ロール

 アズルトにはいくつかの顔がある。

 バルデンリンドの子山羊とは、学園の関係者が認識する、アズルトの代表的な顔である。


 アーベンス王国最古の公爵家バルデンリンド。

 政財界での影響力を失し、今や老いたる竜と評される西の公爵家であるが、騎士界にあっては今日でも勇名を切らすことのない大家である。

 その勇名は、万民が好む類の栄光からはかけ離れた、血生臭い、忌み名に近いものばかりであるが。


 以前バッテシュメヘが候補生を前にして騎士を語った際、騎士は人類の盾であり剣であると称した。

 しかし、バルデンリンドの騎士にそれは当てはまらない。バルデンリンド家にとって騎士とは剣であり、それ以外のなにものでもないのだ。


 バルデンリンドの子山羊とは、公爵が見繕い学園に放った、鍛えられる前の剣たちの呼び名である。

 これはバルデンリンド家臣の子弟であればそう呼ばれるというものではない。

 剣としての資質がなににおいても優先されるが、基本的には――真実はどうあれ――家臣・陪臣の庶子で、大半が家督を継がない者たちだ。

 そして彼らの中には将来的に赤位・黒位へと至る者が多い。


 アズルトもこのバルデンリンドの子山羊の体で学園への入学を果たしている。

 体である。つまるところアズルトは子山羊ではない。

 バルデンリンドの子山羊は、アズルトのような別件や、本当の子山羊を紛れさせるためのダミーを兼ねていた。



 ◇◇◇



 夜も更けた時分。アズルトの部屋に来訪者があった。

 細長い窓から姿を現したのは、柿渋色の外套に身を包んだ女だ。

 使い魔ではなく本人が来るのは珍しいが、これはアズルトがそう仕向けたからというのが大きい。

 見えてはいないが、その外套の内では腰の短剣に手が添えられている。

 ずいぶんと警戒されたものである。


「なにを企んでいる」

 布越しのくぐもった声が問う。


「企むとは人聞きが悪いですね」

「ふざけるならば叛意ありと報告するぞ」

「怖い怖い……なにということはないでしょう。オーダーに則り布石を打っているだけです。単純なスコアで上位2組と競うのは天地が逆さまになろうと無理な話です。となれば彼らを脅かす手段なんてひとつしかないではありませんか。それに、宝珠を受け取る前では、動いたところで大した成果は得られませんでしたからね」


 役割から言えば本来は不要な説明であったが、アズルトはこれを懇切丁寧に行った。

 もちろん計画の詳細は口にしない。

 それはアズルトの主人であるバルデンリンド公爵が把握しておけばよいことであり、末端の使い走りが知る必要があるかどうか判断するのもまた、バルデンリンド公爵の胸次第であるからだ。


 アズルトはバルデンリンド公爵の命を受けて学園に通っている。

 命令の内容は大きく分けて3つ。


 ひとつに4組の戦力評価。

 これはバルデンリンド公爵家の家業のようなものであるから、本来は文字通りの意味と考え動けばよいのであろうが、アズルトはこの命令の真意に心当たりがあった。

 と言うのも、バルデンリンド公がアズルトの入学を決めたのが、学園が入学試験を終えた後のことなのである。


 秘蔵の戦闘人形を当てるに足る相手が確認されたからこそ、アズルトは学園に送り込まれた。より踏み込むならば、その人物の戦力評価こそが、バルデンリンド公の望みということになる。

 まず間違いなく天位候補のクレアトゥールだろう。

 加えるならば同じく天位の資質を持つキャスパーも、といったところか。


 ふたつ目に、公爵の子息子女の能力評価だ。

 悪役令嬢のリズベット・ベイ・バルデンリンド。

 それから攻略対象のクラウディス・ベイ・バルデンリンド。

 この姉弟を徹底的に叩き潰せと、そいうことである。


 叩いて砕いてすり潰して濾して騎士としての資質を計れとバルデンリンド公は仰っているのだ。

 嘘や冗談ではなく。

 言葉そのままではないが、実際に似たようなことをアズルトは言われている。

 折れたらそれまで、とも。


 バルデンリンド公は冷徹なお方だ。身内に対しても容赦がない。

 身内にこそ厳しいと表現を改めるべきかもしれない。

 他所に関しては寛容という名の無関心であることが多い。いや無関心という言葉もどうなのだろうか。関心は払っているが、関知をしないというのが正しいのかもしれない。

 まあ、師から伝え聞いた話によると、であるが。

 アズルト自身はバルデンリンド公に面と向かってそうした話に興じる立場にない。


 そして最後に、騎士養成学校の本来のあり方を4組によって体現すること。

 実のところ、先の命ふたつはこれを果たす途上で達成すべき目標のようなものだ。

 三国の王族が揃い、いずれムグラノ地方の騎士界を背負って立つと目されるこの年の候補生たち。未来が『ムグラノの水紋』に語られる正史を辿るのであれば、彼らは事実その立場を揺るぎないものとするだろう。


 だがそれはバルデンリンドの求める騎士の姿ではない。バルデンリンドが求める騎士界のあり方とはまるで違う。

 故にアズルトは送り込まれたのだ。彼らの騎士としての栄光を踏み躙るために。


 バルデンリンド公の命を知れば、万人は世迷い事と一笑に付すだろう。

 貴族教養という下駄を抜きにしても、上位組の候補生の才は、下位組のそれを大きく上回っている。極一部の例外を加味してもなお、覆し難い力量の差というものが、組という集団においては存在している。


 なにも有用な人材が揃っているのは下だけではないのだ。

 上には3人の主人公に加え攻略対象がいる。物語の主役だけあって、誰も彼もが赤位級の才能を持っているとなれば、いよいよ番狂わせなど望むべくもない。


 だが試験の結果を見て、4組に割り振られる人員を知り、バルデンリンド公が問題ないと判断を下した。

 それはアズルトの存在を前提とした決定である公算が高い。


 ゲームにおいて4組は影も形もなかった。

 本来この役割を担う人間の能力が足りていなかった、という可能性をアズルトは早い段階で捨てていた。

 その裏付けとなったのがバッテシュメヘの存在だ。


 彼の経歴からして脱落による組の総合力の低減はあっただろう。しかしながらゲームほど存在感を失する展開というのが、アズルトには想像できない。

 さらに言えば、バッテシュメヘはガガジナの後衛適性に気づいている。ゲームにおけるガガジナの初期スキルは、明らかに前衛教育がなされた結果と言えるものだった。ではここからバッテシュメヘがガガジナに前衛の立ち回りを強要するのかと考えると、当然筋が通らなくなる。


 アズルトという駒を得たことでバルデンリンド公は策を練り、その補佐としてバッテシュメヘをつけた。こう考えるのが妥当である。実績から言えばその逆かもしれないが。

 つまるところ、このバルデンリンド公の動きは本来ゲームにはなかったものなのだ。アズルトを起点にゲームとの齟齬が生じている、ということでもある。


 アズルトは現状をそれほど危機的には捉えていない。

 なぜなら他のプレイヤーの存在が確定した時点で、この世界のゲームとの差異に最低限の理由づけが出来るようになったからだ。

 プレイヤーという歪みが、正史を辿りながらも細部の違うこの世界を作り上げている。そうひとまずの結論を見たわけだ。もちろん、それですべてを片付けられるわけではないが。


 そんなわけで、この程度では正史は破れないとアズルトは考えている。

 であればアズルトが優先するのは己に与えられた役割だ。


 もっともこれにしたって、別にアズルトがすべての段取りを整える必要は無い。バルデンリンド公は強かな人物だ。アズルトを要とは見ていても、そこに頼るような計画は立てない。バッテシュメヘ然り、似た役割を与えられ学園に送り込まれている人間は他にもいる。

 彼らにも彼らの役割というものがある。

 アズルトは手の届く範囲で仕事をするだけでよいのだ。


「戦闘人形に過度な期待をしないでほしい旨、どうぞお伝え下さい。分かり切ったことを言うなとお叱りを受けてしまいそうですが。まあ合同演習には間に合わせます」


 今日の出来事をまとめた報告書をアズルトは女に差し出す。

 そもそもアズルトはただの戦闘人形にすぎないので、あまり出しゃばった真似をしては逆に迷惑になってしまう。

 それに生みの親であるバルデンリンド公すら、アズルトに今世より以前の記憶があるなどとは考えていないはずなので、そのまま気取られないよう振る舞う必要もあった。


 前世とかなにそれ案件である上に、この世界に酷似した世界の知識があるとかなると、それはまた別の意味で大変なことになる。

 公爵の忠実な狗を自認するアズルトであるが、それは今世についてであり、前世にまつわる諸々はまた別と考えていた。知識を伏せることは裏切りではないし、それで公爵が不利益を被ってもアズルトの責任ではない。


 ただ、公爵本人の生死に関わるのであれば、アズルトも知識を晒すことに躊躇いはないだろう。

 公爵がアズルトを道具としか見ていなくとも、アズルトは公爵を父親として考えており、彼我の認識の差はアズルトにとって割とどうでもよいことであるからだ。



 ◇◇◇



 報告書を受け取った女が去った部屋で、アズルトは秘かに、胸の内で秘かに喝采を挙げる。

 万事が掌上。すべてはアズルトの思い描いた通りに動いている。


 女の張った結界の強度では、先の会話は隠しボスに筒抜けであったと見てよい。

 方々に餌は撒き終えた。


 大きな仕事がひとつ片付いたことで、久方ぶりの解放感に浸る。

 この後はそうだな。しばらくはのんびりとプレイヤー狩りに興じるとしようか。

 目の前の試験のことなど頭にないアズルトは、呑気に次の愉悦へと思考を走らせるのであった。

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