裏ボス(ヒロイン)

 中間試験が終わり、一昨日には結果が廊下に張り出された。

 上位組の生徒は悲喜も百態、下位組の生徒は誹毀も百態といった有様。

 こと軍事や魔術のスコアの前には目を皿にした獣たちが群がり、月末に待つ編成に向けて野心を迸らせる異相を見せていた。


 銀吹も四節に入っている。

 日本で言えば5月辺り、入学してからの期間からすれば6月くらいの感覚だろうか。

 煮え滾る泥沼のごとき妄執が渦巻く学び舎を、本棟の隅から伸びる渡し通路の屋上から呑気に眺める男がある。


 先の中間試験において、下の中という見るべきところのまるでないスコアを叩き出したアズルトである。

 渡し通路をひとつ挟んだ先、中庭の辺りを、眺めるともなしに眺めている。

 昼の休憩時間も始まったばかりとあって、行き交う生徒の姿は多い。


 かなり距離があるので顔までは分からないが、特徴さえ把握しておけば特定の人物を見つけ出すのはそこまで手間ではない。

 おまけにその人物が妙な行動を取っているとあればなおさら。



 標的を監視していたアズルトが、近づく靴音を聞き取りそちらに目を向ける。

 本棟へと続く鉄扉がゆっくりと開き、見慣れた小柄が姿を現した。


「見ないと思ったらこんなところにいた」

 赤茶の髪と腰丈の外套を微風に吹かれるに任せ、クレアトゥールが真っ直ぐとアズルトに歩み寄る。


「よく見つけたな」

「窓から見えた」

「なにかあったのか?」

「ん、その。おまえがいないと色々と困る」

「そうでもない。時期が時期だ。公国一派もおまえだけに構ってはいられないだろう」


 試験により目に見える形で能力が示された。

 様子見に徹していた諸勢力も腰を入れて動き始めることだろう。

 寄せる公国派へ、逆に楔を打ち込むくらいしてのける人物にも心当たりがある。

 公国派への切り崩しが始まるというわけだ。

 人形ばかりでなければ、これらへの対応が身内でも叫ばれる頃。

 なにせ公国プレイヤーによる4組の攻略はまるで進んでいない。


 キャスパーの関心はクレアトゥールとメナ嬢、そして不本意ながらアズルトに向いていて、外になびく気配は微塵もない。キャスパーがそんなであるから、メナ嬢の意識も外には向けられない。そしてベルナルドは完全にアズルトの餌に釣られている。

 足場に使われた者たちへのフォローも、ベルナルドがオルウェンキスとマダルハンゼ伯を誘導して上手くやってくれているらしい。


 先手を打つつもりが、無駄に敵を増やしてしまったという状態。

 公国の利益を考えるならは、戦略の変更は必至と言えた。

 これは公国プレイヤーへの試金石でもある。対応の如何で彼の人物がこの世界をどう認識しているかが凡そ分かる。


「そう、なのか?」

「そうなんだよ」

「……ん」


 なにやら考え込んだ様子のクレアトゥールだったが、小さく頷くと、もぞもぞとフードを被り始めた。


「なにしてるんだおまえ」

「ちょっと待って」


 その不審な行動の真意は定かではないが、クレアトゥールをして相当な緊張を強いる類のものであるらしい。アズルトはひとつの懸念に備え警戒を強める。

 数度呼吸を整えたクレアトゥールが意を決した様子で顔を上げる。と言っても半分フードに隠れているような状態だが。


「言わなきゃ、いけないことがある」


 不本意なような、不貞腐れたような声だったが、ひねたこいつのことだから本心は別にあるのだろうとアズルトは察した。と同時に先までの警戒が緩み、けれど別種の緊張が這い上がってくる。


「本当は、もっと早く言おうと思ってた。けどいつも言えなくて、でもここで言わなかったらもう言えなそうな気がする。だから言う」


 それは自身への不退転の表明だったのだろう。


「あの日、教官に他の奴なら死んでたって言われて」


 一拍置いて続けられた言葉は、伝える気があるのかないのか。唐突に切り出されたあの日という単語に、胸の内だけで苦笑を零す。

 この狐娘が話したいのは入学初日のことなのだろう。

 あの日、アズルトとクレアトゥールは別々の階の監房に放り込まれた。そこで入学式の間にバッテシュメヘから説教を受けたのだが、言われたというのはそこでのことだと思われる。


「ずっと気づいてて、黙ってた」


 途切れ途切れに、探すようにして言葉を作る。

 口数の少ないクレアトゥールらしい、なんとも不器用な口上だ。

 顔は徐々に俯きフードの陰に消えていくが、アズルトはただ静かに続きを待つ。


「感謝……してる。おまえが、止めてくれたの。うぅ、こういうの苦手だ」


 ついにはフードの縁を指で摘まみ引き下ろしてしまう。


「アズルト。あ、ありがとう」


 そよ風にも掻き消されそうな細い声は、けれどしっかりと耳に届いた。

 フードの縁から見て取れる頬が薄らと赤い。

 なんだろうなこの可愛らしい生き物は。これが狂犬と呼ばれてたとか笑うしかないだろう。

 思考とは裏腹に、アズルトにはとても笑うことなどできそうにもなかったが。


 期待はしない。

 アズルトはことさら悲観主義者を気取るつもりはないが、楽天主義者でだけはあり得ないのだった。


「どういたしまして。他にも色々と感謝してくれていいんだぞ」

「ん」

「あと、名を呼ぶならリドでいい」


「おまえ、あたしの名前覚えてるか?」

「藪から棒にどうした。覚えているに決まってるだろ」

「呼ばれたことないよな」

「おまえの名前は長いからな」


 そもそもクレアトゥールからして、アズルトの名を呼ぶのは先が初めてのことであったはずだ。

 急に呼ぶ呼ばないの話を持ち出されても、アズルトとしては困惑するしかない。しかないのであるが……。


 フードを摘まんでいた指が離れ、恨みがましい視線が顕わになる。

 クレアトゥールが妙な精神状態にあるらしいことはアズルトにも分かった。

 けれど悲しいかな、アズルトには抗う術がなかった。

 なにせアズルトはこうした押しに弱い性分なのであるから。


「じゃあ、クレアで」

「それは嫌だ」

「なんでだよ面倒くさい奴だな」

「いい思い出がない」


「はぁ……。ならクトは」

「ん」


 あるのはいつもの無愛想な表情。ただ、尻尾を見る限り機嫌は良さそうである。

 喜んでいるのだろうか。


「それで、こんなとこでなにしてんだ」

 フードを払ったクトはすっかり常の調子を取り戻していた。

 だからアズルトも淡々と。

「人間観察」

 用意しておいた言葉を返すのだった。

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