはおまえの呑み込みの速さに逆に慌ててるんだけどな」


 アズルトが血反吐に塗れて過ごした2年を、クトが一足飛びに駆け上がってくる点だろう。

 騎士になるまで先を走り続ける自信は、残念ながらアズルトにはない。


 そもそも第10階梯くらい、本当に才能のある者たちであれば学園生活を3年続けるだけで到達するのだ。

 本科5年の黒騎士、シュケーベ・ディア・カイオンのように。

 選ばれた者である主人公たち3人のように。


 そして気質さえ伴えば、秀才程度の人間であろうと――到達させることは出来る。


「こいつほどじゃないが、チャクだってもう予科2年に入ってるだろ」

「そりゃ、これだけ使ってれば誰でも覚えるわ……ええ、誰でも、ね」


 アズルトらの歪な魔術合戦に、チャクの魔術が乱入する。


「使っていればな」

「資格って、つまりはそういうこと?」


「夏期休暇までに本科1年、年内に本科5年の基礎。いけるか?」

「愚問だわ。やる、それだけ。なんだか律儀にやり過ぎてたみたいだし、手順を見直すところからね」


 意気込みは実にすばらしいが、アズルトにはひとつ懸念がある。

 果たしてチャクの魔力量が、この先の訓練に耐えうるものかということだ。


 アズルトたちは先の偽装からも分かるように、省力魔術で魔術合戦を行う傍ら、実効力のある魔術を使い続けている。

 これをチャクに求めることはないだろうが、先々でこうした併用を必要とする場面は訪れるかもしれない。

 その段になって魔力量の不足に対処を求めたところで、方策など出るものではない。


 始めるなら思い至った今がその時か……。


「チャク、おまえ魔力が欲しいか?」


 わざわざ軽い調子で言ったはずなのだが、クトの耳がぴんと立ってから萎れた。


「う、うーん。やれる、のか?」


 辟易とした様は、提案される力技の、はじめひと月あまりの地獄を思い出してのことに違いない。


「魔力って、魔力量のこと? あって困るものじゃないでしょ」

「……リド」


 まあ、無理にやるものではないか。

 クトには有無を言わせずやらせたアズルトだったが、チャクに対してそこまで強いこだわりがあるわけではない。

 早々に考えを引っ込めようとしたのだが、チャクが妙な察しスキルを発動し、自身の首を絞め始めた。


「待った。欲しい。すごく欲しいです」

「おまえもばかだなあ」


 クトも呆れ返っている。

 けれど求めるなら、そのやり方くらいは教えてみようという気にもなる。


「チャクはまだ14だよな」

「そうだけど」

「魔力欠乏状態って経験したことあるか?」


 この世界の人間は生命活動にも魔力を使用している。

 その量は、魔道士の訓練を受ける者からすれば微々たるものではあるのだが、枯渇しそうになるとさすがに体が危険信号を発してくる。

 これを魔力欠乏状態と呼ぶ。


 吐き気や眩暈、全身の激痛といった症状が基本だが、多少の個人差はある。

 そして枯渇、およびそれに限りなく近い状態になると、意識が飛ぶ。

 凡そ気を失うだけで済むが、場合によっては心肺停止からの死亡に発展するため、甘く見ることは禁じられている。


 『Lqrs』では『HP』と『MP』のどちらが『0』になっても戦闘不能状態に陥っていたが、こういうことだったわけだ。


「あるわよ。これ始めたばかりのころは、魔力の転用に損失が多くて度々……」

「なら日の半分はその状態を維持するよう頑張ってくれ」


 細くなる声にアズルトは追撃をかけた。

 察しが良いのも考えものである。


「あんたら正気じゃないね」

「欠乏状態ってのはな、人の魔力能が極限まで活性化されるんだ。14なら1年も続ければ、今のベルナルドは越えるだろ」

「うっ」


 飴を投げつけるとチャクは悲鳴を上げる。

 飛び交う魔術にも乱れが現れていた。

 なのでアズルトは、クトの術構築に影響が出るようチャクの術を崩し、対応に動いた隙を突いて駒を弾いた。


 あーあ、とクトが駒を拾いに向かう。


「チャク、やるならほんとに軽いとこからな。慣らさず無理して寝込むと、逆効果だぞ。あと、あたしは止めた方がいいって言おうとしたから」

「食事量も増やせよ。でないと身体がぶっ壊れる」


 そうしてアズルトたちが真剣にバカ話に興じていると、扉の前で立ち止まる足音があった。

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