PT

 青深の1節も半ば、日本で言えば6月ごろになるだろうか。

 ただ、実感は薄い。


 ムグラノ地方に梅雨はなく、空気は逆に渇きを帯び始めていた。

 それでも日盛りの陽気は、春が過ぎ去り夏に向かってゆっくりと歩みつつあることを、肌へと直に感じさせるものとなっている。


 いつかの四頭会議以降、4組ルースは表向き公国派を仮想敵とすることで団結した。

 そして組内部はその実、対赤山羊班で結託するという二重構造を取っている。

 流れとしては、アズルトが反公国派連合の結成をオルウェンキスに持ち掛け、この煽りにオルウェンキスが対赤山羊同盟を先に成立させた上で呼応したという形である。


 班編成も確定し、授業は来月の実地試験に向けて班での集団行動に主眼を置くようになっていた。


 組はぎこちないながらも大過なく回っている。

 ココトはベルナルドの説得に応じその元で研鑽に没頭し、フェルトとディスケンスはグリフの助言に従って別々の班で修練に勤しむ。

 バルデンリンドの子山羊の端くれとしては、私事に溺れず剣に心を砕く様には賛美を送りたい気分である。


 ゲームシナリオの方の進行もおおむね順調である。

 その象徴とも言える悪役令嬢リズベットによる平民主人公アイナへの警告という名の罵声は、学園ではもはや馴染みのものとなってしまった。


 その平民主人公アイナだが、攻略対象は第二王子ルドヴィク殿下に絞ったようだ。

 最近では地味にサブキャラの好感度稼ぎを始めた。そのいずれもが女性なのは、本気でルドヴィク殿下を狙っているということの表れだろうか。

 ゲーム要素に囚われず、平時の行動から攻略の足場を固めていくとか、プレイヤーの人間としてのレベルが高い。

 アズルトとは天と地である。


 ちなみにサブキャラの中での本命はメナだ。

 ここしばらく、訓練場で剣を合わせる姿をよく目にする。

 対赤山羊同盟の合同訓練を偵察に行ったら、混じってキャスパーの抑え役を任されていた時の驚きようといったらない。


 もっともゲーム通りであれば、この時点での彼女は組に居場所がないのだろう。


 気になる点はある。

 彼女が操作キャラの時は、組の外では隠しボスと共にいることが多かった。

 しかし彼女に隠しボスとの交友関係は確認できていない。

 4組を訪ねる行動力からして、どこかしらで接点はあったはずなのだ。

 それが交友関係に至っていないということは、彼女もまた友人隠しボス説を信じているコアプレイヤーである可能性が高い。


 逆に隠しボスと接触があるプレイヤーは、アズルトの把握している範囲では公女主人公シャルロットだけだ。

 候補のサーナニヤは立場上そもそも接する機会がないのではないかと踏んでいる。

 それは攻略対象についても同じ。まったくの進展なしである。


 シャルロットの攻略対象との進捗だけは把握し切れていない。

 バルデンリンド公爵子息のクラウディス様と、ハルアハ第一王子ギスラン殿下と共にいる場面は目にしているが。


 そして公国貴族はなおも細々と4組に干渉を続け、しばしばクトを苛立たせている。

 いい加減に諦めたらどうかと思うのだが、お上の命令には逆らえないのだろう。

 貴族の悲しい性である。



 ◇◇◇



 昨今の4組の生徒は、バッテシュメヘ教官の命により課外時間でも半ば班行動が義務付けられている。

 これは他の組には出されていない指示で、加えて言うならば例年の4組は元より、かつてバッテシュメヘ教官が担当した学年でも出されたことのない命令であった。


 それは思うに、教官の指導方針に若干の変化が生じたためだ。

 騎士に相応しくなければ切り捨てるという大前提は変わらない。

 それでも、位格を得られる候補生の数にのみ注力していたところから、組としての総合力の確保に舵を切った。


 これは下剋上を狙うアズルトにとって思いがけぬ追い風だ。


 岐路は編成にあったのだろう。

 リストを見た教官は「仲良しグループの寄り合い所帯なら、こっちで班組みしてやろうと思ってたんだが」と、たいそう感心した様子を見せた。

 バッテシュメヘ教官の眼鏡に適ったからこそ、4組はより厳しい指導を受けている。

 落伍者を極力出さないように。


 アメノ樹獄外縁で行われる期末試験は、事故が多いことで有名なのだ。

 実際にゲームでも上位組が魔種の群れに襲われる事件が発生する。

 事件だ。妙な魔力反応が感知されていたらしい。

 それでいて試験続行の判断が下される辺り、荒事が日常の世界である。


 ゲームでは悪役令嬢の弾劾シーンで罪状のひとつとして数えられていたが、明確な証拠は出ていなかった。

 上位組の目的地到着が大幅に遅れ、3組ロウが漁夫の利を得る展開だったので、疑わしさで言えばそちらだとアズルトは考える。

 4組についてはまるで語られていなかったが、であればこそ巻き込まれる可能性は十分にある。

 そのため教官のこの万全を期す動きは、アズルトとしても望むところであった。

 遊戯会にとっては迷惑極まりない話であるのだが。


 さてその班行動であるが、教官の一存によって出されている指示であるからして、通常班で学ぶべき事柄というのは、別途授業で指導を受けている。

 そのため、元々個々人で行っていた活動を班で共に行うというのが、多くの班で選ばれる活動の内容であった。


 アズルトらの班も例外ではない。

 ただし彼らの行動そのものについて述べるなら、それは異質のひと言に尽きる。

 なにせ課外の時間に彼らがやることと言ったら、なにを差し置いても魔術の訓練しかない。

 場所も機密性の問題からアズルトの部屋に限定される。


 授業と食事と入浴の時間を除いて朝から晩まで男の部屋に入り浸る娘ふたり。

 これで浮いた噂ひとつ流れないのが、対赤山羊班を掲げる4組の結束の証と言えるだろう。

 鈍いアズルトでさえ気づくレベルである。


 しかし彼らの生温かい眼差しに否を突き付けられないのは、アズルトに小心者なところがあるとかいう以前に、前科が積み重なり過ぎているためであった。


 まず4組にアズルト、クトに次ぐ問題児が現れた。

 他でもない同じ班に属するチャクのことだ。

 魔術訓練にのめり込んだ彼女は、授業中にも術式を弄り、そしてたまに魔力を通して教官に気取られる。


 これまでアズルトとクトが独占していた教官の折檻にお仲間が増えたのだ。それもすぐさま常連入りである。

 アズルトはこのチャクの暴発を隠蔽すべくバッテシュメヘ教官の探知能力を調べており、過程で数度の反省室送りを食らった。

 公国貴族を追い払うためクトが備品を壊すのは毎月の恒例行事である。


 こんな欠陥人間たちに人間的な情動を期待するなと、組の面々はそう思っているわけだ。

 ただそれは彼らの思い込みであって、事実は多少異なっていた。


「アズルトさん。そろそろクレアトゥールさんを引き取ってくれません。ワタシ、彼女のお陰で満足に寝れないの」


 いつも顔色の優れないチャクが、もう限界だと怨嗟の混じった声で告げた。

 卓上に置かれた駒の間で飛び交う魔術も、心なしか勢いが落ちている。


「おまえなにかしたのか?」

「なんもしてないし」


 ぺしぺしと尻尾が不満を主張する。


「ワタシは……狂犬の気まぐれで喉を掻き切られて死ぬんだと、同じ部屋になってからずっと怯えて過ごしてる。学園に入ったワタシの運はもう尽きてて、なにか為すこともできずこのままさ。もうね、無理。アズルトさんなら、気が触れた狂犬に噛みつかれても、命を繋ぐことはできるでしょ」


「言われてるぞ」

「反論しろ」


 チャクは相当に追い詰められている様子だ。

 入学直後の乱闘の恐怖を、クトとの同居生活が致命的なところまで醸成させてしまったのだろう。

 魔術訓練に入った直後はそちらに意識が割かれ、クトへの恐怖心が鈍っていたのかもしれない。

 その訓練にも慣れが出てきたことで、燻っていた感情が再燃してしまった。


 今のクトは少なくともアズルトの前では安定している。

 肌が直に触れても、以前ほどの動揺は見せなくなった。

 ただそれはアズルトに対してだけだ。


 魔術と同じく習慣化したからというのが大きい。

 他の者だと未だ激しい拒否反応を示す。

 それでも分別が働くようにはなっていて、手を払うのに魔力を動かすようなまねはもうしない。


 けれどアズルトはクトが爆弾を抱えていることを知っている。

 もしもそれが暴発した時、アズルトを除いて彼女を止めることが出来る人間がどれだけいるだろう。

 チャクの懸念は、あながち妄想とも言い切れないのだった。


「あー、こいつはそこまで寝相悪くないぞ」


 深刻に傾き始めた思考を馬鹿な言動で誤魔化す。

 隣に座るクトから脇腹目がけて拳が飛んできた。

 待機状態にあった防衛術式が自動展開し、瞬時に拳と身体との間に障壁を形成する。


「痛い」

「術使って殴るな阿呆」


 弾かれた拳をさするクトを横目に、消費した魔術を再装填する。

 この辺りの自動化も課題だななどといつもの調子で考えていると。


「引き取ってくれません?」


 向かいでチャクが満面の笑みを浮かべていた。

 陰気な顔しか見せない彼女の朗らかな表情というのは、実に……迫力があった。

 その雰囲気に押されたわけではないが、アズルトはチャクの希望に応える形でクトの意思を確認する。


「どうする、来るか。夏期休暇までもうふた月を切っているから、睡眠中の術制御の訓練にも入りたい。相変わらずおまえの許可申請は通らないし、チャクにおまえを任せることも出来なさそうだからな」

「移る。チャクの邪魔になるみたいだから」


 即答だった。

 まあクトにとって魔術も使えない自室は、ただ寝に帰るだけの場所でしかなかった。

 そこに妥当な理由まで与えられたのだから、首を縦に振らぬわけはないのだ。


「誤解しないで、クレアトゥールさんを嫌ってるわけじゃないから。苦手なだけ。もうすごく、本能が耐えられないってだけ」

「ん、分かってる」


 このふたりの距離感はチャクが自身で語った通りだ。

 クトへと良いは良い、悪いは悪いとはっきりと物を言えるのは、アズルトを除けばチャクだけだ。

 心理的な距離はそれなりに近いと言って良い。

 しかしそれに反比例するように、このふたりの物理的な距離は組の中でも群を抜いて遠いのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る