イレギュラー

 寮の自室に辿り着いたアズルトは、もはや習慣となっている簡易防壁セットを部屋に展開する。

 隠しボスのような本当に警戒すべき相手に対してザルな代物ではあるが、それ以外に対する備えを怠ってよいというわけでもない。


 それが済むと、いつものようにベッドに転がり込むクトに向けて、情報の整理だの伝達だのと適当な言葉を舌の上で転がす。

 昼食と口にした手前、その用意もしなくてはならない。

 ベッドの間に卓を引っ張ってきて、その上に部屋に備蓄してあった非常食を並べる。


 それらしい体裁を整えたところで、アズルトは身に付けている予備の宝珠を取り出すと、卓の上に差し出した掌に乗せた。

 そして情報の共有をするからと、クトへ宝珠に触れるよう伝える。


 躊躇いがちな指先がゆっくりと宝珠に乗せられた。

 アズルトは宝珠を魔力伝達の中継ぎとし、用意しておいた術式をクトに伸ばす。


『まず始めに声は出さないように。俺の送る『文字』が理解できるなら、目を合わせて瞬きを2回で』


 視線だけを向けたクトが、指定した動作を再現してみせた。


『術は問題なく起動したな。色々と言いたいことはあるだろうが、おまえが『文字』を扱えるようになるまで時間がかかるだろうし、勝手に説明していくからしばらくは黙って聞いてろ。使い方は俺の術式を見て上手く合わせてくれ。先に言っておくが、思考をそのまま乗せるのは止めておいた方がいい。糸はこっちで維持する』


 尻尾が大きく動いてベッドを叩いた。実に分かりやすくて結構。

 無茶言うなとの無言の抗議が突き刺さる。


『この魔術だが、秘話のための特殊な通信魔術だ。魔力接触による直接伝達だから、盗聴をほぼ完全な形で防止できる。逆を言うなら、他のすべての情報はアレに盗まれ得ると思っておいてくれ。対抗策はない。いや、アレを見なかったものとして忘れてしまうのが、俺たちにできる最も賢明な対抗策と言えるかもしれないな』


 若干、クトの琥珀の眼差しが険しくなる。


『そう不満そうな顔をするな。おまえがアレに怖れを抱くのは仕方がないが、本当に今更な話なんだよ』


 クトは気づいている。

 気づいてしまったと言うべきか。

 なぜアズルトがあの場面でその手を取ることができたのか。その理由に潜む認めがたい真実に。


『かんたんに言うな、ばか』


 アズルトのものを流用した『文字』が送られてきた。

 予想した通り順応が早い。


『発言が曖昧すぎてどれのことだか分からないぞ』

『ぜんぶ』

『それは困ったな』

『いつからいるか聞いてもいいのか?』


 クトが尋ねているのは、アズルトが秘匿していた情報を自分が聞いていいのかということだ。

 ふと思った疑問が口を突いて出る、ということは間々あるが、クトはその辺りの線引きが本当にしっかりとしている。今回、アズルトが自ら札を切ったとは言え、理由を考えれば見なかったことにした方がいいとクトは考えている。

 律儀なことだ。

 だがそういう性質であるからこそ、アズルトも望んで傍に置いているのであるが。


『気にするな。初めて見たのは、宝珠の慣らし期間が空けた日の昼だった。それからおよそひと月、アレはこの学園をうろついている』

『学園は、把握できていない』


 疑問ではなさそうだ。

 確認。向けられる瞳からはそんな意図が読み取れる。


『察しがいいな。なにか気づくことでもあったか?』

『傍を通る時に、あたしに対して使う術式を変えてきた。試したんだと、思う』

『至近だけ結界を緩めた?』

『そんな感じ、たぶん』


 気づいたのではなく、気づくよう仕向けられた。

 それはアズルトにとって凶報に近い。


『無視したのは下策だったか』

『そうでもない、と思う。あたしにきちんと見えたの、切り替えの瞬間の、たぶんだけど作られた隙だけだった。そこからは、本気のカンカ・ディアと似た感じ』

『他であれば思い過ごしと判断するところか。そうだ、その頼みの綱の先輩だけどな、どうにも気づいていない様子だぞ』


 本科4年、赤位のカンカ・ディア・ガスチャは学園随一の隠形の使い手だ。縮地を使えないことで赤位に甘んじているが、非正規の立ち合いであれば、黒位であっても彼に敵う者は限られている。

 なにせ、本物のバルデンリンドの子山羊だ。公爵の眼となり耳となる影の騎士。

 であるが故に看破の腕も学園で並ぶ者はない。隠しボスとかいう例外を除けば。


『黙り込んでどうした?』


 瞼を閉じ、眉間に皺を寄せつつあるクトに問うと、『あたし、分かった』の『文字』が魔力の波に乗せてアズルトに叩きつけられた。


『愉しんでるな。おまえ、愉しんでるだろ』

『それほどでもないと思う』


 睨みつける琥珀色をアズルトはすっと躱す。

 クトのこの言い分はあながち外れてはいない。先の凶報がなければ、アズルトは今の状況を心の底から愉しんでいたはずなのだから。

 もっとも、それは今を愉しめていないことと同義でもありはしないのであるが。


『うぅ、意地が悪いぞ』

『素直に頼み込んでみたらどうだ、可愛らしく』

『おまえはあたしになにを求めてるんだ』


 クトの言いようは疑問といったものではなく、頭は大丈夫かと、眼差しには憐憫すら滲ませる有様だった。

 これにはアズルトも途方に暮れる。


『とりあえず髪に櫛を入れろ』

『持ってない』

『おまえな』

『必要、ないし』


 天位に至る者は人間として大切なものを色々と投げ捨てているものだが。いや、やはり捨てられるものなのだろう。

 師匠がそうであった。

 思えばキャスパーのあのツンツン頭も寝癖だ。


『その辺りは後でしっかりと話をするとして、代わりに質問があるなら受け付けるが』

『ばか』

『なんだ、ないのか』

『ある! アレはなんなんだ。目星はついてるんだろ』


『おまえはアーベンスの天位騎士についてどこまで知ってる』

『三天か? 名前は知ってる。パルオゥ・ヤジャナ=ディア、カミレ・ヤジャナ=ディア、エル・ヤジャナ=ディア』

『それだけか?』


『確か、袋八弦パルオゥは西の守護者と呼ばれていて、ニザ瘴土帯からの魔種の侵攻を封じている、だよな。それで隻牙のカミレは東の守護者と呼ばれていて、ソシアラ侯の下でアメノ樹獄を押さえている、でいいか。白鬼エルは名前しか知らない。もうずっと消息不明だとかで』

『そういうことだ』


 黙り込んだクトに答えを示す。


『逃げる必要あったのか?』


 クトはアズルトの推測をすんなりと受け入れた。口にしないだけでなんらかの確証があるとの推察によるものだろう。

 しかし代わりに口にされた疑問に、アズルトは明確な答えを持たない。


 アズルトは目撃した人物が白鬼であることに確信を得ている。だからこそ逃げた。けれどその判断の論拠を口にするわけにはいかない。

 白鬼エルは『Lqrs』に登場するキャラクターなのだ。ただし『ムグラノの水紋』が始まる遥か以前に死亡しているはずの。

 プレイヤーか。その活動の余波か。はたまた別のなにかか。


 それとなく観察はしていたが、白鬼の行動からはまるで判別がつかなかった。

 敵と断じるには早いが、今はそう思って行動しておくべき相手。

 それらしい理由を述べてやり過ごすしかない。クトのことだから、なにかしら勘付くかもしれないが。


『知っているか。国と教会が揃って白鬼の情報に多額の賞金を賭けている』

 情報を持っているというだけで危険が生じる相手、という理屈である。


『見せかけじゃないのか』

『国が掴めていないのはほぼ確実。入学が決まった時に、主家経由でバルデンリンド公から命令書と手配書が届いた』


 納得がいかない様子だったが、納得できないからこそ、なにかあると気づいたみたいだ。やはり鼻が利く。

 クトからの追及はなかった。


『断定は手配書のお陰か?』

『そうと言えたらよかったな。残念ながら手配書には白髪としか特徴が書かれていない。年の頃も、性別さえ不明。妙な話だろう。白鬼の姿を見たことがある者はいるのに、その姿を思い出すことができない。おまえはどうだ?』

『白い、長い髪』


 ほとんど瞬間的な認識だったというのだから、それだけ把握できていれば上出来だ。

 印象を曖昧にする類の認識阻害は稼働していなかった可能性も高い。


『本当はどんな奴なんだ?』

『それを聞くか』


 アズルトは逡巡する。この問いは、アズルトがどこまで白鬼を看破しているのかを晒すということに他ならない。


『見える形で出て来るかも。情報がほしい』

『高いからなー。見た目は清楚で可憐な女の子だ。背はおまえより少しだけ低い。目は青系統だった気がするが当てにはするな。それとたぶん半妖』

『覚えた。それと、ひとつ踏み込んだこと聞く。答えなくてもいい』

『仕方がないな』

『隠形系術式の強度変化に対応できるか?』


 アズルトとクト、それに気づいたのは果たしてどちらが先だっただろう。

 クトの口上も半ば、アズルトの左手は腰の短剣に添えられていた。あまりにも自然に、アズルト自身が意識しないほどの悪癖である。

 クトはアズルトの禁忌のひとつを口にしていたのだ。

 誤魔化すように左手を掲げひらめかせ、卓上の乾菓子を摘まんで口に放る。


『察しの通りだ。俺は認識阻害のような隠形術式の稼働を感知はできるが、その程度についてはほとんど読めない。すべて見えてしまうものでね、周りの反応に合わせて振る舞うしかない』

『分かった。聞いた以上はそこはあたしが埋める』


 あまりにも意外な言葉にアズルトの眉が上がった。

 先のアズルトの行動は、互いの間にある溝が如何なるものであるのかを如実に示すものであった。事と次第によっては無意識の内に凶刃を振るう。それがアズルトであり、信頼なんて見せかけのものはその原理の前には儚く崩れ去る。


 だというのに、このかたわの狐娘はすべては聞いた自分に責任があるのだと言う。

 アズルトは互いの間にある溝がどういったものであるのか、これまで気にも留めていなかったことを、ここにきてようやく知ることとなったのである。


『リド』

『改まってどうした』

『白鬼はあたしを試してきた』

『そうだな』

『ここ最近はいつもあそこだったのか?』

『ああ』

『行った時にはもう白鬼がいた?』

『そうだ』

『なあ、もしかして本当に試されたていたのは』

 おまえなんじゃないか。その言葉がクトから送られて来ることはなかった。


『うそ。悪い、巻き込んだ』

『なにが嘘なんだ。おまえは馬鹿なのか』


 妙な気の使い方を覚えたものだ。覚えたというか、未だ感情に整理がつかないといった感じなのかもしれないが。

 尻尾すら掴むことのできない、隔絶した力量の相手との化かし合いなんて、クトには初めての経験だろう。

 散々嬲られてきたアズルトとは、心構えが違う。


『その読みはおそらく間違ってはいない。狙いは俺だろう。根拠が欲しいか?』

『あたしを狙うなら、機会はいくらでもあった』

『そういうことだ。そして俺はすでにどこかで罠を踏み抜いている。あの場所であればすべてを隠匿できると考えたんだろう。余計なことは言わなくていいぞ』


 謝罪は違う、とアズルトは考える。

 互いのこれまでを思えば、一線さえ越えなければなに、厚顔であるくらいが上手く回る。

 それはクトにも伝わったのだろう。

 小さく、けれど確固たる意志を込めて頷きを示した。


『触れなければいいと甘く見ていた俺のミスだ。言いたいことは』

『どうする?』

『いずれ次があるだろうが。相手に有利な場所に誘い出されてやる必要は、ないだろうな』

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