イベント回収

「それで、こんなとこでなにしてんだ」


 フードを払ったクトがすっかり常の調子で問う。

 それにアズルトも淡々と、用意しておいた言葉を返す。


「人間観察」


 向けられる胡乱な眼差しに、渡し通路を挟んだ奥に見える広場、その一角に潜む人物を言葉だけで示す。


「俺たちの敵の確認」

「あれが?」

「まあ、候補のひとりといったところだ」


 アズルトにしてみれば候補を通り過ぎて確定であるが。

 なにせ相手はアズルトが見つけた2人目のプレイヤーなのだから。


「今年入学したアイナ・エメットという候補生だ。所属は2組で年は14。上位組に属する唯一の平民であり、中間試験総合8位というこれもまた平民で唯一の1桁。ま、天才というやつだな」

「腕は?」

「おまえと比べるほどじゃない。才能で言えばメナ嬢くらいか?」

「なんだ、つまらないな」


「おまえはよくても4組うち的には大問題だ。安定して勝てるのが4人しかいないんだぞ。というかメナ嬢は不服か?」

「不服じゃない。んー、ふわふわ天使ちゃんから騎士狂い取ったらふわふわしか残らないじゃん?」

「おまえそれどこで覚えてきたんだ……」

「どこって、男どもがいつも言ってるだろ」


 確かにいつも言っている。それこそこの狐娘が例えとして使おうと考えるくらいに。

 なお使い方は盛大に間違っている。


 騎士オタ令嬢ことメナ嬢は、男子からの人気がすこぶる高い。

 なにせ首から上は主人公も斯くやと言わんばかりの、ふわっとした超絶美少女だからな。首から下は無駄のない騎士としてのそれだが。

 と言うか、アズルトは人物評で超絶美少女とかいう単語を使う日が来るとは夢にも思っていなかった。それほどまでに可愛い女の子である。


 制服だと上は布にゆとりのある長袖で、下は膝丈のスカートに長靴なので目立たないが、道着の袖や裾から覗く腕や脚を見れば、彼女がただの美少女ではないのがよく分かる。

 筋骨隆々という意味ではないので誤解の無きよう。技巧系の騎士の理想的と言える柔軟な筋肉の付き方、などと評するべきものだ。


 ちなみにふわふわとは外見のふわっとした印象と、頭の中がある意味でのお花畑でふわふわしているのが掛けられている。

 好みの男性を問われて「天位の方であれば男性でも女性でも。お年を召されていても幼子でも私は喜んでこの身を捧げさせて頂きます」と性別問わず見惚れそうな笑顔で宣言した剛の者である。

 噂をする男衆にはどう足掻いても手の届かない相手だ。


 多くは天位の才を匂わせるキャスパーと共にいる。追いかけながら尻を叩くのが楽しいらしい。

 普段クトと会話はないが、手合せだけは熱心に求める筋金入りの強者好き。

 常識を知っていて投げ捨てるタイプ。自身は美醜を気にしないが、美貌が武器になるのは分かっていて活用する非常に厄介な手合いだ。

 この手の人間やめていいって輩はそりゃ強くはなるのだが、早々いるものではない。


「おまえ的に騎士狂いはアリか」

「アリ。あれすごいぞ。あたしにはよく分かんないけど」


 彼女の騎士に関する知識と技への造詣は、並々ならぬものが……というか、学園の教官陣の追随を許さないレベルにある。

 この域をとなると……。


「悪い知らせだ。俺が知る限り、今期生でキャスパー以上はおまえしかいない」

「ふーん。まあ、いいけどさ」


 あまりにも気のない返事。

 アズルトはクトの言いたいことを誤解なく理解していたが、アズルト・ベイ・ウォルトランの才覚は精々が黒位といったところなので、その期待には応えられない。

 魔術に限って言えば、クトに後れを取るつもりもないのではあるが。



 こうして2人が他愛のない話に興じていると、遠く中庭でアイナがイベントの回収に乗り出したらしかった。


「動いた」


 クトの言葉が示す通り物陰から歩み出たアイナが、偶然を装う形で男女入り混じった小集団に近づいていく。

 アズルトらのいる遠方からでも高貴な貴族オーラが明らかな、とても、とても目立つ者たちだ。


 進む先では人が割れ道ができ、周りには自然と人垣が生まれ、過ぎた後には尻尾が作られる類の、そんな雲上の方々からなる集団。

 そこに突っ込まんとする平民というのは、浅くとも貴族教育を受けたアズルトからすると、股座が縮こまる恐怖の情景であった。事情を知っていてこれなのだから、まったくの無知でこれを見ていたら悲鳴くらいは漏らしたに違いない。


 少しだけ手前で立ち止まったところに、集団の1人から声をかけられる。


「今アイナに声をかけた金髪の男がアーベンス王国第二王子ルドヴィク・ラファ・アーベンス殿下。次いでアイナに近い順に黒髪がクラウディス・ベイ・バルデンリンド公爵子息、灰髪がハルアハ王国第一王子ギスラン・ラファ・ハルアハ殿下だ」

「なにか言い合ってるな」


 説明をする間にも状況は進んでいく。

 ルドヴィク殿下に話しかけたアイナに、彼に同行していた少女――悪役令嬢のリズベットが罵声を浴びせたのだろう。


 安全を優先し距離を取ったためその内容までは聞き取れない。

 クトにも無理なようだ。

 まあ流れを確認できれば十分なのでこれでいい。


「アイナになにかを捲し立てている黒髪が、第二王子殿下の婚約者であるリズベット・ベイ・バルデンリンド公爵子女。彼女はクラウディス様の姉でもある。金髪で髪の長いのがランクート公国第三公女シャルロット・ラル・ランクート殿下。少し離れている白っぽい灰髪がサーナニヤ・オン・スホルホフ子爵で、リズベット様の侍女という話だ」

「ぶたれたぞ」


 アイナがリズベットに頬を張られ、頽れ石畳に手をついていた。

 いよいよ激昂したリズベットがアイナに近づこうとするが、その間にルドヴィク殿下が割って入る。

 それからまた口論が始まったようだが。


「逃げた、のかあれは」


 アイナが広場から走って姿を消した。

 駆け出そうとするルドヴィク殿下をリズベットが止め不穏な空気が流れ始めるも、クラウディスとシャルロット殿下がルドヴィク殿下に加勢。

 ルドヴィク殿下がアイナと同じ方向に姿を消し、イベントは無事幕を下ろした。


「……なあ、あれ避けられたよな」


 だがクトは腑に落ちないらしい。

 言っているのはアイナがリズベットに頬を張られたことについてだ。

 騎士を志す者が、闘気も乗っていない張り手を避けられないというのがあるかどうか、というお話だ。

 不意を突けば成功はするだろうが、リズベットの動きからしてそうする意図はなかったと見える。


 このイベントは確か避けることもできたが、受けて身分の逆境に負けないアピールをして、より苛烈な罵声を浴びせられた方が好感度が上がった、ような覚えがある。

 避けると2人でこの場を立ち去って終わりだが、受けるとこの後にちょっとした追加イベントとか、そんなアズルトの曖昧な記憶である。


「第二王子殿下はアイナという平民にお熱だって話だ。あの娘は殿下の反応を期待してあえて受けたんじゃないか」

「詳しいんだな」

「仮にも近隣諸国の要人と、俺にとっては主家の主筋の関係者だからな。貴族の端くれとしては、耳ざとくしておかないと命に係わる。ところろでクト」


「ん」

 外套の内側で尻尾がばさりと揺れた。


「さっき言った名前に聞き覚えは」

 耳がぴくりと動く。

 表情には出ていないが、どうやら不都合があるらしい。


「聞き覚えくらいは、ある。耳はいいから」

「気に留めてなかったと」

 再び耳が――あ、こいつ手で隠しやがった。


 近頃この狐娘は、アズルトが耳を見て心を量っていることに気が付いたらしく、状況が不利と分かるとこうして逃げの一手を打つことを覚えた。

 まあそれはそれで都合が悪いと宣言しているようなものなので、頻繁に取ることはないし、人目のあるところでは他を警戒し自重している。

 今回は、先の件がまだ尾を引いているということなのだろう。


「シャルロットはちゃんと知ってる。敵だから」

「そうだな、あれは間違いなく俺たちの敵だ」


 公国貴族の元締めにして、アズルトが確認した1人目のプレイヤー。

 アズルトを煩わせる、目下最も警戒すべき敵である。


「でも余所で言うなよ。さて、今日はこれ以上のものは見れそうにないし。俺は昼飯にするけど来るか」

「ん」


 頷きを確認したアズルトはごく自然な動作でそのすぐ隣、常よりもかなり近い位置でクトに並び、、歩き出す。

 ゆっくり、慌てず、本棟の鉄扉までの道のりを潰す。


 しかしその傍らを通り抜ける寸前、アズルトはクトの呼気に乱れの予兆を察した。

 覚悟は、決めていた。

 予め決められていた行動であるかのように、クトとの間にあったわずかな距離を詰め、その手を取る。


 全身で驚きを示す狐娘。

 その腕を引き、アズルトは何食わぬ顔で少女の脇を通り抜け棟の内へと戻る。

 そして十分な距離を歩き、少女が後をつけていないことを確認してから、それまで繋いでいた手を解いた。

 改めてクトを見れば、頬を涙で濡らしながらも、自身の左手に牙を突き立てることで必死に激情を殺している。


 この狐娘は、他人に触れられることに著しい拒否反応を示す。

 3月も間近で接していたアズルトだ。それがどういったものであるかは熟知している。理性も自制も軽く消し飛ぶ類のもの。立ち入ったことを聞くつもりはないので憶測になるが、反応を見るに心的外傷後ストレス障PTSD害とかその辺りだ。


 克服の助力を求められ、拒否感の少ない格闘戦なんかで慣らしてはいたが、これだけ長い時間を直に触れたことなどなかった。

 落ち着くのを待とうかと考えたアズルトに、しかしクト本人が袖を引いて強い否定を示す。


 結局、アズルトたちは昼食を放り出して寮の部屋へと向かった。

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